街歩き編

第10話 美味しいドーナツ

 屋敷から、しばらく馬車に揺られてたどり着いた、その街の名はハルマ。

 健全を心に誓った翌日、予定通り街へ出た私たちは、雑談を交わしながら辺りを散策していた。

 石畳の道を軽やかに踏みしめながら、ライネが手を後ろに組んで朗らかに笑う。


「賑わってますね」


「いいよね。こういう雰囲気」


 両脇に立ち並ぶ建物はレンガを主とした暖色系で統一されており、街全体が穏やかな雰囲気。

 程よい人混みも相まって、歩くだけで気分が明るくなる気がする。


「やっぱ、たまには陽の気も浴びなきゃですね。かび臭い屋敷に籠ってばかりじゃダメですよ」


「あながち間違ってもいないんだけど、帰る場所をそんな風に表現しないでくれる?」


 屋敷があるのは、木々に囲まれた静かな場所。

 陽の光が入りにくく、湿っぽいのは確かだけど言い方ってものを考えて欲しい。


「今日って、目的の場所とかあるんですか?」


「それが、決めてないんだよね。ブラブラ歩いて、気になったお店があれば入ってみようかなとは思ってるけど。二人は、どこか映えそうなお店に心当たりない?」


「行きつけのぬいぐるみ屋なら、すぐに案内できますけど」


「行きつけのぬいぐるみ屋があるんだ……。いや、だからどうってわけじゃないんだけどね。一つの案としてキープさせてもらうよ」


 妙な気まずさを感じてライネから視線を外すと、ルコが遠くを指差した。


「お気に入りの店を発表する流れか? だったら、あたしは向こうの路地を抜けた先にあるトレーニングジムだな」


「うーん、今日は身体を動かす気分じゃないから……」


「なんだよ。せっかく、一押し器具の『箒ロデオ』を紹介してやろうと思ったのに」


「それは、ちょっと楽しそう」


 名前からして、器具といいつつ遊具の延長線みたいな奴に違いない。

 もし、身体を動かす気分の日に来ていたら即座に案内してもらっていたはずだ。

 今度、別の機会にぜひ紹介してもらおう。


 私がひっそりと胸を高鳴らせる中、ライネは顎に手を当てて街を眺めた。


「やはり、定番といえば食べ歩きでしょうか」


「食べ歩きね。ありきたりだけど、私たちの世界のありのままを映すって意味では悪くないかも」


「わたし、良いお店を知ってますよ。ドーナツ屋さんなんですけど、ウケの良さそうなメニューが置いてあるんです」


「それそれ、そういうのだよ。早速、行ってみよ」


 私は大きく頷いて、ライネの背中を押した。



 ☆ ☆ ☆



 通りを進むと、路地裏にひっそりと佇む店が見えてきた。

 水色で塗られた木製看板に、ピンクの文字で店名が書かれている。


 先頭を行くライネが勢いよく扉を開け、軽い足取りで店内へ。

 指を三本立てて、店員に微笑んだ。


「すみません、『法の抜け穴ドーナツ』三つ」


「ちょい待ち」


 ライネの腕を掴み耳元に顔を近付けると、彼女は唇を尖らせて鬱陶しそうに尋ねた。


「なんですか?」


「凄いのぶっ込んできたね。何、この店?」


「見ての通り、ドーナツ屋さんですけど」


「外観は、それっぽいけどね? ただ、店員のビジュアルとメニュー名がカタギじゃないんだよ」


 カウンターの向こうに立つのは、鍛え上げられた腕を持つ屈強な男たち。

 リヴに負けずとも劣らないほどの無表情で作業を行う彼らの姿は、どう見ても菓子職人というより鍛冶職人に近い。


「強面な店員さんが売ってるだけじゃないですか。メニュー名については、創業者が『法を破ってでも食べたいくらい美味しいドーナツ』を目指していた名残だって雑誌に書いてありました。ドーナツの穴と、法の抜け穴をかけてるんです」


 やかましいよ。

 私が無言で眉をひそめる中、ルコが目を輝かせる。


「あたしもこの店、一度来てみたかったんだよ。表面にまぶしてある、独自製法の魔法の粉が病みつきになるって評判なんだってな」


「その魔法の粉は文字通りの意味だよね? 何かの隠語じゃないよね?」


 無意識に足を一歩、後ろへ下げる私に、ライネは身体をゆらゆらと揺らしながら抑揚のない声で尋ねる。


「で、買わないんですか?」


「いや、お店まで来ちゃったし買うけどさ。ただ、万が一購入シーンが不適切認定されたら困るから、リヴの目は塞がせてもらうね」


 私は店員に聞こえぬよう小声で告げると、リヴをかがませ彼の両目を手で優しく覆った。

 なんだか、いかがわしいものから子を遠ざける親になった気分である。






 その後、ドーナツを受け取った私たちは店の前にあるベンチに腰を下ろした。

 リヴがこちらをジッと見つめる中、袋を開け中身を確認する。


 揚げたてのドーナツはふんわりと膨らみ、表面はカリッとしていい感じ。

 粉砂糖と区別のつかない魔法の粉が全体にまぶされており、甘い香りを放っていた。


 ルコが袋の口に鼻先を近付け、目尻を下げる。


「なんか、頭がぼーっとなる不思議な香りだな。これも、粉の影響か?」


「粉、落として食べようかな」


「気にしすぎだって。ほら、心配ならあたしが先に食べてやるよ」


 袋からドーナツを一つ取り出し、豪快にかじりつくルコに、私は顔をこわばらせた。


「大丈夫? 変な味するなら、ペッてしたほうがいいよ?」


「……頭がクリアになってきた気がする」


「すでに、ドーナツを食べた感想じゃないんだよ」


「よく糖分を取ったら頭が冴えるとかいうけど嘘じゃなかったんだな」


「その即効性が確かなら、糖分じゃない可能性が高いけどね」


 本当に平気なのだろうか?

 コンプライアンス以前に身体への害とかないよね?


 慎重に袋の中を覗き込む私を、エスタが鼻で笑う。


「エスタがそういうことを言うから、余計にいかがわしくなるんですよ。やましい物なんて一切入ってませんから、ガブッといっちゃってください」


「……分かった。じゃあ食べるよ」


 ドーナツをつまみあげ、端っこを一口かじる。

 サクッと軽い音を立てると同時、シンプルな見た目から想像できない複雑な甘さが口の中に広がった。

 なるほど、店の雰囲気はアレだったけど、このクオリティならば流行るのも理解はできる。


「悔しいけど、美味しいね」


 もう一口……そう思って再び口を開けた瞬間、身を乗り出して、こちらを見つめるリヴと目が合った。

 そういえば、この光景って彼を通して大勢の見ず知らずの人に見られているんだっけ。


 ただドーナツを咀嚼するだけの姿を、こんな至近距離で映されるって、冷静に考えると、なんだかやけに恥ずかしいことのような。

 あれ、意識したら喉がひどく乾いてきた。


「ごめん。ちょっと飲み物買ってくる」


 ダメだ、意識しないよう考えれば考えるほど、いたたまれなくなってきた。

 リヴから顔を背けベンチから立ち上がると、ルコが私の腕を掴んで首を横に振る。


「お嬢、先にリヴに向かって感想を述べてくれ」


「何か飲んでからじゃダメ?」


「給水タイムをガッツリ挟んでから食レポする奴なんて見たことあるか? ほら、味を忘れないうちに粋な感想を一つ」


「うるさいよ。喉がカラカラなんだよ。ドーナツのパサつきと、大勢に見られているプレッシャー、そして急に求められた粋な感想という無茶振りのせいでね」


 もはや、味なんて全然分からない。

 冷汗をかきながらルコと掴み合っていると、ライネが明るい口調でリヴを指差した。


「見てくださいエスタ、リヴが満面の笑みです。食レポ、大成功ですよ」


 その盛り上がり、きっと私の食レポに対してじゃない。

 どうせ、無様に水分を求める私の反応を面白がっているだけだ。


「確信しました。やはり、エスタに求められているのは、こうした汚れコメディアンとしての振る舞いなんですよ。というわけで、企画変更です。追加で十個ドーナツを買ってきますから、限界を目指しましょう」


「ほほう。さてはあなたたち、私を殺す気だね?」


 これ以上、この場にいても食レポという名の拷問が続けられるに違いない。

 私はルコのお腹を目掛け頭突きをかますと、隙をついてリヴの背中に飛びつき早馬を飛ばすように二人の前から走り去った。

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