第13話 スピンオフ ~大橋課長編〜
第13話 ~大橋課長、もうひとつの奮闘記~
「おい、大橋。今日何件回った?」
「……8件です。」
「甘い。最低10件、ノルマだろ。数字見せてこい、数字を。」
200X年春、大橋剛志は、都内の不動産会社に新卒で入社した。営業配属。同期は10人、全員がスーツも会話も“営業マンの型”に染まりきっていた。
だが、大橋だけは、少し違った。
要領が悪く、気の利いた言葉も出てこない。
パンフレットを持って飛び込み営業をかけても、門前払いの日々。
断られ続け、胃痛で夜眠れない日が続いた。
ある日、ふと立ち寄った郊外の住宅地で、手入れのされていない一軒家を見つけた。
興味半分でポストに手紙を入れた。
「このお家、お手伝いできることがあればご連絡ください。」
数日後、信じられないことに連絡が来た。
所有者は高齢のご婦人。息子が県外に住んでおり、家をどうしていいかわからないまま10年が経っていた。
「お兄さん、うち、売れると思う?」
「……はい。売れます。時間はかかっても、必ず。」
大橋は初めて、「数字」でなく、「人」に向き合って仕事をした。
その空き家は、小さなリフォームを経て、子育て世代の夫婦が購入した。
売買成立の日、大橋は名刺の裏にそっと手書きで一言書いた。
「この家が、誰かのしあわせになりますように。」
顧客にそれを見せたとき、女性は泣きながら言った。
「こんな不動産屋さん、初めてです。」
その言葉で、大橋は変わった。
「俺は、“売る”だけじゃなく、“残す”仕事がしたい。」
それから10年。彼は地道に成果を積み重ね、チームを任される立場になった。
数字は常にトップ。だが、それは“追いかけた結果”ではなく、“向き合った結果”だった。
ある後輩にこう言われた。
「課長、どうしてそんなに人に好かれるんですか?」
大橋は答えた。
「好かれようとしてないからじゃないか?代わりに、“逃げない”だけだよ。」
そしてある年、正式に「営業課長」に昇進。
その年、入社してきた新人がいた。
名前は、田島美咲。
初めて会ったとき、大橋はすぐにわかった。
この子は“数字”より、“誰かの暮らし”を信じるタイプだ。
エピローグ
今、美咲が地域再生チームで走り出していることを、彼は陰ながら誇らしく思っていた。
「背中は見せるもんじゃねえ。押すもんだ。」
今日もまた、大橋課長は一人の若手を連れて、空き家へと向かっていく。
― 完 ―
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