2-2.ヴァル、初めての登校

「いってきまぁーす」

 リビングの母親に声をかけ、大空悠斗は大きな欠伸を噛み殺しながら玄関のドアを開けた。昨夜は春休み最後だからと早めに寝たはずなのに、どうにも体が重だるい。まるで夜通し何かをしていたかのような、妙な疲労感があった。朝日が眩しく目に染みる。


「ふぁ~あ…、眠ぃ……」


 まだ完全に覚醒しきらない頭で門扉に手をかけた、その時――


「おはよ、悠斗。相変わらず締まらない顔してんじゃない」

「ゆうくん、おはよう!」


 左右から、対照的な声が同時に飛んできた。

 右隣の家の前には、少し呆れたような、しかしどこか楽しげな表情を浮かべた天城玲於奈あまぎ れおなが立っていた。きっちりと着こなされた深い紺色のブレザーは、彼女のスタイルの良さを際立たせている。艶やかな黒髪が春風に軽く揺れ、涼やかな目元が悠斗を捉えていた。一年前、突然隣に引っ越してきたミステリアスな美少女は、今やすっかり悠斗の日常の一部と化していた。


 一方、左隣の家からは、柔らかな笑顔を浮かべた田代麗たしろ うららが小走りにやってくるところだった。ふんわりとした栗色の髪をサイドで結び、少し大きめの制服をどこか可愛らしく着こなしている。家族ぐるみの付き合いである幼馴染の彼女は、そのおっとりとした雰囲気とは裏腹に、豊かな胸元が男子生徒たちの密かな注目の的だった。悠斗に向ける眼差しには、昔から変わらない親愛の色が宿っている。


「玲於奈に麗ちゃん、おはよ…ふぁ~ぁ……」

 悠斗は欠伸混じりの挨拶を返す。そんな態度に玲於奈が即座に噛みついた。

「しっかりしなさいよ。ほら、行くわよ。初日から遅刻する気?」

 そう言い放ち、玲於奈はさっさと歩き出す。

「ほら、 一緒に行こ、ゆうくん!」

 麗は玲於奈の後を追いつつ、悠斗を気遣うような視線を送る。

(まったく正反対の二人だなぁ……)

 悠斗は改めてそんなことを思いながらも、眠気を押しつぶし、二人の後を追って歩き出した。



 三人の通う高校までの道のりは徒歩十五分ほど。歩いて行ける場所にあったから悠斗はそこを選んだのだが、麗や玲於奈がどうなのか聞いたことがなかった。

 古くからある住宅街を抜け、この小さな町では広めの通りへと出る。その路肩の歩道を三人は並んで歩きながら、昨日のテレビ番組の話など、とりとめのないな話をしていた。もっとも、悠斗はまだ半分夢うつつで、話もろくろく聞かずに相槌を打っているだけといった感じだったが……


 そうして道程の半分ほどまで来た頃、三人が、道の脇に建つ五階建ての比較的新しいマンションの前を通りかかった瞬間――


 ヒュッ!


 鋭い風切り音が、悠斗の耳に届いた。


「ん――?」


 反射的に音の聞こえててくる方――頭上へと視線を上げる。その悠斗の目に信じられない光景が飛び込んでくる。自分たち目掛けて落ちてくる大きめのプランター。かなりの高さ、恐らく最上階の五階から落ちたものだろう。


「――!?」


 直撃を受ければどうなるか分からない。自分だけではない、すぐそばにいる麗と玲於奈もただでは済まないだろう。どうすべきか――悠斗の思考が瞬時停止する。その時、


(俺様に任せろ、悠斗!)


 脳内で響くヴァルの声。次の瞬間、悠斗は自分の肉体が勝手に動くの感じた。

 常人ではありえない反応速度。

 悠斗は玲於奈と麗の腕を掴むと、力強く自分の側へ引き寄せる。そして自分とそう変わらぬ体格の少女二人を軽々と両腕に抱え込むと同時に、地面を強く蹴った。


 ズドンッーーーーッ!!


 悠斗が飛び退いたその場所、ほんの一瞬前まで三人が立っていた路上に、プランターが叩きつけられた。けたたましい音と共に砕け、中に詰まっていた土と植わっていた植物を周囲に飛び散らせる。


「きゃあっ!」

「あっ――」


 腕の中で、麗が小さく悲鳴を上げ、玲於奈は息を呑む。

 悠斗は二人を抱えたまま数メートル後方に着地していた。ほっと一息つくが、心臓はまだ早鐘のように鳴っている。


「だ、大丈夫? 二人とも――」


 腕を解き、慌てて声をかける悠斗。

 女の子二人は悠斗からゆっくり離れると、共に彼へと視線を向けた。


「……え、ええ。あたしは、大丈夫。でも、今のは?」


 玲於奈は咄嗟の出来事に目を丸くしながらも、落ち着いた様子で悠斗を見た。そして、何事が起ったのかと今一度しっかりと確認するように落ちたプランターをじっと見る。


「わ、わたしも……大丈夫。ゆ、ゆうくん、ありがとう……でも、今の……すごかったね?」


 麗はまだ少し怯えたまま、潤んだ瞳で悠斗を見上げている。幼馴染が見せた常人離れした動きに驚きを隠せないようで、豊かな胸元が、安堵と恐怖で細かく上下していた。


「そうよ、悠斗、なに今の動き。あんた、あんなに運動神経よかった?」


 玲於奈が訝し気な視線を向けてくる。何かを探るような鋭い目つきに、悠斗は顔を明後日にそらしながら、


「いや、なんか火事場の馬鹿力ってやつかな……はは……」


 と曖昧に笑った。もちろん本当のことを言うわけにはいかない。自分の中に寄生型宇宙人がいることなど――


「火事場の馬鹿力……?」


 玲於奈は納得していなそうな顔を向けてくるが、それ以上は何も言わずに知らん顔をした。そんな時、


(悠斗、妙な気配を感じた)


 脳内でヴァルが緊張したように言う。


(あれが落ちてくる瞬間、微かだが、こちらを注目する強い思念を感じ取った。――今は…ないがな)


「強い思念?」


 言われた悠斗は、プランターの落下元と思われるマンションのベランダを見上げた。しかし、そこには人影はなく、静まり返っているだけだった。


 偶然の事故か、それとも――


 脳裏に浮かんだ不穏な可能性に、悠斗は思わず眉をひそめる。


「いったい誰が……」


 言い知れぬ不安が悠斗の中で広がり出した――

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