第8話 夜の内見と静かな告白
第8話 夜の内見と静かな告白
金曜の夜7時、美咲は都心の一角にある築浅マンションの前で、腕時計をちらりと見た。
すでに辺りは薄暗く、街灯が反射する道路は一日の終わりを告げていた。
「遅れてすみません!」
現れたのは、柴田優人——あのITベンチャーの社長だった。
スーツの上から羽織った軽いジャケット、少し乱れた髪。昼の顔とは違う、どこか“人間味”のある表情をしていた。
「仕事、大丈夫ですか?」
「ええ、でも今日の内見、楽しみにしてたので。」
この物件は、彼の会社の新オフィス候補。だが今日はそれ以上に、“2人で見る”ということに、美咲の心は少し落ち着かなかった。
エントランスを抜け、エレベーターで上階へ。
室内に入ると、夜景が一面に広がった。ガラス張りのリビングからは、新宿の灯りが宝石のようにきらめいていた。
「……これは、すごいな。」
柴田が思わずつぶやく。
美咲はそっと灯りをつけ、準備していた資料を渡した。
「採光は昼の方が良いんですが、この眺望は、夜だからこそ伝わると思って……。」
「わかってるなあ、田島さん。」
笑い合ったあと、ふと、空気がやわらかくなった。
少しの沈黙のあと、柴田が言った。
「実は、この物件、すぐにでも契約しようと思ってたんです。でも……ある人に相談したくて、引き延ばしてました。」
美咲は、静かに顔を向けた。
「ある人?」
「あなたですよ。」
心臓が、ドクンと音を立てた。
「……田島さんが、もし『やめた方がいい』って言ったら、やめようと思ってました。」
「え、でも……私はまだ新人で……」
「新人でも、信頼できる人って、いるんですよ。」
そう言って、彼は少し照れたように笑った。
帰り道。マンションの前で、彼が一歩踏み出して言った。
「田島さん、よかったら……また別の物件も、一緒に見てもらえますか?オフィスじゃなくて、僕自身の“住む場所”なんですけど。」
それは、仕事の延長線のようでいて、少し違う響きがあった。
美咲は数秒、沈黙したあと、笑って答えた。
「もちろんです。不動産女子ですから。」
傘の下、2人の距離は、ほんの少しだけ縮まった。
続く 第9話:先輩たちの背中
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