第10話 最後の内見、最初の鍵
第10話 最後の内見、最初の鍵
7月の終わり。連日の猛暑でアスファルトが陽炎のように揺れていた。
その日、美咲は一組の家族と、とある中古一戸建ての“内見”に向かっていた。
案内するのは、数週間前に開催した現地販売会で名刺をお渡ししたお客様、山田家。小学生の娘さんと夫婦の3人暮らし。検討は長く、今回が5回目の内見だった。
「今日が最後の物件になります。正直、私も“ここしかない”と思ってます。」
そう伝える美咲の手は、わずかに汗ばんでいた。
物件は郊外の閑静な住宅街にある築15年の戸建。リフォーム済で、南向きの広い庭と、家族が顔を合わせやすいリビングが特徴だ。
玄関を開けると、娘さんが先に走り出した。
「わぁ!ここ、おうちのにおいがする!」
母親が微笑む。父親も、静かに間取り図を確認していた。
2階のバルコニーからは、夕焼けがちょうど見え始めていた。
「夕方って、街の音が落ち着いて、家の“気配”がよくわかるんです。」
自分でも驚くほど、自然に言葉が出た。
すると、山田さんが言った。
「田島さんが言うなら、この家、信じてもいいかもしれませんね。」
内見を終えたあと、駅までの帰り道。奥様がポツリとつぶやいた。
「私たち、家選びにずっと迷ってて。いつも“もっといい物件があるかも”って。でも今日、この家を見て、やっと終わりにしたいと思いました。」
その言葉に、美咲は喉の奥が熱くなった。
「ありがとうございます。私……この鍵、お渡しできたら、本当に嬉しいです。」
翌日、正式な購入申し込みが入り、ローン審査へと進んだ。
ローンも無事に通った数週間後。
鍵の受け渡しのため、現地で再び山田家と会った。日差しの強い午後。玄関前で、美咲は深呼吸したあと、新品の鍵を手に取った。
「鍵のお引き渡しになります。今日から、ここが“山田様ご家族の家”です。」
娘さんが歓声を上げ、夫婦が深々と頭を下げる。
「ありがとうございました。田島さんのおかげです。」
その瞬間、美咲は初めて「営業として一人前になれた」と思えた。
条件を超えて、誰かの未来に寄り添えたと、確かに感じられた。
帰り道、携帯が鳴った。
「柴田です。例の物件、金融機関の審査通りました。契約、お願いできますか?」
思わず笑みがこぼれた。
最後の内見で、自分が開けた“最初の鍵”。
それは、まだ続く未来の扉だった。
続く 第11話:不動産女子、転機を迎える
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