第2話 初アポ、そして撃沈
第2話 初アポ、そして撃沈
朝9時。田島美咲は神田駅近くの雑居ビル街に立っていた。スーツの襟元に、春の風が吹きつける。手には会社から支給された名刺100枚。課長・大橋からのミッションは明確だった。
「今日中に名刺を100枚配ってこい。1件でもいい、アポが取れたら上出来だ。」
ビルのエントランスに足を踏み入れるたびに、インターホンを押すたびに、心臓が跳ねる。
1件目、2件目、3件目……反応は冷たい。受付に「アポが無い営業はご遠慮ください」と言われ、ドアを閉められることもあった。
10件を超える頃には、笑顔が引きつり、声にも自信がなくなっていた。
ある中年の社長には「お前、保険か?不動産か?あぁ、その顔で大変だな」と鼻で笑われた。
「……ありがとうございます。失礼いたします。」
目の前でドアが閉まる音が、まるで心にトドメを刺すようだった。
昼。近くの公園のベンチに座り、ペットボトルのお茶を口にする。もう20枚以上、名刺は減っていたが、手応えはゼロだった。
「私、向いてないかもしれない……」
つぶやいた瞬間、スマホが震えた。大橋課長からの社内チャットだった。
大橋課長:進捗は?数字で送れ。
田島美咲:配布25件、アポ0件です。
大橋課長:営業は数字。言い訳するな。午後は必ずアポを取り情報を持ってこい。
その冷たい文字を見て、美咲は目を閉じた。少し涙が滲んだ。でも、立ち止まっても何も変わらない。
午後、彼女は気持ちを切り替えて、少しエリアを変えてみた。人通りの多い駅近オフィスビルを重点的に回る。インターホン越しのやり取りにも慣れ、声に少しずつ芯が戻ってくる。
そして——
その日最後に訪れたIT系の小さな会社で、対応に出てきた男性社員が言った。
「ちょうど事務所を移転しようと思ってたところなんですよ。タイミングですね。」
思わず美咲は固まった。まるでドラマのセリフのようなその言葉に、心の中でガッツポーズを取るのをこらえた。
「でしたら、ぜひ一度詳しくお話をさせていただけませんか?」
名刺交換。アポ確定。
1日目、最後での奇跡だった。
会社に戻り、課長に報告すると、大橋は無表情でうなずいた。
「運が良かったな。明日は運じゃなくて実力で取れ。」
そう言って背を向けた。
でも美咲は、それでも嬉しかった。自分で勝ち取った最初の一歩。名刺を机に置いて、彼女は静かに微笑んだ。
「撃沈も、経験値に変わる。」
夜の帰り道、風はまだ冷たいけれど、足取りは少しだけ軽かった。
続く 第3話:クセ強上司とガチンコ対決
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