第50話 ふたりらしく

「……そこまで言うなら、考えとく」


 そう言って、俺はアルテミスから視線をそらした。

 そっけなく言い捨てて歩き出したけど、自分でもわかるくらい動きがぎこちない。

 肩がこわばってるし、歩くペースもちょっと早い。まるで、自分の動揺をごまかすために動いてるみたいだった。


 メガネのレンズに夕陽が反射して、俺の視界が一瞬、金色に染まる。

 季節の変わり目の風が通り抜けて、街のざわめきが遠くに霞んでいった。


 ──と、そこで俺の足が止まった。

 隣にいたはずの気配が、ふっと途切れたのがわかったからだ。


「……アルテミス?」


 振り返ると、少し離れた歩道の真ん中に彼女が立っていた。

 傾いた陽射しの中で、影を長く引きながら。

 何も言わず、何も動かず、ただじっと俺を見ていた。


 風に銀髪がなびいてる。

 瞳の奥に、微かな揺らぎが見えた気がした。

 表情自体は、いつも通りの無表情──なはずだった。けど、なぜだろう。

 やけに、残念そうに見えた。


 胸の奥が、ざらつくように痛んだ。

 焼けた鉄みたいに、じりじりと鈍い痛み。


 深くひとつ息を吸って、吐いて。

 そして俺は、駆け出していた。


「……ったく、ずりぃよ……」


 自分でも、誰に向けた言葉かわからないままに呟いた。

 足元の小石を蹴り上げながら、風を切って彼女のもとへと一直線に走る。


 気配に気づいたのか、アルテミスが目を見開いた。

 ほんの少し、肩が揺れる。


 ──その瞬間だった。


 俺は彼女の肩を掴んで、何のためらいもなく唇を重ねた。


 音も、言葉もなかった。ただの衝動だった。

 照れ隠しも、言い訳も、理屈もない。

 想いよりも先に体が動いてた。

 自分でも、予想できなかった。まるで本能に突き動かされるような感覚。


 やがて、そっと唇を離した。

 そのまま、彼女の額に自分の額をそっと触れさせる。

 お互いの体温が、そこに確かにあった。


「……ちょっとは、伝わったかよ」


 声は低くて小さくて、誰にも聞かせたくないような、秘密めいた響きになっていた。


 アルテミスは何も言わなかった。

 けれど──その瞳が、ほんのわずかに細められた。

 感情なんて持たないはずの彼女の顔に、ふっと浮かんだもの。

 ……あれは、たぶん、微笑だった。


 言葉なんて、いらなかった。

 でもきっと、この一瞬で、俺たちの間に何かが変わったんだと思う。


 世界は、また静かになっていった。

 高層ビルの向こうに沈みかけた太陽が、空を茜色に染めていた。


 どれくらいの時間が流れたのかなんて、わからない。


 俺はふっと空を見上げた。

 そこには、まだ星も見えない空が広がっていた。

 ……昔、弟と眺めた、あの空の続きのように。


 この先、何があるのか──そんなの、まだわかりはしない。


 でも、ひとつだけはっきりしてる。


 今、俺は彼女の隣にいる。

 そして──彼女も、俺の隣にいた。

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俺のアンドロイドが可愛いわけがない! 未人(みと) @mitoneko13

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