第三話 いにしえの契約とふたたびの罪①


「……きりがないわね」


 空き教室におびき出した『影』を祓って、消えたあとの宙を睨む。

 ひとつひとつは弱々しく、簡単に祓ってしまえるものに過ぎないが、次から次へ湧いてくるのが厄介だった。

 そろそろ本腰をいれて調べるべきかもしれない。考えながら、今日はもう帰ろうと扉へ足を向けかけたとき、その扉が外から開かれた。


「『きりがない』で済むとは、さすが」


 皮肉げに唇を歪めて笑ったのは、村主新だった。

 いるはずのない人物に驚いたものの、朔夜はつとめて眉ひとつ動かさず、冷ややかな視線を返した。女学校の教室にそぐわない大柄な体が余分に忌々しい。


「ごきげんよう。私は不審者を先生に知らせないといけないから、失礼するわ」

「おれは妹の保護者として、用があって来たんだ」


 妹? と尋ねたくなったが、新と話をしていたくない気持ちのほうがまさった。女学校の『おねえさま』らしくと自分に言い聞かせて、軽くスカートの裾を払いながら背筋を伸ばす。


「先生に用事があっても、ほかの生徒に声をかけて、ましてふたりきりになろうとするなんて、礼儀がなっていないの。この学校の生徒の保護者としてもふさわしくありません」


 朔夜とて、百瀬や父親以外の男とふたりきりになったことはない。新に隙を見せたくないから平静を装いつつも、細く息を吐いて緊張を逃がす。


「お前がただの生徒だったら、声などかけない」

「ここでは私だってただの生徒よ。この学校がどんな場所かわかる? 女の子たちが、何ものにも脅かされず、笑って過ごすところ。あなたみたいなのが居ていい場所じゃないの」

「呑気に女学生ごっこをやっているわけか。己の役目も忘れて」

「誰かに都合よく利用されることを、役目とは思わない」


 朔夜は、静かだが厳しい口調で言った。頭の中がすっと冷えて、ただの女学生に戻れなくなる。

 どれだけ一緒に過ごしても、結局みんなとは違う。それがたまらなく寂しいのに、心のどこかが、つまるところ『朔夜』とはそういうものなのだとため息をついていた。

 普通の女学生でいたい。でも、ここで何もわからぬふりをし、淑やかに笑って立ち去ることなど、自分にはとうていできない。


「私たちの役目だなんて、それは、『使う側』だったあなたが言うべきことではないわ」

「役目を与えることで、化物どもに居場所を作ってやったというのに?」

「あなたにはあやまちばかりね」


 朔夜の声音に哀れみが混じる。それを感じ取った新がぴくりと瞼を痙攣させても、朔夜は淡々と続けた。


「相手を化物と呼ぶから化物になってしまう。そのうえ、非道な契約で服従させることを、『居場所』なんて言うのは、間違いよ」

「強すぎる力は災いのもとだ。それを御することで、我々は繁栄を手にしただろう」

「誰かを踏みにじって手にしたそれを、手柄のように言うの」


 朔夜は、かえってもの静かな夜の瞳で新を見返した。奥底には激情を秘めるけれど、新に対峙する朔夜の心は迷いない殻で鎧われ、傷つくことも、揺らぐこともない。

 そのまなざしのひたむきに、新がわずかに目を瞠り、気圧された己を悔しがるように唇をへし曲げた。


「かつても、今も、彼らを『化物』にしたのは、だわ」


 はるか昔、人は神と交わって力を手にした。やがて神と人とがわかれて暮らすようになって以来、力は薄まる一方で、今となってはほんのわずかしか残っていない。

 けれど神ではなく、あやかしと交わったと言われる者があった。そうして生まれた禁忌の子――百瀬はその末裔なのだ。

 神と交わった一族の者たちは、その忌み子の一族を蔑みながら、力を欲して契約で縛り、従えていた。

 神とあやかしとの確かな違いを、誰も知らないのに――ほんとうに禁忌を犯したのは、誰だったのかも。


「私は、昔と同じ轍は踏まない」

「すでに踏んでいるように思えるが」


 新の挑発を朔夜は受け流した。身のうちでは心臓が痛いほど大きく跳ねたけれど、呼吸を制して新から視線を外さない。


「変えるの、私が」

「変えられるものではない。血も、我々の役割も」

「血や、あやかしの存在を否定し、この国は新しい世を迎えたのでしょう。『事実』と呼ぶものを、変えていくことはできる」


 揺るがぬまなざしで新を見据える。それでもなお、新はとうてい納得したように見えなかった。


「お前ひとりで何ができる? おれと来るなら、その力ももっと活かせるだろうに」

「私には百瀬がいる。そして私に、あなたなんて必要ない」

「そう言うなら、あれを従わせていると認めたらどうなんだ?」

「許嫁よ。従わせているわけじゃない……」

「そうか?」


 新は嘲笑うように鼻を鳴らした。

 違う、と言うべきだったが、言えなかった。朔夜がどれほど言っても新は認めないだろう。そして百瀬の立場を客観視するなら、『そう見える』というのも、間違ってはいないのだ。

 言い争っても意味はない。朔夜は唇を噛み、黙って扉に向かって歩きだした。


「お前の言う『否定』は、人々の過ちだ」


 すれ違いざま、新は朔夜を睨み下ろしてつぶやいた。無視して横を抜けると、ここで事を構える気はないのか、追ってはこない。


 扉に貼っていた人避けの結界札を剥がして教室の外に出る。

 ぱっと視界が明るくなって、廊下の窓を見やりながら目を細めた。異界から戻った気分だ。

 空き教室のそばはひと気がなかったが、昇降口に向かっているうちに、生徒たちの話し声が聞こえてくるようになった。


「あなたたち、そろそろ帰らないとだめよ」


 声のする教室を覗くと、生徒たちが何人か、ひとつの机に集まってお喋りをしていた。名残惜しくいつまでもそうしてしまう気持ちはわかるけれど、間もなく下校時刻である。


「あっ、朔夜おねえさま、ごきげんよう」

「おねえさまも居残りですか?」


 居残りがばれて気まずいのか、少女たちは慌てて朔夜を振り返った。

 この教室は四年生のものだ。そのくらいになると、一、二年生に比べて随分お姉さんらしくなっているし、朔夜に対してもいくらか気安い。


「少し用事があったのよ。みんなも、遅くならないようにね」


 耳に聞こえる自分の声は、柔らかくほどけていた。だが教室の中に、わずかだが邪気の名残を感じ取り、思わず顔をしかめそうになってしまう。さっき祓ったアレが、ここの教室を通り抜けでもしたのだろう。

 少女たちには関係がないし、関わってほしくもないことなので、堪えて上級生らしい笑みを向けた。


「はぁい」

「さようなら、おねえさま」

「またね」


 彼女たちに応えるとき、意識せずとも頬がほころんだ。新と対峙していたときの冷たい強ばりはもうない。

 友人やいもうとたち、先生たちのおかげで、自分も女学生でいられる。

 朔夜はほっと安堵の息をついた。


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