第二章 新年度の始まりは不安の始まり

2-1.始業式前夜

 新学期を翌日に控えた、春休み最後の日曜日の夜。東京都多摩地区西部、狭山丘陵に近い住宅街の一角にある大空悠斗おおぞら ゆうとの自宅は、静寂に包まれていた。父も母も、二歳下の妹もすでに寝つき、そして当の悠斗も自分の部屋でぐっすりと眠りに落ちていた。

 明日から高校二年生――悠斗は新年度の始業式に備えて早めに床に就き、今はベッドの上で規則正しい寝息を立ている。その意識はすでに深い眠りの底に沈んでいる――はずだった……


 バサッ…


 熟睡しているはずの悠斗が、少々乱暴に掛け布団を押しのけ上半身を起き上がらせた。だがその双眸は未だに閉じたままで、半開きの口からは明らかな寝息も漏れている。


 夢遊病――?


 その場面を見る者がいたらそう思うかのごとき行動。

 すると、閉じていた両目が、カッと見開いた。ところがそこから見えるのは白目。黒目は上を向いたままで、気絶している人のよう。


「…………」


 そのままじっと動かなかった悠斗だが、しばらくして、眼球がぐるりと回り、黒目が円を描くように三百六十度動く。更には上下左右に動いた後に、あるべき正面に落ち着いた。


「……あ、あう、うあああ」


 今度は悠斗の口からうめき声が漏れだす。


「ああ、うう、おーお、――う、うん、ああ、よし…、声も…、出せるか……」


 そう呟き、悠斗がゆっくりとベッドから降り立つ。そこで運動前の準備体操の様に手足を動かしていく。


「よし、悠斗が寝ている間は、いい具合に動かせるな……」


 悠斗の口から漏れ出る言葉――そう、いま悠斗の肉体を動かしているのは、彼の中に寄生しているヴァルだった。

 一週間ほど前に、ちょっとした成り行きで悠斗の中に住みつくこととなった、寄生型宇宙生物ヴァルヴァディオ。本来なら寄生相手を完全に乗っ取り、自在に動かすのだが、今は悠斗と共生という関係を保っていた。瀕死の状態で完全に相手を乗っ取るほどの力がなかった事もあるが、結果的に自分を助けてくれた悠斗に対する義理もあり、こういう形になっていた。

 なので、悠斗の意識がある時には基本的にその肉体は悠斗の意志によって動き、ヴァルの自在にはできない。しかし熟睡状態の今は、どうにかその体を動かすのに成功していた。


 悠斗=ヴァルは、体の動きを確かめ終えると明かりもない暗い部屋を、何の迷いもなく動き、慣れた様子で学習机へと向かった。そして天板に置かれたままのタブレットを手に取ると、すっと電源を入れた。画面の光が、悠斗の顔を闇に浮かび上がらせる。


「さて、今日も勉強といこうか……」


 ヴァルがタブレットを手慣れたように操作する。

 悠斗に寄生した次の晩から、こうして夜中に彼の肉体を操り、ネットを使って地球に関する情報を集めていた。

 その結果、この惑星が銀河連邦の版図の端にあり、ゴラオン帝国との境界に近い場所に位置していることがわかった。更にまだ本格的に宇宙へは進出しておらず、故に地球人以外の生命体との接触は、公にはしていないことも知った。

 となると、連邦も帝国も、そしてシンジケートも、大っぴらに活動はできないわけで、それらから逃げているヴァルにとっては、この地球は悪くない隠れ家となる。


 自身の力が完全に回復するまでは、このまま悠斗との共生を続けよう――ヴァルは早々と決断し、更に地球のについて調べた。自然環境、人類の歴史、現在の政治、経済、そして軍事状況などを、ざっと調べた。その後、今自分がいる日本と言う国の情報を探り、悠斗がごくありふれた家庭の、ごくありふれた学生であることを認識する。


 ごくありふれた――戦闘のない世界……


 ヴァルにとってそれは未知の世界だった。

 それはどんな世界なのだろう――ヴァルはネットに溢れる現在の日本の姿を見て学ぶ。そして、昨晩からは悠斗が明日から通うという高校と言うやつにターゲットを当てていた。


「えっと、昨日の続き……」


 そう呟きヴァルがタブレットに映し出したのは――学園ドラマだった。それを倍速で見ながら、画面を分割して片方に学園ものの小説を映し出してそれを読んでいく。


「ふむふむ、これが学校だな……。勉強…、部活…、恋愛…、友情…、ほうほう、おお、青春――ふむ、これが青春ね…、うむむ、学園で殺人! 探偵――、なんだ、異能者? 七不思議? おお、ふむふむ、ヒーロー、ロボットまで! うーん、色々なことが起こるところなのだな、学校とは……」


 ひとりごとを言いながら、映像と文章を常人をはるかに超える速さで見続けていくヴァル。学校を舞台に繰り広げられる様々な物語に、いつしか引き込まれていた。


 銀河最強の兵器――そう呼ばれるヴァルにとって、日常とは、敵を殲滅し、生き残るための闘争の連続だった。仲間とは戦友であり、目的達成のための駒でしかなかった。友情や恋愛といった、非生産的で非合理的な感情など、経験したことがない。

 しかし、悠斗の記憶や感覚を共有し、地球の文化――特に、この学校という舞台で繰り広げられる物語に触れるうちに、ヴァルの内に変化が訪れていた。


 タブレットの中で、主人公らしき少年が仲間たちと目標に向かって努力し、汗と涙を流している。別の場面では、少女が意中の相手に想いを伝えられず、頬を染めて俯いている。放課後の教室、夕暮れの帰り道、賑やかな体育祭。そこで描かれるキラキラとした日常、他愛のない会話、甘酸っぱい感情の交錯。


「青春か……」


 ヴァルは、その言葉の響きが妙に気に入った。今までの自分の生活にない概念。

 一つの目的に向かって、時には目的もなく集い、語らい、笑い合う。生存とは無関係なことに必死になる。非効率極まりない。だが、同時に、どうしようもなく眩しく、温かいものに思えた。戦いの中で研ぎ澄まされてきたヴァルの本能とは真逆の、無駄で、不明瞭で、だからこそ尊い何かが、そこにはあるように感じられた。


「……明日から始まる新学期とやらは、この青春を体験する絶好の機会ということか。ふむ…、楽しみだな」


 タブレットの画面には、卒業式で涙ぐむ生徒たちの姿が映し出されていた。ヴァルは、まだその感情の意味を正確には理解できない。だが、胸の奥――悠斗の肉体を通して感じる心の奥底が、微かに疼くような感覚を覚えていた。それは、銀河最強の兵器には決してなかった、新しい感情の芽生えだった。


「お、いかん、そろそろ夜明けだ」


 ヴァルはそっとタブレットの電源を落とし、悠斗の体を再びベッドへと導く。そして横たわり掛け布団をしっかりとかけると、肉体の主導権を眠りの主へと返し、自身は意識の深層へと沈んでいった……


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