強い狼さん(短編)
桶底
本当の守り方
森に一匹、非常に俊敏で、力も強く、洞察力にも優れた狼がいた。
その狼は、仲間からの信頼も厚く、問題が起これば真っ先に現場へ駆けつけ、状況を把握し、必要とあらば誰よりも速く、誰よりも遠くへと助けを求めて駆けていった。
彼の俊足は森のどの獣よりも優れていた。木の枝から枝へと軽やかに飛び移る姿を、皆が「美しい」と称えた。
しかし、ある日、猿が言った。
「狼さん、お願いだ。僕は木登りしか取り柄がないんだ。君のように、空まで跳ぶような脚力は僕にはない。どうか、僕の唯一の取り柄まで奪わないでくれないか」
狼はその言葉に心を痛めた。
「わかった。君の誇りを守ろう。もう枝を渡るのはやめるよ」
その日から狼は木に登ることをやめた。跳躍力はそのままに、枝の上ではなく地を走った。
ある日、森に雷が落ち、大きな木が音を立てて倒れた。
「ドドーン!」
すぐさま狼が駆けつけた。木の根元にはリスの家があったが、リスはたまたま外出しており無事だった。狼は安堵し、木の周りを歩きながら状況を確認した。
そこへ、鳥が降りてきた。
「狼さん、あなたが先に来てしまっては、私の仕事がなくなってしまうわ。私は空から森を見守り、異常があれば仲間に伝える役目なの。あなたが勝手に現場に来てしまえば、皆は“もう知ってる”と言って、私の声に耳を貸さなくなってしまうのよ」
狼は謝った。
「すまない。君の大切な役割を壊してしまったのなら、これからは気をつけよう」
そうして、狼は“現場に真っ先に駆けつけること”を控えるようになった。
そのうち、狐が言い出した。
「狼さんって、最近大人しいけど、きっと本性を隠してるだけだよ。ほら、あんなに力があって早く走れるんだ。その気になれば、僕たちなんかあっという間にやられる。今のうちに、何か手を打っておいた方がいいと思うな」
その言葉に、森の動物たちはざわめいた。
「たしかに……あの力を隠しているだけなら、怖い」
「何か対策を考えよう」
そして、動物たちは狼に足枷をつけた。
「これは万が一のための予防措置だから」と言って。
狼は何も言わず、それを受け入れた。
日が経つごとに、狼の動きは鈍くなり、姿勢は崩れ、表情から生気が薄れていった。
だが、ある日のこと。森の外れで、銃声が響いた。
「パン!」
森の空気が凍りつくようだった。狼はその音を聞いた瞬間、全身に緊張を走らせ、体を起こした。
「人間が来た……!」
動物たちは恐れおののき、木陰や洞穴に隠れた。
狼は立ち上がり、重い足を引きずりながら川辺まで来た。
目を凝らすと、川の向こうに人間がいた。木を切り、罠を仕掛け、銃を構えている。
「今、行かねば……!」
狼は息を整え、助走をつけて跳んだ。
かつてなら軽く越えられた川幅だった。だが、今の彼には足枷と衰えがあった。
狼は着地できず、水面に叩きつけられ、そのまま流され始めた。
「誰か……助けて……!」
狼の叫びに、岸にいた動物たちは言った。
「狼さん、勝手なことをするからだよ。約束を破るから、そうなる」
「自分で跳んだんでしょ? 僕らに責任はないよ」
誰も手を伸ばさなかった。狼は水に沈み、やがて姿を消した。
数日後、森の動物たちは会議を開いた。
「狼がいなくなって、ようやく森が平和になった」
「強者がいない方が、みんなが平等に生きられる」
そんな声が飛び交った。
だが、その頃、森のあちこちで罠が見つかり、獣道が寸断され、餌場が破壊されていった。人間の進出が着実に進んでいたのだ。
動物たちは気づかぬふりをした。
一方、川下の岩陰で、老いた亀がひっそりと暮らしていた。
その亀は、水面を漂う狼を見つけ、自分の甲羅に乗せ、洞窟に運んで手当てをしていた。
狼はしばらく意識を失っていたが、ある日、目を覚ました。
「……俺は……生きてるのか?」
「生きておるよ。わしが助けたんじゃ」
老亀は、ゆっくりと語った。
「わしはのう、森で一番のんびりしてるから、何もせんかわりに、ずっと見ておるんじゃ。おぬしが、森の誰よりも森のことを思っていたこと、わしは知っておるよ」
狼は何も言えなかった。ただ、じっと涙をこらえていた。
しばらくして、狼は体力を取り戻した。
「カメさん、ありがとう。でも、森が……匂いが変わっている。俺が行かなくては」
狼は立ち上がり、森へ向かって走り出した。
森は荒れていた。人間が木を切り倒し、巣を壊し、動物たちは怯えながら身を潜めていた。
そこに、狼が現れた。
誰よりも速く、誰よりも静かに。木の間を跳び、罠を見破り、銃をくわえて持ち去った。
人間たちは驚き、逃げ出し、森を去っていった。
森に平穏が戻った。
動物たちは喜び、歓声を上げた。
「狼さんが戻った!」
「ありがとう、狼さん!」
狼は静かに首を振った。
「俺がここにいれば、またお前たちは俺に頼る。そうすれば、また誰かの誇りを壊してしまうかもしれない。だから、俺はここを離れる」
「でも……!」
「お前たちは、力を合わせれば、俺以上に森を守れる。これからは、互いを認め合い、支え合って生きるんだ」
そう言い残し、狼は森をあとにした。
それから、森の動物たちは、それぞれの力を持ち寄り、支え合って暮らすようになった。
時には意見がぶつかることもあったが、互いの違いを認め、過去を思い出して歩み寄るようになった。
今では、狼の名を知る者はほとんどいない。
けれど、老いた亀がたまに語る。
「昔、森に一匹、強くて、優しい狼がおってな……」
強い狼さん(短編) 桶底 @okenozoko
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