いつの間にか私たち、結婚していたみたいです-4

 出てきたサーモンバーガーはとても大きく、アボカドにピクルス、トルティーヤチップスにスライスされたトマトと色鮮やかで、クライブの家では見ることがない鮮やかさだ。アボカドもトマトも輸入されたか温室栽培のものだろう。それらの野菜は高価なのだ。

 そしてシーフードチャウダーは具だくさんでとても豪華で満足できる一品だった。海が近い街なだけはある。ランチからこんな贅沢をしていいのかとイヴは自分のお財布の紐を確かめそうになった。

 どちらもとても美味しく、外食する理由になる特別さがあった。

 2人がほとんど食べ終えた頃、遅い昼をとる客がまた1人、ジョージの店に現れた。クライブはその客を一目見るなり、おっ、と声を小さく上げ、カウンターの方に顔を向けて振り返ろうとはしなかった。

「クライブ! 久しぶりじゃない?!」

 ハスキーな女性の声にイヴは振り返り、マジマジと声の主を見た。赤毛でそばかす、絵に描いたようなフライトスーツを着ている。胸元を大きく開けており、豊満な谷間がばっちり見えている。かなりグラマラスだ。

「……マージョリー」

 恐る恐るといった様子でクライブが入り口の方に目を向けると赤毛の女性ははつかつかと彼の前までやってきて言った。

「別れた奥さんが来てるんだって?!」

「離婚はしていない」

「あ、別居中だっけ。ウチと同じで」

「なら間違えるなよ」

「つれないなあ。夜を幾度も共にした仲だというのに」

「お互い酔ってたときだし……」

 聞き捨てならない台詞が聞こえてきて、イヴはパニックになりかけた。いや、クライブも独身男性だし、そういうことがあってもなんの不思議もないし、自分がこの街に来る前なのだろうから特になにか言えることもないのだが、ただ動揺する。

「マギー……すぐそばにいるんだ。静かにしてくれ……」

 カウンター越しにジョージにたしなめられ、マージョリー=マギーは肩をすくめて小さな声で言った。

「ああ、噂の!? もしかして?」

 そしてマギーはようやくイヴに気が付いた。

「イメージと違う~~」

「大きなお世話です」

「おほほほほ、ごめんなさいね。余計なこといって。ほら、旦那を放っておくのが悪いってことで許してね。スポーツみたいなもんだと思ってちょうだい。ちょっと接触は多いけどいい汗かくのは同じでしょ?」

 マギーはそう苦笑いしつつイヴの顔色を窺った。今までイヴの周りにいなかったタイプの女性だ。

「どんな女だと思っていたんです?」

 イヴは座ったまま彼女を振り返り、見上げた。これは戦闘だ。戦闘開始だとイヴの頭の中でゴングが鳴っていた。

「茶色いとかグレーのスーツばっか来ていて、料理はテイクアウトばかりで仕事優先のお堅い女」

 イヴはどきりとする。

「どうしてそんな風に思ったんです?」

「クライブはこんななりだけど、どこか真面目なのよね。だからかな」

 それはイヴもクライブの行動の節々に感じることがある。しかしそれでもどうしてメガロポリスにいるときの自分の像が彼女の中に浮かぶのか全くの謎だ。

「すごい。合ってる」

 クライブが驚き、イヴは彼の足を踏んづけたくなる。まさか自分の脳裏にこんなベタなリアクションが浮かぶなんて軽く驚きだ。

「でしょー 伊達に客を乗せる商売してないよ。今が無理してんだ?」

 マギーは得意げに笑う。

「無理はしてません」

「そっか。無理はしてないか。ふふーん……元妻ってホント?」

 マギーは訝しげにイヴの顔をのぞき込んだ。

「だから元じゃないって」

 ジョージが突っ込む。

「いやいや。……これくらいにしておくか。離婚したらまた声を掛けてね。あたしもがんばるからさ。ジョージ、いつものね」

「先に注文しろよ」

 そんなやりとりの後、マギーはちょっと離れたカウンターの席に座って別の客と話し始めた。

 イヴはうーんと少し考えた後、クライブに言った。

「美人ね……」

「そしてグイグイくる」

「そんなところに魅力を感じちゃったのかしら?」

「……酔っていたことは言い訳にならないな」

「別居中とはいえ間違いなく浮気なんだからもっと怒ってもいいと思うぞ」

 ジョージが我慢できなくなったのかツッコミを入れる。

「……いえ。そんな資格、私にはないので」

 実際にそうなのだ。勝手にジョージに別居中の妻認定されたのをいいことに、そのフリをちょっとだけしているに過ぎない。確かにそのフリを続けるのなら、少しくらい怒った方がいいのだろう。しかし怒りよりも自分に魅力がないのだとショックを受けているらしい。客観的にはイブはそう思う。

 どうも微妙な塩梅らしい、と感じ取ったのかジョージは黙った。

「……今はもう違うから」

 なんかそれっぽい台詞だなと思い、イヴは少し可笑しくなる。

 すると若い店員がコーヒーを2つ持って来てくれた。

「最近はランチにコーヒーがつくようになったのかい?」

 クライブがジョージに聞くとジョージは肩をすくめた。

「おごりだ。イヴェットの歓迎の意味もある」

 そしてジョージはウインクした。

 イヴは自分の中のイヤな雰囲気が消えたことに少し驚きつつ、微笑んだ。

「それなら夜にするんだった。夜だったらビールの1杯も奢ってくれただろうに」

「その分、周りにイジられまくるがな」

 クライブとジョージは笑った。

 コーヒーを飲み終え、2人はジョージの店を後にする。家まではすぐに着いてしまう距離なのだが、イヴには長く感じた。クライブが沈黙したままだったからだ。彼としてみれば気まずいのだろう。

「すまなかった。やはり連れて行くべきではなかった」

 イヴは考えていた台詞を口にする。

「いえ。そうしたら逆に目立って怪しまれていたかもしれません」

 そう理性的にはまだ判断できる。しかし心の深いところまでモヤッとしたものがかかっていることもイヴは分かっている。初めての経験なので最初は分からなかったが、少し時間が経った今なら分かる。

 これは嫉妬だ。

 マギーに嫉妬しているのだ。嫉妬しても仕方がない対象だとは分かるがそれでも気持ちは晴れない。クライブとイヴが出会う前の話だろうし、たとえその後だったとしても、イヴがクライブと彼女が何をしようとどうこう言える立場ではない。それは分かっている。だけど。

「……怪しまれたとしても、そのときは僕が君を守ったよ。だけど僕は今、君を守れなかったんだ」

 クライブはそう言うと悔やんだような目をしてイヴを見た。

 イヴは彼の心を軽くしたくて言った。

「ぜんぜんそんなことはないですよ。マージョリーは女の私から見ても魅力的だって分かりますから。私には恋愛経験がないのでどうするのが最善手だったのか分かりませんけど……」

 少ししてからクライブはまた言った。

「すまなかった」

 その真意がイヴには分からない。

 もしクライブも自分のことを憎からず思っていて、自分がクライブに好意を抱いていることを理解しているのであれば、マギーと過ごした一夜を知って傷ついたことを理解するだろう。それを理由に再び自分に謝ったのだとすれば、それは喜ばしいことだ。

 しかし今のイヴにはその推理が正しいかどうかを彼に聞く勇気はない。

 今はただ、嫉妬している別居中の妻という設定を楯に彼に膨れてみせればいい。

 そう思いながらクライブと共に歩いたのだった。

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