ボロをまとった少年(短編)
桶底
それは遊びではなかった
恐ろしい悪魔の国から命からがら逃げ出した少年は、ボロをまとい、泥にまみれた体でようやく人里へとたどり着いた。
「お願いです、どうか……少しだけ、ここで休ませてください。あの地獄のような場所から、やっと逃げてこれたのです」
彼の姿を見た里の子供たちは、そのあまりの惨状に驚きながらも、どこかで憧れのまなざしを向けた。
──まるで、勇敢な冒険者みたいだ。
子供たちは彼の助けを後回しにし、代わりに、自分たちの服を裂き、顔に泥を塗り始めた。
「なぜ真似をするんです? 僕は、みなさんのように清潔で安全な暮らしが羨ましかったのに……」
少年の言葉に、子供たちは冷笑を浮かべた。
「きれいになりたきゃ、世話焼き婆さんのところに行きなよ。ミルクでも飲んで、ママにするみたいに甘やかしてもらうといい」
そして彼らは“なりきりごっこ”を始めた。自分たちがあたかも恐ろしい悪魔の国から生還した英雄であるかのように、泥と嘘にまみれた勇者の演技に夢中になっていった。
少年はひとり、言われた通りに世話焼き婆さんのもとへ向かった。
そこでは温かな食事と新しい服が与えられ、優しい手が彼の背を撫でてくれた。
彼は涙を流しながら、その思いやりを受け取った。
それから彼は、子供たちにお礼を伝えようと探しに出かけた。
しかし、彼らは町の往来で大声を張り上げ、自らの“武勇伝”を誇らしげに語っていた。
「俺たちは、あの残虐な大魔王の支配から七年も戦い抜いたんだぜ!」
「そうそう、地獄の使いを蹴散らして、ここまで帰ってきたってわけさ!」
少年は慌てて彼らを制止しようとした。
「そんなことを言っていたら、悪魔が来てしまいます! 本当にあの国の者たちが聞いたら、大変なことになる!」
だが子供たちは耳を貸さなかった。それどころか、少年を軟弱者と罵った。
「見てみろよ、このミルクくさい服を着た軟弱者を。まるで苦労を知らないお坊ちゃまじゃないか」
「それに比べて俺たちはどうだ。ボロをまとい、泥にまみれ、どんな困難にも立ち向かってきた真の勇者だ!」
彼らの言葉に煽られ、観衆までもが拍手を送った。
誰もが、偽物の物語に魅せられていた。
しかし、空が急に暗くなり、重く響く声が大地を揺らした。
「──なるほどなるほど。そういうことだったのか。
それだから吾輩の領地から抜け出せたというものであるか。
いやしかし我輩の元を逃げた奴隷が、ここまで来ていたとはな」
声とともに、黒い煙をまとった巨大な影が現れた。大魔王だった。
群衆は蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。だが、子供たちは逃げられなかった。
大魔王の巨大な手が、彼らを鷲掴みにした。
「違う! 俺たちはただの“ごっこ遊び”をしていただけなんだ! 本当に奴隷だったのは、あいつなんだ!」
少年は一歩前に出て、大魔王に向かって叫んだ。
「大魔王様、どうか彼らを放してください。奴隷だったのは、僕のほうです。彼らは僕を真似していただけなのです!」
だが、大魔王は少年を一瞥し、子供たちを見下ろして言った。
「我輩の奴隷が、そんなきれいな服を着るものか。それに……ミルクのにおいを漂わせる奴が、地獄にいるはずなかろう」
そして冷酷に言い放った。
「貴様が生きるべきは地上。彼らは“苦しみを演じる”ことで、地獄の者になったのだ」
少年は必死で食い下がった。
「それでも、どうか彼らを……! 彼らにはまだ、地上で生きる未来がある!」
だが、大魔王は嘲笑した。
「決めるのは貴様ではない。我輩が定めることだ。……安心せい、地上ではなく地獄でこそ、彼らは本物になれる」
そう言って、大魔王は子供たちを掴んだまま、地面の底へと沈んでいった。
しばらくして、空が晴れ渡り、人々が戻ってきた。
だが少年は、奪われた子供たちを思い、ひとり涙を流し続けた。
その後、世話焼き婆さんは変わらぬ愛情で少年を育て続けた。
少年もまた、自分に与えられた“生きる場”を大切にし、
やがて人々から尊敬される、優しく立派な青年へと成長していった。
──そう、この世界では、
ボロをまとった人を見かけたときには、
誰もがためらわず、新しい服と温かな食事を差し出す──
そんなやさしさの連鎖が、彼の中から広がっていったのです。
ボロをまとった少年(短編) 桶底 @okenozoko
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