第5話 恋と物件の共通点
第5話 恋と物件の共通点
春も終わりに近づいたある日、美咲は都内のシェアオフィスで、とあるITベンチャー企業の代表と打ち合わせをしていた。
斉藤さんの案件で少しずつ自信を持ち始めていた彼女にとって、これは2件目のアポ。会社移転を考えているとのことで、美咲が紹介した候補物件の説明をしていた。
柴田は物件が気に入ったように
「うん、いいですね。広さも駅からの距離も理想に近い。」
そう言ってくれたのは、その企業の代表・柴田優人(しばた ゆうと)。30代前半、ラフな服装と柔らかい物腰だが、話す内容はしっかりしていて、芯のある人物だった。
しかし柴田は続けた。
「でも、たぶん、ここには決めないと思います。」
美咲は意外な返事に戸惑って
「えっ……どこか問題が?」
すると柴田は
「いえ、問題じゃなくて……感覚、ですかね。」
美咲は一瞬、返す言葉に迷った。だがその後の彼の言葉が、意外にも響いた。
柴田は続けた。
「物件選びって、恋愛と似てませんか?条件は完璧でも、なんとなく“違う”ってことあるでしょう。逆に、多少欠点があっても、“ここだ”って思う場所がある。」
その言葉に、美咲はドキッとした。
心当たりが、あった。
広報部にいた頃、他部署の人と食事に行ったことがある。条件も性格も悪くなかった。でも何かが「違う」と感じて、連絡を取らなくなった。
逆に、街でふと見かけた小さなカフェを気に入って、通い詰めたこともある。
美咲は改めて言った。
「……確かに、そうかもしれません。」
柴田は代表を務めるだけある。
「不動産って、ロジックで動く世界に見えて、実は感情が大きい。数字で説明できない部分こそ、営業の腕が試される気がします。」
美咲はうなずいた。
その後、何件か追加の物件を紹介することになり、連絡を取り合う中で、自然と会話のトーンがくだけてきた。
柴田は美咲の営業スタイルを知り
「田島さん、不動産営業っぽくないですね。」
美咲には嬉しい言葉だった。
「よく言われます。もともと広報だったので……」
「……なんか、“営業に向いてない人”のほうが、実は信頼できる気がします。」
その一言が妙に嬉しかった。
それは、これまで「向いてない」と言われてきたことが、違う形で肯定されたような気がしたからだ。
オフィスを出て、空を見上げる。初夏の光がビルの窓に反射してきらきらしていた。
「物件も、恋も、条件だけじゃ決められない。」
人の心に寄り添うこと。それが、美咲にできる“営業”なのかもしれない。
続く 第6話:雨の日の契約書
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