第24話 狼も狂う想い
最悪な状況。打開策は無い。背中を見られるよりも面倒なことになった現状に、俺は辟易していた。
ジェイクならば、まだ良かった。セシリに正体がバレたところで、たかだか500年前に生きていた人物がひょっこり転生していることなど……まあ相当に面倒だが、それなら、まだ良かったのだ。
……クロムはまずい。テオが活躍していたのは、およそ2000年前。転生という超常現象の前では500年も2000年も大差ないように思えるが……この国での知名度が低いだけで、その偉業の大きさで言えば、テオの方が重要人物足り得る素質を持つ。
俺にとって面倒極まりないことだ。使命を果たした後とはいえ、テオは短命だった。死んだ後、どれだけの人々がその存在を惜しんだか、想像もできない。……保険を残していたつもりだったが、何があったのかそれは作動せず、世界は一度、暗闇に包まれた。
もし俺がテオだという事実が露呈すれば……いや、大した騒動にはならないか? 死後の低迷期ならばともかく、今更過去の英霊が姿を現わしたところで……。
国家間の争いは今、どうなっている? ジェイクが生を終えても、終ぞ、その小競り合いは無くならなかった。
もしも、まだジェムピース国とニジュランド王国に確執があって、かつて魔王を退けたという逸話を残すテオが姿を現わしたら……その時、俺はどちらの味方をするのだろうか? いや、平和だ。俺だったら手と手を取り合うことを推奨する。推奨はするが……その時、俺にどんな問題が降りかかるのだろうか?
……確実に、平穏な生活は二度と戻って来ない。俺の望みからかけ離れる未来だ。その可能性が存在してしまっている。
いや、前向きに考えるんだ。俺の正体に勘付いているのはクロムのみ。……そういや名前も呼ばれてたな。だが、この場でだけ。どうにか事実が明るみにならないよう丸め込んで、外に漏れないようにする。
それならまだ、本当にギリギリだが、俺も許容できる。相手は仲間だ。きちんと話せば分かってくれるだろう。……なんで慎ましい生活を求めるだけで、こんな災難に見舞われなければいけないんだ。過去の行いですか? どうしろっちゅうねん……。
「えっと、クロムさん、これには理由が」
「ふざけるな。いつまで隠すつもりだ」
「ちょ、本当にごめん。ちゃんと説明するから」
「名前を呼べ」
「……はい?」
「私の、名前を呼べ……!」
「…………クロム」
俺が名前を言い終わった瞬間、クロムは一瞬だけ、しかし目に見えるくらいに激しく身震いをした。顔もより一層、恍惚と歪む。
えぇ……なんかキマってない? 名前を呼んだだけなんだけど……絶対に女の子がしていい顔じゃない。あぁ、涎まで垂らしてるし……。怖い。ただひたすらに怖い。
「お前が死ぬとは信じられなかった……いや、死んでないと信じてたんだ。だから、この身を魔に堕としてまで生きた……生きて、生き抜いて、そしてようやく……見つけたぞ」
クロムはそう言いながらこちらに近づいて来る。赤い目に光は無く、虚ろだ。
なんか……俺が考えていた再会とイメージが違う。
俺は何か勘違いをしているのか? てっきり、正体を隠していたことを怒られたりとか、そういう感情をぶつけられた後、昔の関係に戻るかと思ってたんだが……。
この感じはなんだ? 憎しみのようで、それとは違う執着があるような……。
――テオことロイは、明確に勘違いをしていた。クロムは自分が正体を隠していたことに憤りを感じており、最悪は殴られたりするのだろうと。
しかし、クロムが考えているのはそこではない。彼女が今まで生存していたのは、かつての仲間……それも、最愛の人間と再び出会うためであった。
死人との再会を願う狂気。しかしクロムは、今日に至るまで、その狂気を純真な気持ちで信じていた。
テオとクロムは幼馴染だった。テオは幼い頃、クロムの父が密かに開いていた道場に足を運び、彼女と出会った。武術を身に着けるため、彼らは幼少期を共に鍛錬し、実力を身に着けた後、魔王討伐の任を授かって旅をした。
時間にして約15年ほどの付き合い。共に育ち、苦難を乗り越えた仲。それほど濃密な時間を過ごせば、両者の関係には変化があるものだ。
魔王討伐の旅の最中、クロムはテオに想いを寄せるようになった。それはテオも例外ではなく、結果として彼らの関係は、俗に言う『両片想い』に発展していた。
しかし、その恋慕が成就されることはなかった。魔王と和平を結び、無事に帰国した直後、魔族との融和に反感を持っていた人間の手によって、テオは謀殺されてしまったのだ。
『魔王侵攻の問題が片付くまでは、この想いに蓋をする』
その考えが両者にあり、愛ある契りを先延ばしにしたのが良くなかったのだろう。
創世神イアの手により、テオはファベルに転生すると、過去一番の苦難を味わうこととなり、クロムへの恋慕など、とうの昔に忘れてしまった。
逆にクロムは、テオへの想いを忘れられず、矛先の無い感情を沸々と自分の内で育んでしまっていた。テオの死後、約2000年、まだ異種族同士の差別が絶えない時代だったことも祟り、彼女は他者との関りを持たないようにしていた。つまり、新たな出会いなどあるわけもない。仮にあったとしても、彼女がテオを忘れられるかどうかは甚だ疑問だが。
この2000年という空白で、両者の温度感の違いが浮き彫りになった。そのギャップを、溝を埋めることは、世界を救うことより困難を極めるだろう。
ロイにとって彼女は、かつての仲間。その数ある中の一人。
クロムにとって彼は、最愛の人。流れる時の中で忘れることはなかった唯一無二。
最早、ロイの手に負える状況ではなくなっていた。その事実に、ロイは遅れて気が付く。
クロムの手が、俺の頬を掴んだ。頭をガッシリ固定されてしまっている。
……マジか。マジかマジかマジか。明後日の方向から頭を殴られた気分だ。いや、本当……俺にどうしろと??
「時間を取り戻そう。二人で……」
クロムの顔が近づき、そのまま二人は幸せな――。
「……?」
口づけをすることはなかった。
やらせるわけねえだろバカヤロウ!! 防御魔法を張ってやったわ!! クロムの顔が見えないバリアに、ぶちゅっと張り付き、無様なことになってるが、俺が魔法を解くことは……ひぇっ、ヘ、変な顔のまま睨まれてるよ~!
勘弁してください……驚愕的な事実を叩きつけられたのは、そちらだけじゃないんですよ。初耳なんすよ。あなたが俺を好きだなんて……一途過ぎてトキめくかと思ったけど、やっぱり恐怖が勝るんすよ……。
クロムさん、あなた俺よりも年上ですよね? 女性相手にデリカシーないと思うんですけど、2000年も生きてるんですよね? ちょっとそこまで相手を愛せる自信が無いと言いますか……それをすぐに受け止めろって言われても、無理難題かな、と。
「何の真似だ」
「い、いやちょっと、今すぐは心の準備といいますか……」
「……いつまで待たせるつもりだ?」
マズイ。ブチギレだ。今まで見たことないくらいにキレている。睨んだだけで人を殺せる目になっちゃってる……。
するとクロムは、目に見えない筈のバリアを素手で握りつぶした。パラパラと何かの破片が散らばる音だけが鳴り響き、魔法は効力を失う。
……え? あ、握力だけでこの防御魔法を……!? 爆発元でも、びくともしない硬度のものなんですが!?
改めて危機感を覚えた俺は、相手に悟られないよう身を翻した……つもりだったが、一瞬にしてクロムに追いつかれ、腕を拘束されたまま身動きが取れなくなってしまった。
「どこに行く」
「く、クロム落ち着いて! 話をしよう!!」
「そう言ってまたどこかに消えるんだろう? ……離さないぞ」
絶体絶命のピンチ。その窮地を救ってくれたのは、やはり仲間である。
飛来した氷の魔法がクロムの頬を掠める。……クロムが避けてなかったら、彼女の後頭部に直撃していただろう。ど真ん中に。
「私の前で行動した勇気は認めますわ。それとも発情期ですの?」
「……邪魔をするな」
り、リズさん!! 研究者モードから帰って来た幼馴染が、俺の窮地を救ってくれた。シャレにならない位置を狙ったのはいただけないが……まあ、クロムなら当たっても大丈夫か。
その隙を見て、俺はクロムの拘束から逃れることができた。そして説得は諦めた。
同じ轍を踏むわけにはいかない。俺は身体強化魔法を自らにかけ、脇目も振らずに逃げ出した。リズに気を取られたクロムだったが、流石というべきか、すぐに俺を追いかけ始める。
「み、見逃して!!」
「止まれ」
ダンジョンの5階層から始まった鬼ごっこ。捕まれば色んな意味で食べられてしまうだろう……。デスゲームなんか目じゃないぜ!!
しかし、スタートダッシュは俺の優勢から始まったはずだが、その距離はなかなか縮まらない。舐めてかかっているわけじゃない。今俺が出せる最高速に彼女は追いついているのだ。
なんか速くね?? こっち素の身体能力に魔法で上乗せしてるんですけど!?
テオだった時は素で俺の方が強かったのに……やはり2000年は伊達じゃないか。それに過去分の蓄積があるといっても、今世はロクに鍛えてなかったからなぁ。こういう時だけは転生特典が恋しい。誰か俺に成長スキルをくれぇ!
距離は空かないが、縮まりもしない。変化が無いように思えるが、精神的に追い詰められているような気がする。
どうしよう。これでクロムが手を抜いているだけなら一巻の終わりだ。遊ばれてるだけ……とは思いたくねぇよぉ。いや、気をしっかり持て俺。不安がっていたら相手の思うツボだ!
「その身のこなし……懐かしいな。私、楽しいぞ。テオ」
「はぁ、はぁ、こっち喋る余裕ないんですけど!?」
くそっ、気を持ち直したばかりというのに、もうギブアップしたくなってしまう。命がけの鬼ごっこしてる真っ只中で、あまり変なこと言わないで欲しい。耳元で怪文書を読み聞かせられている気分だぞ!
しかし、どうする。このまま秘密の部屋まで行くか? ……いや、一度でも足を止めたら俺の負けだ。どこかで休憩しようものなら、その隙を狙われる。間違いない。クロムはそんなに生易しくない……。
このままダンジョンの出口まで行くしか……。
……ここから出て、俺はどこへ向かうんだ? ボギー町までは戻れないぞ? 宿の位置が割れてしまっているのだ。いや、とりあえず街の外か? ……このペースで? これは確信していることだが、スタミナの面では、俺よりもクロムの方に軍配が上がる。持久戦は勝ち目がない。
あれ? 詰んでね? どこに逃げても俺の負けじゃね?? 当たり前っちゃ当たり前だけど、今日対峙したどの敵よりも手強くない??
そうこうしている内、遂にダンジョンの出口へ続く階段に踏み入ってしまった。
ここまで約数分。これを上りきるまでにかかる時間は……いや、待てよ。
この階段。構造が螺旋状になっている、いわゆる螺旋階段だが、真ん中に人一人分ほどのスペースが存在している。勿論それは地上まで続いている。
ここを一気に登るなら……!!
「……観念する気は無いみたいだな」
後方……というより、真下からそんなセリフが聞こえて来た。凄い怒気が孕んでいた気がするんですけど、気のせいですよね。
魔法を習得しておいてよかった。無言詠唱者でよかった。ただ今、風魔法の応用で俺は空を飛んで……っぶねぇ。頭ぶつけないように気を付けないと。
階段を駆け上がるクロムの姿が、だんだんと小さくなっていく。ふぅ、このまま距離を空けつつ、無事に地上まで上がれそう――。
「逃げるなぁぁああ!!!」
とんでもない大きさの雄たけびが、下から響き渡る。鼓膜が破れそうな勢いだ。自分であんな声量出して、クロムの耳は無事なのだろうか? しかし間違いなく追い詰められた獣に近い慟哭だ。……こんな畜生相手みたいな表現で悪いが、今はこの勝利を喜ばせてもらうぜ! ガハハ!w
……とはいえ、どの道いつかは向き合わなければいけない問題だよなぁ。こんだけ未練があるって……ありがたいことだが、やっぱり受け止めきれないよなぁ。
もっと良い奴いると思うけどなぁ。クロムほどの優良物件なら相手なんかいくらでも……いや、優良物件すぎて相手が委縮するか。セシリがのたまっていた男性像くらいの人じゃなきゃ釣り合わなさそうだ。
あの、本当に勘弁してください。今だけは! 切実に、もう少し自由気ままに生きたいんです……!
「ま、また会いに来るからぁ! 今は見逃してくれぇ!」
「ウガァァアアァ!!!」
もう野生に帰りそうな勢いじゃん……。
俺は、かつての仲間……だった者に恐怖を覚えながらダンジョンを後にした。
「どうしてこんなことに……」
俺は勢いのままマルヴォルを出た。今は何も無い森の道を、頭を抱えながら歩いている最中である。
逃げ出したことに後悔はないが、懸念がたくさんありすぎる。クロムもそうだが、置いて来た仲間のことが心配だ……特に、俺の方へ問題を持ってきそうで。
セシリに目を付けられてしまった。彼女は俺とジェイクとの関係性を洗おうとするだろう。情報を調べたところで何も無いが、再び俺の前に姿を現わす可能性が高い。
カミューが孤立するかもしれない。実力から見ても1人で問題ないだろうし、他のパーティーで活躍などできればいいが……心配だ。俺が父親だっけ?
そしてリズ……もう考えたくない。クロムのインパクトのせいで霞んで見えてしまうが、彼女も彼女で俺に執着心がある。これだからボッチは……。
……うん。もう戻れないな。色々と手遅れになってしまっている。一応、冒険者に登録されている以上、どこに拠点を置こうが仕事はできる……が、セシリが怖い。国というあらゆる機能を使って探ってきそうだ。そう遠くない未来で捕まっている俺の姿が見える見える……。
と、いうわけで、俺は決めたぞ。……この時代に生まれ、様々な出会いがあった。両親に恵まれ、妹ができ、学友にも出会い、命を預ける仲間も居た。
……この国には思い出がある。しかし、人はいずれ揺り篭を出る時が来るものだ。
目指そう! 新天地へ! 国外逃亡や!!
――同時刻、ダンジョンであるジェムピースの入り口にて。静かに佇むクロムの元へ、リズ達が戻って来た。
息も絶え絶えな彼女たちとは裏腹に、先ほど絶叫していた同一人物とは思えないほど、クロムは静謐な様子だった。
「だ、駄犬……! ロイはどこです!?」
「……逃げた。今度は必ず捕まえる」
そう語るクロムの目には意思を秘めており、どこか浮世離れをした雰囲気を持つ彼女の姿はどこにもなく、その狂気の人格が滲み出ている。ロイの正体バレにより、彼女の本質が露呈していた。
カミューは怯え、リズは警戒を解かない。
クロムはふと、何かを思案するように俯き、その後、セシリに話し掛けた。
「あいつが使っていた魔法を見て、他の誰かとその姿を重ねていたようだが、誰のことだ?」
「……ジェイク・パーソンズ。ジェムピースの建国者であり、偉大な魔法使い……なぜ彼が同じ魔法を使っていたのか、あなたは知っているのですか?」
「ジェイク……ふふ、なるほど。台無しにしなくて正解だった」
クロムはロイを止める術があった。階段を破壊し、このダンジョンの入り口を塞いでしまえば、彼に追いつけただろう。その可能性にクロムは気が付き、しかし、そうはしなかった。それも一重に、自身の最愛なる人物を思ってのことである。
ロイの正体を、その輪廻に囚われない事象に勘付いたクロムは、セシリにそのことを伝えることなく、どこかへと歩き始めた。警戒していたリズは当然のように、その行き先を聞く。
「どこへ行くつもりですの?」
「決まっているだろう。ロイを追う。……今度は邪魔するなよ?」
その言葉を聞いて警戒心を更に引き上げるリズ。それとは裏腹に、セシリは自身の胸に抱いていた
「彼は……ロイさんは、何者なんですか? あなたなら分かるのでは?」
「……さあ? どうだかな。知っていても、お前には言わない」
そう語るクロムの顔には、ありありと敵意が滲み出ていた。その明確な敵意は、女の執念そのものであり、セシリも思わず身構える。しかし、その敵意はセシリの期待を、逆に裏付けるものだった。
かつての思い人。それを賭けた泥沼の戦いが水面下に幕を開ける。
クロムはその背中が見えないまま、ロイの姿を幻視した。
「必ず、追いついてみせる……私が」
その言葉は彼女の狂気を体現するものであり、密かな宣言でもあった。
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