~光の聖女が来訪です【前編】~

 太陽が天高く上る時間帯にも関わらず青一つない曇天。

 人里離れ、水気はなく、緑の気配が少ない荒れた大地。

 本来なら風と砂が擦れる音しか響かないその地が今日は珍しく騒がしい。

 

 灰黒の天蓋に地響きが反響し、群集の猛りと猛獣のような咆哮が空気を揺らす。

 物理的に風を切る音を奏でると同時、岩石の地形が強引に変わる。

 崩れた岩壁が、平屋の建造物並みの岩石を落として切り立った壁面に凹凸を生み出す。

 

 北から吹き抜ける風は岩場から砂を絡めて鼻腔をくすぐる。

 その中には血肉の香りが混じっているものの、そんなこと気にならないほどの衝撃がその場全員の視界を埋めている。


「前衛隊とは魔物の注意を集めよ! 中衛隊、前衛をカバーしつつ魔物の体力を消耗させるんだ! 後衛はその間に攻撃準備!!」


 爆轟響く中、負けない怒号で指示を出す。

 魔王と“鎧の勇者”との闘いで跡形も無くなってしまった元魔物群生地域である北方区域と、大陸西側に位置する宗教都市エルレムの間に位置する岩石地帯。

 

 そこで暴れるのは背に千の人を運べそうなほどの巨躯を誇る大型のサソリ。

 ハサミ型の触肢が硬い岩盤を豆腐のように砕き、尻尾のような終体は一振りで辺り一帯を更地に変え、尾節の針から撒き散らされる禍々しい色身を帯びている流動体が、地面や岩壁に付着するたび蒸発するような音と刺激的かつ熱を持った煙を放っている。

 硬質な外皮は剣や矢などの物理的攻撃を跳ね返し、左右四本ずつある先が鋭く尖った足が地面に突き刺さってその巨体を不動のものへと変える。

 

 そんな魔物を退治しようと集まっているのは宗教都市エルレムより派遣されし聖騎士達。

 鮮やかな藍がかった群青色の軍服のような正装、籠手や胴当てなどは純白で金色の縁取りがされている。

 羽織るマントの背中には十字の刺繍が施され、長時間の戦闘で薄汚れながらも清廉な印象を崩さない。

 女神の祝福を受けている彼らは魔を払う光の力を扱う魔物退治のエキスパート。

 

 しかしそんな彼らが束になっても、目の前で暴れまわるサソリ型の魔物に苦戦していた。

 

「「「“いと優しき女神様よ・我が祈りを応じたまいて・この盾に邪気払う光を宿さしめよ”……聖典第一章十五節——聖光楯纏セイコウジュンテン」」」


 前衛を担う盾隊がどっしりと構えて祈りを捧げる。

 麦色の粒子が人一人身を隠せるほどの大盾に集まり、曇天薄暗い岩石地帯に輝きを放つ。


「「「“光満ちる女神様よ・我が祈りを受けたまいて・穢れを断つ浄白の光をこの剣に集え”……聖典第三章七節——天ノ御剣アマノミツルギ!!」」」


 同じく前衛、攻撃部隊が抜いた剣を顔の前に構えて祈る。

 晴天の陽光のような白銀の光が剣に集まり閃々とした光輝で敵を威嚇する。


 サソリ型魔物は身体を回して尻尾のような終体を横に払う。

 盾隊数十人が並列してその攻撃を受け止める。

 押しつぶされそうな衝撃を受け止め、大地を踏み込み動かんとする足は骨が軋む感覚を伝える。


 盾に宿る光の力が、受け止めたサソリ型魔物の終体に僅かだがダメージを与える。

 魔物や魔族にとって光の力は天敵そのもの。

 触れるだけで焼けるような浄化作用が身体を蝕む。


 怯んだ魔物を間髪容れず攻撃部隊が前へと乗り出す。

 盾隊の隙間を抜けた前衛の攻撃部隊が、白銀の光を宿した剣で魔物を斬りつける。

 硬い外皮が剣を弾くも、光の力が少しだけサソリ型魔物の体力を削る。


「後衛部隊攻撃準備!!」


 指揮官の怒号に反応して、離れた場所に控える数十人は体勢を整える。

 片膝をつき、灰黒色の天蓋のその奥を見据えるように空を仰ぐ。


「「「“天つ御光を司り給う女神様よ・我が祈りを叶えたまいて・邪を砕く聖光を悪しき魔に注ぎ給え”……聖典第五章十一節——禊ノ雨ミソギノアメ」」」


 曇る空に星空のように点々と光が浮かぶ。

 魔物と直接対峙していた前衛部隊が巻き込まれないように撤退する。

 サソリ型の魔物は本能的に察してその身体を仰け反らせて空を見る。


 前衛部隊が撤退すると同時、空に浮かぶ輝玉から、雨のように光の矢が降り注ぐ。

 爆撃的な轟音が大気を揺らして、サソリ型の魔物が金切声のような鳴き声を上げる。

 光の矢が地面を砕き、暴れまわるサソリ型魔物の影響で砂煙が舞い上がり風に乗って周りの視界を奪っていく。


 今いる部隊で最大の攻撃手段。

 手応えはあった、がまだ安心できない。

 目に入り視界を奪う砂煙のその奥、動かなくなった魔物の姿を確認するまでは。


 しかし、それは叶わなかった。

 北から吹き抜ける風が砂煙を吹き流す。

 奪われた視界を取り戻した聖騎士団が目の当たりにしたのは、瀕死どころか数か所の掠り傷程度のダメージしか与えられていない現実。


 体力の消耗もかなわず、依然暴れる魔物の勢いはとどまることを知らない。

 勝機が消え、絶望のみが脳裏を過ぎる。

 

「怯むな!! 魔物が動いている限り我々の成すことは変わらん! 女神様の信徒たる力を見せつけよ!!」


 指揮官が鼓舞して下がった士気を取り戻そうとする。

 しかし状況は絶望的、たとえやることは変わらずとも希望の光が見出せなければ闘志も奮わない。

 なんとか戦意を繋ぎとめてはいるものの、どうしたものかと指揮官は目前の魔物を睨みつける。

 

「大隊長、ご報告です。聖女様率いる援軍がこちらに向かっているとのこと」


「それは実か!?」


 報告を受けた指揮官は驚くのと同時に瞳の奥に闘志が宿る。

 その報告を傍で聞いていた者は希望に目を輝かせ、その反応がさらに周りに伝わり伝染していく。


「皆の者! 聖女ルミナス様がこちらに向かっている! ここが踏ん張り時だ!」


 指揮官の鼓舞に呼応して、周りの聖騎士達は雄叫びを上げる。

 陣形を組みなおし、疲れた体を叩き起こし、震える足を前に出す。

 自分より何百倍も大きい生物に、勇猛果敢に立ち向かう。


 そんな戦場を遠くに見据える別動隊。

 岩地の上、死線で戦う聖騎士達同様、群青の正装に純白金縁の装備、風に吹かれて揺れるマントは今戦っている聖騎士達と違い小奇麗だ。


「戦況は?」


「あまり芳しくありません。死者はまだ出ておりませんが怪我人も多く攻撃が通用していない状況です」


「見たところ上級魔物ですからね。聖騎士長の方々がいないと厳しいでしょう」


 戦況を確認し、冷静に状況を分析する一人の少女。

 武装している他と違い、少女が手にするのは錫杖のみ。

 柔らかなセミロングの金髪は結い上げられることなく自然に揺れて肩から胸元へとかかって、澄んだ泉の底のように曇りを知らない翡翠の瞳が前髪の隙間から覗いている。

 幼く小柄な背丈は周りを取り巻く聖騎士達の中で埋もれそうなものだが、華奢な体を包むひらひらとした装束は白百合の如き純白で彼女が汚れなき祝福で守られているような印象が存在感を際立たせる。

 強く吹き抜ける北風に飛ばされてしまいそうな儚さを感じさせるが、暴れまわる魔物を見据える瞳は真っ直ぐで、透き通るような声には心強い芯がある。


 聖女ルミナス。

 女神の祝福を多大に受け、聖騎士団の最高戦力。

 その慈愛の微笑みは万人を救い、彼女が立ち寄る都市には女神の加護が授けられるという。


「ここからは慎重に近づきます。聖女様もお気を付けて」


「いいえ、ここからで大丈夫です」


「えっ、かなり距離がありますが……」


 魔物を相手取る聖騎士達が豆粒に感じるほどの距離で聖女は錫杖を構える。

 戦況を報告した聖騎士は困惑するも、それが杞憂であることをすぐに思い知る。

 聖女から感じる強い力、聖騎士達の光が夜空の星ならば、聖女の光は満月のような圧倒的存在感を放っている。


「“蒼穹を統べる主たる女神様よ・我が祈りを授けたまいて・魔窟まくつ封ずる聖耀せいようの 連環を顕現させたまえ”……聖典第八章二節——聖枷縛浄セイカバクジョウ


 静かに錫杖越しに祈る聖女。

 祈りを捧げ、その小柄な体に眩い黄金色の光が集まっていく。

 傍に居る聖騎士はまるで女神様が目の前に顕現なされたと錯覚してしまうほどの気配を聖女に重ねる。


 かなり遠くで有象無象を蹴散らす大型の魔物、その足元に魔物の身体がすっぽり入る巨大な円環が浮かび上がる。

 魔物の近くで戦っていた聖騎士達は一斉に退避し、円環の中には魔物一体を残すのみ。

 魔物は本能的に危機を察知し、円環の外へ飛び出そうとしたが円環に沿って空へと伸びる光の壁がそれを阻む。

 ハサミ型の触肢、尻尾のような終体、尾節の針、使えるものをすべて使いその光の壁を破ろうとするもかなわず、触れるたびに己が肉体を浄化の光で蝕まれ、足元から伸びた光の鎖がサソリ型魔物を拘束する。

 

 魔物から上げられる、思わず耳を塞いでしまいそうになる金切り音のような断末魔。

 縛る鎖はさっきまでまともに傷がつけられなかった硬質な外皮を砕いて抉り込み、浄化の力が毒のように魔物を細胞から破壊していく。


 さっきまで必死に戦い、圧倒的な強さに打ちひしがれていた聖騎士達は力が抜けたように座り込み、あっけにとられて目の前の惨状をただ見守るしかなかった。

 

 地形を容易に変えていた魔物の破壊的な動きが徐々に鈍くなり、硬質的な外皮が砕け落ちて、裂くような鳴き声は徐々に掠れて小さくなっていき、おそらく一分も経たない時間でサソリ型魔物は微動だにしなくなった。


 さっきまで感じていた命の危機も、魔物から感じていた恐怖も、今は一切感じない。

 あれほど荒々しかった魔物から生気を感じず、今度こそ倒せたことを確信する。


「やった……。聖女ルミナス様が魔物を討ち取ったり!!」


 前線で指揮していた聖騎士が高々と声を上げる。

 はるか遠く、されど目視できる距離にいる聖女に向かって拳を上げて快哉を叫ぶ。

 勝利と歓喜の声が風に流れて聖女ルミナスのもとに届き、安堵と慈愛の微笑みを聖騎士達に向けた。

 

「さすが聖女様。聖典第八章の力をあれほど遠くで、かつ精密に……。敬服いたします」


「いえ、わたしは最後の仕上げをしたに過ぎません。賛辞と労いの言葉はここまで必死に戦ってくれた彼らに送ってあげてください」


「承知いたしました」


「それにしても魔王がいなくなったというのに、魔物被害は一向に減る様子はありませんね」


「むしろ最近は活発化しているようです。冒険者ギルドと連携して被害を抑えておりますが、戦力不足は聖騎士団、冒険者ギルド両方の課題です」


「最近は西側の魔物被害にかかりきりでしたから、そろそろ東側にも足を運ばないといけませんね。そういえば冒険者ギルドサンドリア支部から応援要請がありましたよね? たしか一級冒険者パーティーが行方不明になったとか」


 聖女ルミナスに尋ねられ、傍の聖騎士は記憶を掘り起こす。

 冒険者ギルドのサンドリア支部から一級冒険者パーティーが港湾都市テルダムへ向かうついでに横切る森で確認された魔物の影を調査したっきり帰って来なくなった事件だ。

 

「その件に関しては情報が不明瞭だったもので優先度を低めにしていたのですが、どうやら冒険者ギルドの方で解決したようです。なんでも上級の魔族が関わっていたようで偶然冒険者登録しに来た冒険者が一人で倒したのだとか」


「上級魔族をおひとりで……。素晴らしい人材ですね」


「余談ですがその冒険者、誰もが目を惹くような麗しい少女のようですよ。第五階梯のスキルを扱うのだとか」


「それはこちらも心強いばかりですね。機会があればお会いしてみたいです」


「冒険者ギルドと連携していくためにも、有望な冒険者と親交を深めるのは良いことかと。それに聞いた話によると年齢も聖女様と近しいようですよ」


「それはますます興味深いですね。わたしはあまり同年代の子とお話する機会が少ないのでお会い出来るときが待ち遠しいです」


「そうですね。かく言う私も実は興味がありまして。なんせサンドリアではすでに隠れファンがいるほどの美人だとか。艶やかで雪のように白い髪は穢れを知らず、そこから覗かせる瞳は雪解け水のように澄んだ青、その抜群のプロポーションは同性からは嫉妬を超えた羨望の眼差し、しかしながら男顔負けの膂力は邪な視線を一切受け付けない……と、報告を受けております」


「それは凄い形容……です……ね」


 詩人の如き語りを見せる聖騎士に最初は微笑むルミナスだったが、その内容にとある人物が思い浮かんで徐々に小さくなる声と比例するように記憶の奥を辿る。


 たった一度、わずか数分、それでも鮮烈な記憶。


 目を奪われ、心惹かれた。

 人の気配に疲れたルミナスが、誰にも見つからない場所を探して彷徨っていた時、その人と出会ってしまった。

 人族最強と謳われた“鎧の勇者”。

 鎧の大きさから察する筋骨隆々な肉体、寡黙でその素顔を見た者はいない。


 いろいろな噂は飛び交うものの、ルミナス個人は武骨で厳つい顔を想像していた。

 しかし仮面を脱いだ勇者、現れたのは月光に白く輝く月下美人のような印象の少女。

 男顔負けの躯体だったはずなのに、今は凛々しくも女性らしい体格。

 深く息を吐く少女の声は鼓膜に心地よく、相手を怯ませるこもったような太い声だったのが信じられない。


 おそらくあの鎧は人々の認識を変える力があるようだ。

 などと冷静に分析する思考力は、その時のルミナスには無かった。


 その素顔の意外性、同性であるにもかかわらず目を惹かれる容姿。

 なぜ素顔を隠しているか分からない中で話しかけていいものだろうかと悩む。

 しかしながら、この人に近づきたい、この人と話してみたいという衝動が抑えられず、物陰から飛び出すルミナスの足は止まらなかった。


 拒絶されるかもしれないと思ったが、意外にも鎧の勇者は飛び出したルミナスを慌てる様子なく、朗らかな笑顔で迎え入れた。

 そこから二人の会話が途切れることなく時間は過ぎた。

 会ったのはその時のみ。

 お互いの立場的に会う機会も無く、堂々と会えるものでもない。

 それでも忘れられない思いを綴っていた。


 だからこそあの事件は衝撃だった。

 魔王と鎧の勇者が戦いの末、行方不明となった。

 世間では両方死亡したとされているが、ルミナスは信じられなかった。


 あの鎧の勇者が、たとえ魔王を相手にしたとしても負けるはずがないと。

 直接死亡を確認するまでは生きていると信じている。


 それでも一年、聖騎士団や冒険者ギルド、情報屋などいろいろ伝手を辿ったが一切の手掛かりがなかった。

 内心、本当に死んでしまったのではないかと思い始め、振り払うようにそんな考えを否定する日々。

 魔族や魔物と戦っている時はそんな思いを忘れられて、ルミナスはより任務に没頭するようになっていった。


 しかしそんな彼女の不安が、今の報告で希望の光へと変わる。


 第五階梯スキル、白い髪と空色の瞳、老若男女問わず目を惹かれる容姿。

 他人の空似? 誰かが鎧の勇者を装っている? ありえない、ありえるはずがない。

 あんな傑物、そうそう現れるものじゃない。

 あんな麗人、簡単に真似できるものじゃない。

 

 間違いない、その人は鎧の勇者だ。

 勇者様に違いない。

 生きていた、生きていてくれた。


 まだ会ったわけでもないのに、まだ可能性の域を出ていないのに。

 あふれる喜びが抑えられない。

 会いに行きたいという感情が止まらない。


 だけど、今のルミナスは聖女。

 聖女たるもの、私欲で動いてはならない。


「事情が変わりました。今抱えている仕事を終わらせてそのお方に会いに行きます」


「承知いたしました聖女様、しかしながら聖女様はここ最近根を詰めすぎている様子。明日はお休みして英気を養った方がよろしいかと」


「それもそうですね。少々気持ちが逸ってしまいました」


 聖騎士に諭されて、ルミナスは冷静さを取り戻す。

 生きていると分かった以上焦る必要もない。

 聖女としての役目を果たし、堂々と勇者様に会いに行く。


 心のしこりが取れて軽くなり、思わず表情が崩れるルミナス。

 最近張り詰めているように感じていた聖女の肩の荷を下ろした表情に、聖騎士は安堵して余談を続ける。


「しかしまあその冒険者、なにやら恋人がいるのだとか。少女とはいえ乙女のようですね」


 ハハハと冗談めかしく笑う聖騎士。

 しかし対照的に聖女の表情は固まっていた。


「恋人……こいびと? 恋人というのはあれですか。付き合っているとか意中の人とか運命の人とか相思相愛の人とか一番の理解者とか――」


「聖女様?」


「特別な人とか思いを寄せる人とか伴侶とか結婚相手とか蜜月な関係とか交際しているとか――」


「ちょ、聖女様?」


「✕✕✕しているとか****な時間を過ごしているとか▢▢を△△する関係とか――――」


「聖女様!? ストップです聖女様!? そんな言葉どこで覚えてきたのですか!?」


 暴走気味に捲し立てる聖女を鎮めようと近づいた聖騎士の両肩を掴んで、聖女は錫杖が地面に倒れたのも気にせず詰め寄る。


「――そういう関係ということでしょうか!」


「……えぇ、人それぞれではありますが一般的にはそういう関係ということで間違いないかと」


「再び事情が変わりました。今すぐサンドリアに向かいます」


「聖女様!? さすがに明日一日でサンドリアに到着するのは難しいかと」


「教皇様にお伝えください。聖女ルミナス、しばし休暇を頂きますと」


「いやそれは流石に……。聖女様? 聖女様ぁ!?」


 聖女の身の変わりように困惑しながらも、さすがに看過できないと説得を試みる聖騎士。

 しかしながら覚悟を決めた聖女の意思は固く、一聖騎士ごときが止められるはずもなかった――――。




 *****




 じっと見つめれば吸い込まれそうになるほどの快晴。

 天高く昇りきった太陽は目に見えないエネルギーを大地に注ぎ、呼応するかのように多くの生物が活発に日常を送る。

 三層構造の交易都市サンドリア、第二層では交易都市という名に恥じない賑わいが広がり、中央にある第三層では役人や上流市民が優雅に過ごしている。

 

 そして第一層、農作物実る田畑や起伏に富んだ平原が大半を占めるこの場所ではのどかな時間が過ぎていた。

 降り注ぐ陽光に草木は喜んでいるように青々と生い茂り、別の場所では放牧されている家畜達がまったりと過ごしている。

 第二層に目を向ければ忙しない喧騒が幻聴となって聞こえてきそうで、反対に目を向ければ広がる青い空と平原が心に余裕を作り出す。


 そんな第一層にある一軒家。

 周りには田畑も放牧地も無い平原で、太陽の光を受けて蜂蜜色に輝いている丸太が積み上げられて作られた外壁は木肌の温もりを残し、緩やかな勾配の屋根が草の青い香りを運ぶ風を受け流す。

 広大な平原で錯覚してしまいがちだが、その一軒家は三、四人でも余裕をもって暮らせるほどに大きい。

 ゆとりのある造りの玄関ポーチが客人を大らかな気持ちで出迎え、外からの光を存分に取り込める大きい窓が室内を自然光で満たす。


「確かここであってますよね……」


 ポツンと立つ一軒家を前にメモとにらめっこする一人の少女。

 身体の肌を隠す純白の装束は眩い陽光を反射して、左手に握られた錫杖の遊環が風に揺られて音を鳴らす。

 小柄な身体も相まって少し幼さを感じさせる紫外線など受けたことがないような玉のような肌、白いウィンプルからこぼれる金髪が風に揺られ、宝石と遜色ない翡翠色の瞳は期待と緊張に震えている。


 四段ある階段を一段ずつ上がり、玄関ドアの前で立ち止まる。

 大きく息を吸い、澄んだ空気を肺に取り込み小声で「よし」っと気合を入れる。


 コンコンコンとドアをノックする少女。

 木が小突かれる音から数秒後、中から女性の声がして扉から少し離れる少女。

 

 やっと会える。

 もう一度話せる。


 そんな期待が少女の胸中を支配し、ドアが開かれると同時に胸がギュッと締め付けられる。

 

「はいはい、誰だ?」


 しかしながら、多大な期待に反して中から顔を出したのは別人だった。

 漆のような艶やかな黒髪、夜闇に異質な存在感を醸し出す赤い月のような緋色の瞳、落ち着いた無彩色の服装と服の上から十分に伝わる曲線美と扇情的な魅惑を醸し出す肌。


 理知的、飄々とした、芯のある、気分屋。

 いろんな印象が入り混じって少女に流れ込んでくるも、それらが一切気に出来ないほどに人の形相の背後に感じる圧倒的な邪気が少女を襲う。

 目の前の存在を視界に入れた瞬間、全身の毛が逆立つのを感じた。

 冷や汗が止まらず、本能が逃げろと全力で警鐘を鳴らす。


 今まで対峙したどんな魔物よりも、今まで相対したどんな魔族よりも強い気配。

 邪悪で、醜悪で、卑陋。

 新鮮だった空気が重く感じて、両肩を掴まれたようなプレッシャーが押し掛かる。


 頭が理解する前に体が動く。

 ひらりとした服装に似合わない素早い動きで目の前の存在から距離を取る。

 そして流れるように錫杖を構える。


「“光源に坐します至高の女神様よ・我が祈りを抱きとめたまいて・万の邪に慈愛のしょうを顕現させ給え”――――」


「その力は女神の――――」


 少女に感じる光の力。

 誰もが眩く美しく心地よい印象を抱くその光を、ログハウスから出てきた黒髪の女性は危機的に感じて臨戦態勢に入る。

 いきなりのことだが止まる気配のない少女はそのまま続けた。


「……聖典第十章三節——聖天掌アマノタナウラ!!」


 黒髪の女性は天を見上げる。

 殺意や憎悪といったものが一切感じられないほど清々しい晴天。

 

 そこに現れるは視界ですべてを収められないほど巨大な、まさしく女神の姿の半身。

 布一枚を身体に巻き付け腰辺りで帯が緩やかに結ばれた身なり。

 片方の肩は露わで、もう一方は布が斜めにかかり、その落差が人為よりも神性を思わせる。

 装飾は最小限、しかしその控えめさが逆に神話に語られる美と威厳を際立たせ、淡い金色の光輝く身体は存在感と儚さを同時に醸し出している。


 信仰の篤い者ならばその姿に地に伏せ涙を流して祈りを捧げるだろう。

 そうでなくてもその存在に目を奪われて忘れられない記憶として刻まれるほどの存在感と安心感。

 女神様は見守ってくれているのだと、悪に染まってはいけないのだと、そう思わせるほどのインパクト。


 しかしながら黒髪の女性にとってはありがたい存在では断じてない。


 現れた女神はその巨大な掌を黒髪の女性に向けて近づける。

 俯瞰して見るならば叩くわけでもなくゆっくりと置くように近づけている掌だが、黒髪の女性にとって迫りくるその巨大な掌は、一呼吸する間もない速さで煌々と視界を奪い圧し潰されそうな圧迫感と緊張感を与える兵器そのもので。


再現魔法トレースマジック――次元術式ディメンションスペル三重の世界トリプルレイヤー】」


 黒髪の女性の中にある力が大きく揺らぐ。

 掌が直撃するまでの残り二秒半、辺り一帯を占める巨大な魔方陣が現れた瞬間に消え、間髪容れず黒髪の女性がいるログハウスの周りに魔方陣が浮かび上がる。


 平原にポツンと立つ一軒家ごと黒髪の女性に光の掌を乗せる女神の化身。

 衝撃が空気を揺らして轟音を響かせる。

 掌を中心に草は仰け反り、押し出された空気は戻ろうと収束を始める。


 女神の手の下には手形のクレーターと潰れたログハウスがあり、悪しき存在は浄化され跡形も無くなったであろう。


 ――――と、思っていた少女は目の前の光景に目を丸くする。


「いきなり攻撃するとは女神の祝福を受けた者は野蛮だな」


 平原の草木は穏やかに風に揺られ手形のクレーターはなく、ログハウスも健在。

 そして何より、悪しき存在は浄化されるどころか余裕の表情で立っている。

 その飄々とした表情には敵意は感じられないものの、当たり前だが好意的では一切ない。

 

「わたしの力が通じてない!?」


 再び錫杖を構える少女に黒髪の女性は冷静に制止する。


「無駄だから止めておけ。今お前はこの世界に居て、この世界に居ない。どれほど強力な力を使おうが私には届かない」


「……どういうことですか?」


 冷静な黒髪の女性に対して少女は敵意むき出しで返す。

 そんな反応をされては敵対心が出てきても不思議ではないが、黒髪の女性は気にも留めず疑問に答える。


次元術式ディメンションスペルは次元を分ける魔法だ。今この場所にはただの平原が広がる世界と、お前のいる世界と、私と家がある世界が重なっている状態。お前がどれほどの力を使おうが、別の次元にいる私には届かないし、同時に私の攻撃もお前には届かない。私の世界とお前の世界の視覚情報と聴覚情報はリンクさせてるから互いに見えてはいるし、声も届くが実態はそこにはない。いろいろと制約や制限があるから使い勝手は悪いが平和的に対話を求める場合には重宝している」


「……そんな魔法ありですか。やはり貴女は野放しにはしておけません。六冥尊かそれに並ぶ上級魔族ですね」


「さすがに女神の祝福を多大に受けた奴の眼は誤魔化せないか。だが私に戦闘の意思はない。冷静に話し合おう」


「魔族が話し合い? 信じられるわけないでしょう」


「信じる信じないは勝手だが、今は互いに何もできない状態だ。争っても仕方がないだろう?」


「これほどの魔法、長く持つとは考えにくい。貴女の魔力が切れたとき、それが貴女の最期です」


「魔力切れはありえ――――あー、そうだな。その時はサンドリアの連中を魔力に換えるとしようか」


 黒髪の女性はサンドリアの第二層の城壁を指さす。

 城壁の向こう側には多くの人々が暮らしている。

 人を魔力に換えるなんて聞いたこともないが、その圧倒的な存在感と一切隙のない表情に嘘やブラフの可能性を少女から消し去る。

 サンドリアの住人を人質に取られ少女はなす術もなく歯噛みする。

 

「卑怯な」


「不意打ちは卑怯にならないのか? ……まあそのことは許してやる。お前の選択肢は二つ。サンドリアの住人を犠牲に私と殺し合うか、私の案に乗り対話の席に着くかだ。ちなみに後者なら飲み物と菓子が付いてくるぞ」


 目の前の存在を倒さなければならない立場だが、聖女とは人々を救う使命がある。

 サンドリアの住人を見捨てる選択肢など少女にはなかった。


「分かりました。矛を収め、話し合うことを誓いましょう。ですので関係ない人を巻き込むのは止めてください」


「よろしい」


 黒髪の女性は満足げに笑い指を鳴らす。

 パチンと軽い音を合図に、少女は浮くような感覚が僅かに過る。

 ほんの一瞬の感覚で特に何かをされたわけではない。

 しかし頬を撫でる風の感覚や衣服越しに感じる太陽の熱が、分断されていた世界とやらが一つになったことを少女に理解させる。


「さあ遠慮せず入れ」


 黒髪の女性はログハウスに入る。

 先ほどまでの殺気立った雰囲気が嘘のように平和な景色が少女の視界に収められる。

 何の変哲もない目の前の家に、今まで出会ったこともない邪悪な存在がいる。

 ここに来たばかりの時とは違う緊張感が少女の胸中を支配するも、少女は言われた通りにお呼ばれする。

 扉を開けてすぐに出迎えるリビング。

 テーブル一つに四脚の椅子、そこから見えるキッチンはとても綺麗に掃除されている。

 魔族が住んでいるにしては平凡で、行き届いた掃除は文句のつけようがない。


「紅茶に珈琲、ジュースに牛乳、何がいい? 大きくなりたいなら牛乳にしておくか?」


「誰の身体が幼児体型ですか。お水で結構です」


 やや不機嫌に少女は椅子に座る。

 頬を膨らまし、隙を見せまいと気を張る少女に黒髪の女性は笑みを浮かべて客人を出迎える準備をする。

 菓子と紅茶の甘い香りが部屋を満たし、少女の警戒心が和らぎそうになる。


「水で良いといいましたが?」


「まーそう言うな。これは私のお気に入りでな。アップルパイとよく合うんだ」


 少女の前に置かれたティーカップ。

 白い陶器に湯気立たせる深い赤色の液体が覗き込む少女の顔を映し出す。

 その横には切り分けられたアップルパイ。

 シナモンの香りが温かな蒸気とともに立ち上り艶やかなパイ生地の隙間からは煮詰められたリンゴが覗いている。


 黒髪の女性は自分の分の紅茶とアップルパイを用意し、少女と対面する形で席に座る。

 カップの受け皿を持ち上げ紅茶を味わう黒髪の女性はとても人間らしく、同時に感じる強い邪気との差異で違和感が拭えない。


「どうした、飲まないのか?」


 少女は出されたものを念入りに調べる。

 色、香り、カップの持ち手。

 調べたところ特に何もなく、少女の疑念に満ちた目はそのまま目の前の存在に向けられる。


「毒でも入れられてると思ったか? そんなつもりは毛頭ないし、そもそもお前に毒が効くとは思っていない」


 そう言われて、少女は恐る恐る出されたものを口に入れる。

 コクのある甘い味わいが口の中に広がり、穏やかな香りが鼻から抜ける。

 アップルパイもまた柔らかいリンゴの酸味と、焦がしバターの風味が程よく混ざり合い舌の上で静かに溶けていく。


「美味しい……」


 思わず本音が漏れる。

 緊張感が解け、警戒心が薄れる自分に気が付き、少女は自分に喝を入れる。

 そんな姿を楽しむ黒髪の女性は余裕綽々としていて、掌の上で転がされているかのような敗北感が少女を襲う。


「で、稀代の聖女がこんなところに何の用だ? 聖騎士共は今、西側の魔物で手一杯と聞いていたが?」


「なっ!? どうしてわたしが聖女だと」


 驚く聖女に黒髪の女性は冷静にカップを置く。

 そしてテーブルに肘をついて手で顎を支え、その緋色の瞳が聖女を観察する。


「魔族にとって天敵とも言える浄化の光を扱えるのは女神の祝福を受けた人族。祝福を強く受ければ受けるほどより多くの“聖典”と言われる書物を読むことが出来る。聖典の第十章と言えば最高クラスの力。使えるのは教皇と聖騎士長……そして聖騎士最高戦力にして女神の依り代とも謳われる聖女ルミナスのみ。加えてそれだけの力を使ったのに疲労の様子が窺えないとなれば聖女一択。もっというなら聖女の特徴と外見が一致しているから疑う余地はない」


「外見ですか?」


「光の聖女に相応しいブロンドの髪、人々を癒す慈愛に満ちた翡翠眼。そして何より、穢れを知らなそうな幼児体型」


「失礼な! 確かに慎ましやかだと自覚してますがまだ成長期なだけです!! ……失礼取り乱しました。えぇ、貴女の言う通り、わたしの名はルミナス。周りからは聖女という肩書で呼ばれています。さあ、わたしは名乗りましたよ。今度は貴女の番です。あれほどの力、滲み出る邪気……ただの魔族なんて言わせませんよ」


 聖女ルミナスの慣れていない睥睨が言い訳や嘘、逃げることを許さないと訴えかける。

 しかし逃げるつもりは一切ない女性は不敵な笑みを浮かべて聖女の問に答えた。


「もう分かっている通り、私は魔族。今はマオと名乗っている。そうだな……北方区域で城を構え、鎧の勇者と共に消息を絶った存在。お前達にも通っている名を言うのなら――――私が魔王だ」


 その正体にルミナスは思わず呼吸を忘れる。

 艶やかで星々輝く夜空のように美しい黒髪、不気味で誘惑的な緋色の眼光。

 見た目はさも絶世の美女そのもので、しかしその正体は魔族の王。


 嘘をついているにしては堂々とした笑み、虚勢を張っているにしては説得力しかない覇気。

 鎧の勇者との闘いで消息を断ち、世間では死んだものとされている亡霊。


「貴女があの魔王……てっきりもっと異形の姿かと思っていました」


「魔族と言っても私のような外見は人族そっくりの魔人もいれば、お前達が想像する悪鬼羅刹の見てくれをした悪魔もいる。必要なら吐き気を催す邪悪な姿に変化してやってもいいが?」


「結構です。で、どうして魔王がこんなところで人と同じように暮らしてるんですか? それにここは鎧の勇者様の家のはずですが?」


「鎧の勇者様? お前がここに来た理由は勇者に会いに来たというわけか。ならば問おう。お前と勇者はどういう関係だ?」


 鋭い眼光がルミナスを射抜く。

 上がっている口角に似合わない、睨みつけるような眼にルミナスは畏縮してしまう。

 しかし相手が魔王だとしても、ルミナスは聖女。

 ここで逃げるわけにはいかない。


「同じ宿命を背負い、二人だけの秘密を共有した……とても親密な関係とでも言っておきましょうか」


「ほう? その言葉、見栄を張っているだけなら訂正した方が身のためだぞ?」


 魔王から発せられる黒い覇気。

 肺が麻痺して空気が薄く感じ、今にも圧し潰されそうなプレッシャー。

 それでも聖女としての立場が、勇者との思い出が、女神の祝福を受けた身の使命がルミナスに勇気を与える。

 

「訂正はいたしません」


「よろしい、なら――――」


 魔王の手がルミナスに伸びようとしたその時、


「はいそこまで!」


 扉から制止の声が響く。

 その声はルミナスにとって鼓膜に刻まれて忘れられないもの。

 聖女としての期待が圧し掛かり、立場が逃げることを許さない状況で精神的に落ち込んでいた時に勇気をくれた。


 人族最強にして世界の守護者とも言われた鎧の勇者。

 ルミナスにとっては希望であり、恩人であり、憧れであり、尊き存在。

 

 魔王から目を逸らす危険性を無視してでもルミナスは声の主を確認した。

 光を受けるたび淡い銀や薄氷のような透明感を帯びて触れれば溶けてしまいそうな儚さを纏う白い髪の毛先が首筋でさらりと揺れる。

 冬の夜明け前の空を閉じ込めたかのような澄んだ青い瞳は静かで冷ややか、だが一度視線を絡めれば逃れられない吸引力を持っている。

 スラリと伸びた四肢は男女ともに通じるくらい誘惑的で、衣服越しでも分かる自然な曲線は女性らしさと気品の均衡が奇跡的に保たれていた。


 昔のようなフルアーマーではないにしても、銀色に輝く胸当てやガントレット、ショートパンツから伸びるすらりとした足を守るハイソックスとレッグアーマー、左腰に携える片手半剣が鎧の勇者の名残を感じさせる。 


「マオ、小さい子になんて気を出してんのよ」 


 不安が絶望に変わり、絶望が期待になって、期待は希望へと至る。

 焦がれた存在が確かに目の前に現れて、ルミナスはあふれる思いで涙がこぼれる。


「ゆう……者様……」


「ん? もしかしてルミナス!?」


「勇者様!!」


 込み上げた感情がルミナスの足を本能的に動かす。

 両手を広げ、金属製の胸当てをしていることなど気にせずその胸に飛び込むルミナス。


「ったぁ!?」


 驚き固まる鎧の勇者に抱き着こうとしたルミナスは、なぜか浮遊感とともに地面に転がる。

 何が起こったのか分からないルミナスは転んだ痛みなど気にせず再び勇者に抱き着こうとするも、なぜか触れられず小さな手は勇者の身体をすり抜ける。


 混乱し動揺するも、ルミナスはこの状況と同じ事象を少し前に体験したばかりで。


「ちょっと魔王! またわたしを違う世界に飛ばしましたね!?」


「あー悪い。感動の再会だろうから大目に見ようと思ったんだが、ユウが他の女に抱き着かれると思うとつい……」


 マオは指を鳴らして別次元に移したルミナスを元に戻す。

 そして今度こそ、ルミナスはユウに抱き着き本当にここに居ることを確認する。

 そんなルミナスにユウは最初こそ戸惑うも、すぐに表情を緩めてルミナスの頭を優しく撫でた。


 その光景に黒い感情が胸中を巡るも、マオはその感情を流し込むかのように紅茶をすする。


「で、随分と早い帰りだな。冒険者ギルドに良い依頼が無かったのか?」


「違うわよ。仕事を選んでたらアンタの強い魔力を感知したし、外に出てみれば家の方に巨大な人のなんかが現れてたからすぐに戻ってきたのよ」


「簡単に言っているがここから冒険者ギルドまで数十キロあるし、聖女の居た世界とユウに居た世界は視覚共有させてないし、聖女が来てからまだ十五分くらいしか経ってないし。魔族の王と謳われた私がドン引きするような察知スキルと慧眼スキルと身体能力だな」


 少し呆れるように、それでいてそうでなくてはと満足そうな笑みを浮かべたマオはユウの分の紅茶とアップルパイをテーブルに並べた。

 そしてユウも席に着き、役者が揃ったと言わんばかりにマオは話を切り出す。


「さて、ユウも帰ってきたところで話を進めたい。……が、その前に何故ユウはそっちに座っているんだ! お前はこっちに座るべきだろう!!」


 マオは自身の隣の椅子を引いて主張する。

 テーブルに据えられた椅子は四脚。

 入り口側の二脚と、奥側の二脚。


 奥側にマオが座り、入り口側にルミナスが座っている。

 わざわざマオは自分の隣にカップなどを置いたが、ユウはそれを移動させてまでルミナスの隣に座った。

 ルミナスは甘える子猫のように席を近づけてユウの肩に頭を寄せている。


「こんな女の子にあれだけの殺気をぶつけといてアタシまでそっち側に座ったらこの子が委縮しちゃうじゃない。それに座るべきというならマオとルミナスは席が逆よ。客人や目上の人は上座、奥側に座らせるのがマナーよ」


「人族のマナーなど知ったことか。それに目上というなら私の方が格上だろう」


 言い返すマオにユウはため息をこぼす。

 そしてルミナスに優しく微笑んだ。


「ゴメンねルミナス。普段アタシには素直でいい子なんだけど、今日はちょっと拗ねてるみたい」


「拗ねッ……まぁいい。じゃあ本題に戻るぞ。魔族の私が何を言っても聖女は信じられんだろうからな。鎧の勇者であるユウが立会人になれば信憑性も増すだろう」


「確かに勇者様の言葉ならカラスは白いものだと言われても信じる自信はありますが……」


「ルミナス、盲目的な信用は身を滅ぼすわよ。あと今は勇者じゃないからその名で呼ぶのは控えてほしいの」


「……分かりました。では、おっ……お姉様とお呼びしても?」


 ルミナスは上目遣いで懇願する。

 庇護欲を駆り立てる人形のような見た目のルミナスに、そんな風にお願いされて断れるはずもない。


「別に構わないわよ」


「はい! お姉様!」


「年齢で言えば二百年生きている私はユウやお前よりも年上になるからお姉様とやらに分類されるのか? 魔王という肩書も今は使っていないし」


「なら魔王と呼ぶのは控えましょう。そうですね……ではこうお呼びしますね、小母様おばさま


「おばッ――、なら私もガキんちょと呼ばせてもらおうか」


「がきっ……わたしはもう十六です! それに貴女と違って聖女でもルミナスでも名や立場を隠す事情はありません! わざわざ呼び方を変える必要はないでしょう!!」


「ガキんちょ、ロリ聖女、ロリナス、小娘……好きなのを選べ」


「…………この魔小母様!」


「いい加減にしなさい」


「「痛っ!?」」


 バチバチと火花を散らすマオとルミナスの頭をユウは小突いて仲裁する。

 マオとルミナスは衝撃に頭を押さえながらユウの方を見た。

 別に怒っているわけでもなさそうだが、これ以上は時間の無駄で、今度こそユウに本気に怒られそうで両者ともに冷静に場を鎮める。


「失礼取り乱しました。ではマオさんとお呼びします」


「なら私も聖女と呼んでおこうか」


 取り急ぎの仲直りをしてマオとルミナスはユウの様子を窺う。

 満足そうに紅茶を飲んでいたユウにマオとルミナスはホッと胸をなで下ろす。


「で、魔王と呼ばれた私がどうして人と同じように暮らしてるかだったか? それは簡単。私は鎧の勇者たるユウと付き合っているからだ」


 簡単と言った割にはルミナスがその言葉を理解するのに時間を要した。

 付き合っている? 恋人が居るとは聞いていたがまさかの女性? 何故敵対していた魔王とそんな関係に? 恋人としてどこまで進んでいるの? お姉様はもうこの人のものなの?

 いろんな疑問が胸中を過ぎり、喪失感や悲壮感に似た感情が込み上げるも、一個人よりも聖女としての質問に切り替える。


「ど、どうしてお姉様とマオさんがそんな関係に? 何がどうしたら戦った相手と恋人になるんですか!?」


「殴り合って友情を固めるみたいな話があるだろう?」


「いやそんな男の人の友情物語みたいな展開が起こるんですか? ましてや人族と魔族、付け加えるなら殴り合いじゃなく殺し合いですよね?」


「敵国の王子と姫が恋に落ちるなんて展開は創作においてありきたりだろう? 事実は小説より奇なり。創作である展開が事実に起こったとしても何ら不思議ではない。簡単にことの経緯を説明すると、私とユウは三日間殺し合ったわけだが、互いに決め手も作れなければ消耗の気配もない。そこで私は誤解を解くことにした」


「誤解ですか?」


「そうだ。普段なら誤解を解いたところで意味のない時間を過ごすだけだが、ユウの場合は誤解を解く方が早いと思ったからな。人族が抱いている魔族に対する認識を正すことにした。聖女、お前にとって……お前達にとって魔族とはなんだ?」


 マオに尋ねられてルミナスは自身の認識を言葉に紡ぐ。

 人族の魔族に対する認識など分かりきったことで、今更言葉選びをする必要もない。


「魔族とは瘴気を好み、体内に魔力を宿し、魔法という力を行使する存在。瘴気の濃い北方区域に城を構え、魔王を筆頭にした魔王軍は六冥尊、その下に上級から下級の魔族、魔族に従う魔物がいます。他種族の命など気にしないその振る舞いは、人族だけでなく亜人族や妖精族にとっても脅威であり、敵です」


 ルミナスは自身の認識を述べた。

 その瞳には一切の迷いがなく、自分の持っている価値観を疑う様子はない。


「では誤解を解いていこうか。まず魔族の生態については認識の通りだ。瘴気を好み、魔力を宿し魔法を使う。だが合っているのはそれだけだ」


「それだけ……ってどういうことですか?」


「まずお前達が敵と認識している魔王軍だが、そもそもそんなものは存在しない」


 マオが告げた情報にルミナスは耳を疑い思わず声を張り上げた。


「そ、そんなわけありません。第一、貴女は魔王と呼ばれているではありませんか?」


「私を魔王と呼んでいるのは他種族のみだ。そもそも魔族は同族意識はあっても仲間意識はない。魔族が死んだとしても悲しみはしないし、自分にとって害悪になるなら平気で同族を殺すような種族だ。私が北方区域の城に住んでいたのは瘴気が濃く、他種族があまり寄ってこないからだ。魔王と言う肩書に執着はないがその肩書が便利な時もあって使っていただけに過ぎん」


「じゃあ六冥尊も他種族が勝手につけただけで、本人に自覚は無いと?」


「自分がそう呼ばれていることは認知しているだろうがな。お前たちが六冥尊と呼んでいる魔族はおろか、下級魔族ですら私を魔王と呼んでいないし認めていない。むしろ魔の王を名乗るなどおこがましいと思っている奴もいるだろうな」


「ではどうして魔族や魔物は他種族を襲うのですか?」


「魔族とは己が欲望に忠実だ。聖女が言っているのがどの魔族か知らないが、そいつが他種族を攻撃したというのなら、それはそいつにとって利益があったからというだけ。人族だって自分が得をするために同族や他種族を攻撃したりするだろう? その度にお前は人族という括りで咎めるのか?」


「それは……そうかもしれませんが。つまり魔族にも良い人はいると?」


「勘違いするな。善悪の話ではない。利害の話だ」


 ルミナスの捉え方を正すマオにユウは立会人ながら口を挟んだ。


「良い奴もいるってことにした方が話早かったんじゃ?」


「間違った認識は時に身を滅ぼす。良い奴もいるというふうにしたら、おそらく聖女は魔族の言葉に耳を貸し、簡単に信じてしまうかもしれない。いいか聖女、魔族が言葉巧みに何かを言っているのであればそいつの目的を把握しない限り信用するな。魔族は目的や利益で動く。人族のように情で動くことはない」


「それはつまりマオさんも自分の利益のためにお姉様とお付き合いしていると?」


「そうだな。それは否定しない」


 ユウを目の前に、マオはあっさり認めてルミナスは虚を突かれた気分になる。

 しかし一度紅茶を飲んで落ち着きを取り戻し、次の問答へ。


「では魔物はどう説明しますか? 貴女が居なくなったとされる今でも魔物被害は収まるどころか酷くなっている次第ですよ」


「それはそうだ。魔族と魔物はそもそも別の生き物だからな。魔法で魔物を作る魔族もいるが、基本的に魔物とは普通の生き物が瘴気に当てられて突然変異した個体に過ぎない。だから仮に魔族を全滅させたとしても魔物が居なくなることはない。……正直言うと魔族を滅ぼせば魔物変異率を下げることは出来るがな」


「それはどういう……」


「魔力をエネルギーに魔法を使うわけだが、消費した魔力すべてを魔法に費やすわけではない。どんな高尚な魔族であろうと変換しきれない魔力が周囲に散布される。その魔力は草木や土、空気に溶け込み時間が経てば瘴気へと変わる。つまり魔族を滅ぼせば瘴気が薄くなり魔物化するリスクは下がる」


 マオの真意が分からずルミナスは戸惑う。

 今聞いた情報は魔族を倒す大義名分になりえる事項。

 聖女として今の情報は聖騎士団および冒険者ギルドに報告するべき情報だ。


「何故それをわたしに? 今の情報を聖騎士団や冒険者ギルドに伝えれば、魔族を倒す理由になりますよ?」


「知られたところで私の命に届き得るのは鎧の勇者ただ一人。それに今の情報を教えたことで聖女の信用を得ることが出来る。だから言った」


 舐められているという事実をルミナスは否定できない。

 それは聖騎士団最高戦力と言われた聖女のルミナスですら、目の前の存在を倒すことは無理だと理解してしまったから。

 悔しさという感情を魔族に抱くとは思っていなかったが、今はその事実を受け入れるしかない。

 

「魔族にとって魔物とは他の動物と差異は無い存在。魔物化して人を食いまくる犬だろうが、屋敷でぬくぬくと甘やかされて育てられた小型犬だろうが、私にとっては同じ犬だ」


 マオから語られる魔族の生態。

 確かにこの内容は鎧の勇者無しに聞いては信じられないものばかりだ。

 静観するユウが発言の信憑性を大きく上げる。


「貴女の言っていることが事実として、どうしてそのことを世間に訴えないのですか。謂れのない罪を問われ、敵として認識され命を狙われているというのに」


「時間の無駄だからだ。魔族が己が欲のために他種族を殺している事実、魔物の生態に魔力が関わっている事実、魔物を操る魔族がいる事実。他種族が魔族を敵視する理由などいくらでもあるし、魔族が敵の方が都合がいい連中も多い。魔族に身内を殺された奴らも少なくない。かくいう私も正当防衛とはいえ城に来た人族を殺したこともある。もう魔族の認識は簡単に変えられるものではないし、変えたところで私に利も無ければ害もない。つまり、意味がない」


「なら私が――――」


「言っておくが今話したことは誰にも言わない方がいい。そんなつもりで話したわけではないしな。聖女たるお前が今の話を公表した場合、聖騎士団はお前を切り捨てることを厭わないだろう」


 世界の秩序を守る為、与えられた役割を全うするため、時には事実を隠す必要がある。

 それはルミナスの正義感を問う事実だが、これもまた受け入れるしかない。

 幸いマオ自身が魔族の認識を改めることを望んでいないのが唯一の免罪符だろうか。


「魔族という存在、改めて把握しました。最後に一つ、聞いてもよろしいでしょうか?」


「ああ構わない」


「貴女にとって人族はどういう存在ですか?」


 ルミナスの質問にマオは自身の見解、その言語化に努める。

 ルミナスの真意は今のマオの立場。

 いくらユウの恋人だからといって、人族の敵になるのであれば戦わなければならない。

 

「…………分からない。分からなくなってしまった。だからこうして過ごしている」


 理知的で、理性的な印象を抱いていたマオから初めて返ってきた不明瞭な返答。

 その表情に動揺や戸惑いはなく、「分からない」という答えがマオの中に確かなものとして存在していることを理解する。


「今の回答じゃ不満か?」


「……いえ、今の貴女にとって人族を襲う利害が無いことは十分に伝わりました。お姉様も傍にいますし、大丈夫でしょう。ですので貴女のことは聖騎士団には報告しないことにします。下手に手を出して敵対されても困りますし」


「賢明な判断だな」


 問答を終えた二人は同時に紅茶を最後まで飲み干す。

 話し続けて乾いた喉が潤い、疲れた頭に糖分が巡り落ち着きを取り戻す。

 そんな二人を見届けて、ユウは空気を変えるように手を叩いた。


「さ、無事話は終わったようだしもう今日は仕事する気にならないわね。ルミナス、今日泊まっていく?」


「良いのですか!?」


「断固として却下だ!!」


 ユウの提案にルミナスは目を輝かせ、マオは速攻で否定する。


「いいかユウ、聖女のことを認めはするが、私とユウの空間に一夜邪魔する権利を与えたつもりはないぞ」


「まぁまぁ。お姉様もこう言ってはいますし。わたしも西側からここまで来るのに少々疲れてしまいました」


「は? 調子に乗るなよ小娘」


「子供なわたしに大人の余裕を見せてください、小母様」


 さっきまでの冷静でいて理性的な話し合いが嘘のように睨み合うマオとルミナス。

 そんな二人の頭をユウは再び小突いた。


「「痛ぃ!?」」


「はいはい喧嘩しない。マオ、ルミナスの力があれば例の件、進展するんじゃない?」


「それは承知している。だからこうして場を設けているわけだ。だがそういうことなら今からこの聖女に動いてもらえばいいだろう?」


「そりゃまあルミナスが疲れていないならそれでもいいけど。マオに対して結構な力を使ってたみたいだから万全を期すなら明日の方がいいかなと思っただけで」


「聖女があれくらいでへこたれるものか」


「お姉様、お恥ずかしながらわたしは少々疲れてしまいました」


「ダウト! 聖職者が嘘をついていいのか?」


「嘘はついてませんよ。魔王と相対していたのです。疲弊しても不思議ではないでしょう?」


 マオとルミナスは睨み合い、ユウに詰め寄る。


「ユウ、この女と私、どっちを優先するんだ?」

「お姉様、マオさんとわたし、どちらを優先してくださるんですか?」


 二人の圧にユウはたじろぐも、マオを連れて別室へ移動する。

 不機嫌そうなマオの様子を窺いながらユウは両手を合わせてお願いする。


「ルミナスとは一度しか話したことなかったけど、同じ境遇だったからかアタシにとってほっとけない妹みたいなものなのよ。だからマオにも仲良くなって欲しいの。まー種族的に受け付けないのなら一日だけ我慢してくれればいいから。明日例の件を片付けて帰ってもらうから、お願い」


 ユウは甘えるような声でマオに懇願する。

 種族云々は関係ない。

 ただ他の女を、特にユウに特別な感情を抱いている女を泊めるのが個人的に嫌なのだ。

 

 しかし、少し身長が高いユウの上目遣いはすべての願いを聞き入れてしまいそうな誘惑がある。

 マオは悩み、葛藤して、唸りを上げながらも折れる。


「……分かった。だが一日だけだからな。明日には帰ってもらうからな」


「ありがとマオ♡」


 ウインクして機嫌よさそうにするユウの笑顔に、マオはもう何も言うことは出来ない。

 話し合いを終えてリビングに戻るとルミナスは大人しく、少し不安げな表情で待っていた。


「マオのオッケーももらったから今日は泊まってって。服は少し大きいけどアタシの適当に貸すし」


 泊りの許可にルミナスは嬉しそうにしたのち、複雑な表情でマオを見る。


「ま、マオさんも、許してくださってありがとうございます」


 魔族に礼を言うなど初めてだろうが言葉を絞り出すようにしながら律儀に礼をする。

 礼を言われたマオもまた、こそばゆい感覚に耐えながらも冷静さを取り繕い、


「ゆ、ユウに言われたからな。仕方なく……まー仲良くしてやらんこともない」


「……フフ、なんですかそれ」


 目を逸らしながらのマオに、ルミナスは笑顔で返した。

 そんな二人の様子をユウは微笑ましく見守って、


「じゃ、決定ってことで、お風呂でも沸かすわ。うちのお風呂結構広いのよ。あ、せっかくだしルミナス一緒に入る?」


「良いのですか!?」


「断固として却下だ!!」


 ユウの提案にルミナスは嬉々として、マオは拒絶する。

 そんな一悶着、ユウの説得を幾度も繰り返して、あっという間に夜になった。


 第一層の夜は第二層、第三層と比べて閑散さが目立つ。

 夜風が吹き抜けるのに邪魔するものは少なく、空は宝石箱のように星々が輝く。


 いろいろありながらも風呂と食事を終えて、マオは先に寝ると言って寝室に篭ってしまった。

 不機嫌なのもあるが、マオなりにルミナスとの二人の時間を確保してくれたのだろうとユウは理解する。


「今日はゴメンね。マオもいろいろ突っ掛かってたけど悪い子じゃないの。分かってくれるかしら?」


「別に大丈夫です。いきなり押し掛けたのはわたしですし、マオさんの気持ちも……まぁ分からなくもないので」

 

 もし自分が同じ立場ならきっとマオと同じ対応をしただろうとルミナスはもしもの自分を思い浮かべる。

 しかしユウが出してくれたホットティーに映るルミナスはそのもしもにならなかった自分。

 マオの気持ちが分かるからこそ、本当に折れるべきは自分なのだと思い知る。


 それでもユウの説得があったとはいえ、受け入れてくれたマオに感謝はあれど謝られる立場ではない。


「お姉様は……どうしてマオさんとお付き合いしようと思ったのですか?」


 聞きたくないが気になる。

 そんな複雑な気持ちでルミナスは尋ねた。

 ホットティーの入ったカップを両手で持つ。

 中の熱が陶器のカップを通して掌に伝わり、熱くなりながらも縋るようにカップを持つ手に力が入る。


 ルミナスの質問に、ユウは「そうね……」と数秒考えて、


「最初は真意を確かめる為に一カ月、一緒に旅しただけだったわ」


 ユウはその頃を昨日のことのように鮮明に思い出す。

 互いの正体を知り、三日三晩休みのない死闘を終えて、それでも決着はおろか互いに限界が来ている様子もない先の見えない均衡状態。


 魔王がそろそろ限界だろうと黒髪をなびかせながら問いかけるも、鎧の勇者は疲労耐性や飢餓耐性などによってまだまだ余裕と即答し、鎧の勇者が澄んだ空色の瞳で睨みながら魔力切れでしょうと尋ねても、元の魔力量に加えて濃い瘴気による消費以上の魔力回復などによって全然問題ないと即答する。


 互いのそれが強がりでないことは理解出来て、余計にこの戦いに終わりが見えなくなったその時、魔王から予想外の提案がなされた。


『鎧の勇者よ。一度休戦し、話し合おうか』


 魔族が話し合い? と怪訝な目を向ける鎧の勇者。

 しかしこのままでは戦いが終わらないという事実が、鎧の勇者に小休憩を兼ねた話し合いに乗ろうと判断させる。


 そこで語られる魔族の真実は、当然鎧の勇者にとっても受け入れ難い話だった。

 しかし慧眼スキルは反応せず、鍛え抜かれ研ぎ澄まされた勘が、話の信憑性を勝手に上げていく。

 それでも、納得できない鎧の勇者はとある提案を持ち掛ける。


 ――――一か月、一緒に行動して魔族とは何かを見極めさせてちょうだい。


 勇者と呼ばれた自分が、魔族の王と呼ばれる存在と行動を共にするなど考えもしなかった。

 だが魔族とは何か、今一度見直さなければならないと鎧の勇者は直感的に悟る。


 鎧の勇者の申し出に魔王は一切の躊躇なく了承した。

 戦いのせいで住処を失っているのも理由の一つだが、魔王と呼ばれている黒髪の女性がさぞ興味深そうに笑うのを見て、好奇心が大半を占めているのだろうと鎧の勇者は思った。


 そして魔族と勇者がともに行動していると世間に知られると厄介な為、魔王はマオ、鎧の勇者はユウと名を改め行動するようになった。

 

 マオの立ち振る舞いや他の魔族との関わりから、マオの言っていたことが証明されるのに半月もかからなかった。

 しかしその頃には、いやマオの言っていたことが真実だと納得してから、深く関わり行動を共にしていく過程で、ユウがマオに向ける目は種族ではなく個人で見るようになり、マオを見る目と人間の女の子を見る目に違いがなくなっていた。


 そしてそれはマオも同じなんだとユウは感じた。

 しっかりと聞いたわけではないし、ユウの慧眼スキルをもってしてもマオの真意は汲み取れない。

 しかしながら、マオは何かしらのきっかけで人間というものに興味を持っているのを感じた。


 魔族と人族。

 魔王と勇者。

 種族や肩書という壁がなくなった二人が心の距離を縮めるのに時間はかからない。

 

 勝手な呼称とはいえ魔族の王と呼ばれたマオと、人族最強と謳われるユウ。

 自分と対等になりえる存在は、特別で捨て難い存在に代わり、やがてそれは好意と呼べるものに変わっていった。


 思い出すマオの言葉。


 ――――どうやら私はお前のことが好きらしい、ユウ。


 思い出して、にやけてしまうが、これはルミナスには言えない。

 二人だけの大切な思い出だから。


「そこからはまーいろいろあって、アタシとマオは付き合うことになったわ」


「そのいろいろが気になるのですが……」


 肝心な部分を省略するユウに、ルミナスは不満げな表情で抗議する。

 そんなルミナスに対して、ユウはその白い肌をほのかに染めて人差し指を口元に当てる。


「内緒」


 緩んだその口角も、熱の籠ったその頬も、見開きながらも過去に耽るその目も、ルミナスに向けられることのないもので、ユウに刻まれたその思い出がとても大切なものなのだとルミナスに突きつける。

 

 ユウのマオに対する思いを感じ取ったルミナスがこれ以上過去を掘り返すことなど出来るはずもなく、自分の思いを流し込むようにホットティーを飲み干した。

 温かい熱が言葉の詰まる喉からズキズキと痛む胸を過ぎ、胃に重くのしかかる。


 そして数秒沈黙した後、取り繕うような笑顔を貼り付ける。


「話してくださってありがとうございますお姉様。ささ、明日は何かあるようですし、今日はもう休ませて頂きます」


 胸でざわめくこの感情を落ち着かせたいのか、それともこれ以上ユウの思いに耽る顔が見られなかったのか、ルミナスは逃げる様に話を切り上げる。

 

 まだ引っ越してきたばかりで客室など用意されていないので、マオ、ユウ、ルミナスの順番で川の字になって横になる。

 さすがの三人では少し狭いが、それでも窮屈というほどではない大きさのベッド。

 マオがこだわりにこだわって選んだベッドは一気に夢の世界へと引きずり込む。


「お休み」


「おやすみなさい」


 寝ているマオを起こさないよう静かな声でユウとルミナスは挨拶する。

 寝息を立てるマオとユウに対して、ルミナスが一向に寝付けなかったのは、人の家で緊張しているからか、それとも――――。

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魔王と勇者は恋仲です。 万千澗 @3870

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