不動産女子の奮闘記
仮称CML不動産
第1話 転属通知とスーツの重み
第1話 転属通知とスーツの重み
春の終わり、東京・神田の中堅不動産会社「アーバン・リンクス」。その6階オフィスで、田島美咲は異動通知のメールを見つめていた。
件名は「人事異動のお知らせ」。
簡素で冷たい文面が、まるで誰かの他人事のように彼女の画面に映っている。
——営業第一課への異動を命ずる。着任は来週月曜日。
「……営業?」
思わずつぶやいた言葉に、隣の席の総務部の後輩・由梨が顔を上げた。
「田島さん、どうかしました?」
「……ううん、なんでもない。」
美咲はすぐに画面を閉じた。営業への異動。それは噂で聞いていた“戦場”だった。特に第一課は社内でも数字至上主義で知られ、離職率も高い。
この3年間、美咲は広報部で社内報の制作やSNS運用に取り組んできた。仕事は地味だがやりがいがあった。だがそれは、もう終わりなのだ。
その夜、帰宅途中の地下鉄で、彼女はスマホをいじるふりをしながら何度も考えた。
なぜ、私なの?
営業なんて、やったことない。
数字、ノルマ、飛び込み……無理。
できないよ、向いてないよ…。
それでも月曜日はやってくる。
朝、スーツのボタンを留めながら、彼女は鏡の前で小さく深呼吸をした。パリッとしたジャケットも、ヒールの音も、まだ身体に馴染まない。
第一課のフロアに入ると、空気が違った。電話の音、足早な社員、飛び交う数字。そして彼女の前に立ちはだかったのは、スーツの肩幅がやたらと広い男だった。
「お前が田島か。大橋だ、第一課の課長だ。で、営業は初めてか?」
威圧感たっぷりに見下ろしてくる中年男。初対面で握手もなければ笑顔もない。
「はい……本日から、よろしくお願いします。」
「よろしくもなにも、売れなきゃ意味ないぞ。うちの課は甘くねぇからな。明日から飛び込み100件。名刺を配ってこい!」
彼の声はまるで軍隊の号令のようだった。
美咲は思った。——これは試練なんかじゃない、試合開始のホイッスルだ。
会社を出る頃には、足が棒のようになっていた。でもその夜、いつもより味気ないコンビニサラダを口にしながら、ふと思った。
もう「向いてない」とは言わない。やる前から逃げない。これはきっと、私を変える物語の始まり。
そして次の日。
春の光を受けたガラス扉の前、美咲は名刺の束を握りしめて、ビルの呼び出しボタンに指を伸ばした。
続く 第2話:初アポ、そして撃沈
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