いつの間にか私たち、結婚していたみたいです-3

「行くんですの?」

 苦い顔をしているクライブにイヴは聞いた。

「行かないわけにはいかない。こんなことならやっぱり先に行くべきだった」

「どういうことです?」

「僕たちが行く前にあることないこと触れ回るつもりだ」

「あることはともかくないことって?」

 クライブは言いにくそうだった。

「僕ね、いろいろあってさ、別居中の妻がいる設定なんだよ」

「設定ですね」

 事実の確認は重要だ。片付けをしながら会話は続く。

「うん。設定。メガロポリスで忙しくしていて、妻とはすれ違ってろくに会っていないと説明していてね……」

 イヴは自分の発言がその設定にぴったりはまることに驚くと同時にクライブを困らせてしまったことに気付いた。

「……つまり、別居中の妻が来たと、それを隠しているとジョージに勘ぐられたわけですね」

「まさか適当に作った設定でこんなことになるとは……」

 クライブは文字通り頭を抱えた。本当に頭を抱える人っているんだなあとイヴは人ごとのように思って見る。

「別にいいじゃないですか。別居中の妻設定。私でよろしければ是非その設定にのらせていただきますよ」

「君、ノリいいねえ……」

 クライブは呆れ顔でイヴを見下ろす。

「その設定ならば、知らない男性に私が声を掛けられることもないのではと考えるのですが」

 それに人妻ということで触れ回れば、万が一ストーカーがここまで追ってきたときに情報攪乱になる。ストーカーが追っているのはオールドミスの冴えない弁護士なのだ。とはいえ本当に万が一だと思う。

「男よけについてはその案について考えなかったと言ったら嘘になるんだが……」

「なるんだが?」

 クライブは荷物をSUVの荷室に載せ、助手席のドアをイヴのために開ける。もうしなくていいのにとイヴは思うのだが、甘んじる。クライブも運転席についてから、会話が再開する。

「君に失礼じゃないかと思って……君は独身女性なんだから」

「ちっとも失礼なんかじゃありませんよ」

 イヴはにっこりと微笑んで見せた。

「問題はある」

「どこに?」

「僕の中に」

 意味深な台詞だが、その台詞の意味を聞く勇気がイヴにはない。

 クライブはアクセルを踏み、SUVが動き出した。

 朝に予定していたのは射撃訓練だけだったので、家に戻ってからは昼まで各々の時間を過ごす。イヴはコテージで音楽を聞きながらアウトドア料理の本を読み、作りたいものを考える。そもそも調理道具を知らないのでスマホで調べながらなので時間もかかる。しかしイメージが膨らむと作りたくなってくるものだから不思議だ。ダッチオーブンでかたまり肉と根野菜と芋を蒸し焼きにするだけでもとても美味しそうだ。クライブはダッチオーブンを持っているのだろうか。聞いてみようと考えていたらお昼になった。

 クライブはランチはジョージの店にしよう、と言った。

 今夜来いよ、とジョージに言われたものの、それは飛んで火に入る夏の虫というものである。行けばこの街の男衆の酒の肴にイジられまくることはイヴにでも容易に分かる。しかしだからといってジョージの店に行かないという選択肢はない。なので比較的イジられずに済みそうなランチタイムに行くことにしたのだろう。実はクライブの家からジョージの店まで直線距離で200メートルも離れていない2軒隣だ。これで顔を出さずにいたのは不義理と言われても当然である。そういえば行こうと初日に誘われていた。しかしあのときにいったらこんな別居中の妻設定にはならなかっただろう。打ち解けている今だからこそジョージにそう思われたに違いない。

 クライブはイヴに別居中の妻設定は失礼だと言ったが、イヴ自身は楽しみだ。どのくらい距離を近くすればいいのか、男性とつきあったことのないイヴには分からないが、なんとなく、そう、これまでよりも3センチ近ければそんな風に見て貰えるのではないかと思う。

 今日は割と気温が上がり、20度ほどになっていた。

「このくらいだと海水浴しているかもなあ」

 ジョージの店へ向かって歩きながらクライブが言った。

「そんなの凍えちゃいません?」

「この辺は冬は零下40度になることもあるんだ。寒さに慣れると20度でも暑く感じるらしいよ」

「驚きです」

 仮にイブが海水浴できるくらいの気温になったとしても水着にはならない。とてもではないが彼に水着姿を見せるほどの自信はない。そもそも持って来ていないが。

 うーん。それでもな……と考えているとジョージの店に着いた。ジョージの店もログハウスだが、少々ネオンサインがついていたりして、レストランというかパブっぽい。屋根にはカフェと看板が出ている。一体何の店のつもりなのだろうか。

 店の中に入ると広くて明るいフロア。ログハウスだから当たり前だがウッド調の内装。奥にカウンター、手前にテーブル数席。テーブルはほぼ埋まっている。昼間が長いこの時期はランチの時間も長いので客が分散する傾向にあるらしいが、今日は多いようだ。

 クライブは空いているカウンターの席に座り、イヴも隣の席に腰をかける。

 カウンターの中にはジョージと雇われていると思われる若い男性が2人。ジョージはクライブとイヴを認めると大きく口を開けた。

「おいおい夜に来いって言ったじゃないか」

「むざむざと袋だたきに遭うようなことはしない」

「そもそも私、基本的にはお酒を飲まないので」

「そうか……また夜も来てくれればなおいいな」

 自分に都合のいい解釈をしてジョージは大笑いした。

 クライブはサーモンバーガー2人分とシーフードチャウダーを頼む。シーフードチャウダーはシェアだ。

 料理が出てくるのを待っている間に、テーブルに着いていた先客たちが挨拶に来る。具体的にはちょっと年を食った青年2人だ。

「ようクライブ久しぶりじゃないか」

「ガイドする客、ちゃんと来てるのか?」

「ボチボチだよ」

 クライブが答え、視線がイヴに向かうとジョージがカウンターの中から目線を投げる。するとおお~~と2人はイヴを見てニンマリした後、クライブを見る。

「そうかそうか」

「このところ毎晩ベッドの中は暖かいんだな」

「大きなお世話だよ」

 クライブが苦笑し、イヴはどのように答えたらいいか分からず、愛想笑いするしかできない。男の1人がイヴの顔をのぞき込んで聞いた。

「こんなところまで来てくれたってことはこいつとよりを戻す気があるってことかい?」

「余計な口は挟むな」

 ジョージが睨みを効かせてくれ、男は小さく口笛を吹いた。

「すまん、野暮だった」

 そして男2人はテーブルに着いていた奥さんなのか恋人なのかに呼ばれ、そそくさと退散してくれた。

「ありがとうございます」

 イヴはカウンターの中のジョージに言った。

「なに。最初だけさ。すぐ慣れて、この街の人間だってみんな思ってくれる」

 ジョージが誇らしげに言うので、どこかクライブも嬉しそうだ。クライブもよそ者だったのだ。それがいつしかこの街の人間になった。それにはジョージのような大人の男が仲間と認めてくれたからに違いない。

 イヴにはイヴの事情があるにせよ、まだあと3週間あまりこの街にいるのだから――経過によってはもっといることになるのだから――この街に馴染むのも必要かと思わされた。

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