第三話 いにしえの契約とふたたびの罪②
新とのことを隠す必要はなかったのに、ひと気の少なくなった校舎を出、校門のところで百瀬を見つけたとき、朔夜はいつも通りの自分を取り繕っていた。
新に言い返すうちに自然と口にしていた決意や願いも、百瀬の前では『いつも通りの自分』の下に隠れてしまう。
そうして何事もなかったかのように並んで歩いている。
「百瀬、これあげる」
反射的に手を差し出した百瀬の手のひらに、朔夜は授業で縫った手毬のような小さな巾着を載せた。端切れを縫い合わせたもので、刺繍は入っていないが、さまざまな模様が繋ぎ合わされた可愛らしい巾着である。
男性には似つかわしくないそれを百瀬はすんなり受け取って、手の中でぽんと弾ませた。
「お守り。百瀬ったら、ハンカチをみっつもダメにしたでしょう」
どこで何をしたのよ、とは言わない。
「何を入れようかな」
「家の鍵。よく鞄の底で失くすでしょう、百瀬は」
「失くしているんじゃなくて、そこに仕舞っているんだよ」
しょっちゅう家の前で鞄を底まで探る羽目になっているくせに、そんなことを言う。呆れた目で彼を見やると、百瀬はにこりとやけに無邪気に笑いかけてきた。
その笑顔で、なんとなく、百瀬も朔夜に何があったかを知っていながら、口にしないでいるのかもしれない、と思う。
百瀬とのあいだには、言葉がなくても通じるものも、言葉にできないものも多すぎる。
それでも許嫁で、遠からず結婚して――結婚したら、こうしてそばにいることも、何かと面倒を見ることも、何もおかしくはなくなるはずだ。
けれどふと、心が重く曇る。
(でも、百瀬にとって、この結婚は……)
婚約は、朔夜の父からの申し出だった。それに百瀬の両親が一も二もなくうなずいたのは、彼らが臣下筋だったからとは言えない。彼らは百瀬を持て余していたのだと、今ならわかる。
百瀬にとっては、両親に差し出され、断る余地のない縁談だったことだろう。
「朔夜、どうかした?」
いつのまにかうつむいて、歩くのが遅くなっていたらしい。百瀬がするりと朔夜の手を取り、引き寄せながら顔を覗こうとする。
百瀬が心配してくれるのも、優しくしてくれるのも、そうするほかにないからだとしたら……。
そんなことはない、百瀬を疑うべきじゃないと、戒める言葉が頭をよぎるいっぽうで、何も疑わずにいられるほど子どもじゃないとも思ってしまう。
百瀬と手を繋いで隣を歩いているのに、不意に彼が遠く感じる。
それを百瀬には気づかれたくなくて、彼の手を握り返し、その頭にくっついたスイカズラの花をつまんだ。百瀬が、花を持つ朔夜の手もとに視線を落として柔らかに目を細める。
「甘い匂いがする」
さっき、どこかの家の生垣からはみだしていたスイカズラの下を通ったときのほうが、香りが強かったのに。
そう言い返すことはできなかった。向けられた百瀬の微笑に、つい見とれた。
白くたおやかな花が似合う優しい笑みだった。それを朔夜に向けるのは、ほかに何も選べなかった百瀬の運命なのかもしれない。
疑いたくなんてない。でも、かつて何も疑わず、無知であった結果、取り返しのつかないあやまちを犯したのだ。
(繰り返すわけにはいかないのだから……)
朔夜は捨てた花を目で追うふりをして、百瀬から視線をそらした。
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