美人さんがやってきた!-3

「このお魚、美味しいですね。くせがない」

 バターソテーにされた白身の魚はイヴが生まれてこの方、食べた覚えがないほどすっきりした味わいをしている魚だ。

「お魚が苦手な人でも食べられるよね。“おひょう”っていうカレイの仲間なんだ。こいつは大きさ80センチ以上あった。僕がバイダルカで釣ったんだ」

「すごい」

「1人で食べきれないから冷凍したものだけど」

「もしかしてしばらく続きます?」

「ウシとトナカイの肉も間に挟むよ。サーモンの冷凍もある」

 ということはお魚がしばらく続くらしい。しかしおひょうは飽きが来ないシンプルな味だし、バジルと一緒に口に入れると味変ができる。

 スープは味付けは塩だけ。緑はキャベツかなと思う。そういえば庭にキャベツが植わっていた気がする。塩だけだと野菜の風味が楽しめるのだと知り、少しくすぐったく思う。自分は今まで何を知っていたのだろう。分からなくなる。

「このナンは?」

「僕が焼いた。オーブンは薪オーブンだよ」

「私でも薪オーブンを使えるようになるかしら」

「使えるようになろうと思えば使えるようになるさ」

 コテージの方はIHだった。確かこの街の電力供給は太陽光と風力、そして水力発電のミックスで、大型の蓄電施設でコントロールし、足りなくなるときはディーゼル発電だったはずだ。そういうところは調べてきたイヴだが、どうも自分がずれている気がしてきた。きっと薪の方が環境負荷が小さいだろうから積極的に使いたいものだ。

 メガロポリスでろくなものを食べていなかったイヴにとって、今夜の夕食はご馳走になった。ちなみにソテーのソースもスープのカップもナンで拭くように指示された。ナンで拭いて食べるだけで食器はかなりきれいになる。

 クライブはゆっくり食べていたが、それでも先に食べ終えてしまい、薪オーブンの天板に置いてあったヤカンでハーブティーをいれてくれた。イヴが食べ終えた頃が飲み頃だった。

「とても美味しかったです。お茶も美味しいです」

「毎日だとすぐ飽きるよ」

「いえ。いつも自動販売機の冷凍弁当ばっかりでしたけど飽きませんでしたから、それはないかと」

「舌、大丈夫?」

「ダメかもしれません」

「でもきっとすぐにリセットされるよ。僕がそうだったから分かる」

「だといいんですが……」

 しかしメガロポリスに帰ったときは辛くなる気がする。あの無味無臭の生活に戻れるのかイヴは心配になる。それでも安全が確保されてメガロポリスに戻れるものなら戻りたいと今も強く思う。

「洗い物は私がします」

「したければしていいよ」

 2人で食器をシンクに下げ、イヴは食器を洗う。洗剤は生分解される洗剤を使っていた。泡立ちは良くないが汚れは十分落ちた。その間にクライブはお風呂の準備をしてくれていた。

「悪いのだけれど、なるべくシャワーは使わないで、湯船に張ったお湯で、湯船の外で身体を洗って欲しい」

「どういうことです?」

「屋根の上の太陽光温水器でお湯を作っているんだが、流しっぱなしにするとすぐになくなってしまうんだ。東洋風だと思ってくれ」

「わかりました。シャワーは髪を洗い流すときだけにします」

 なにやらちょっとエスニックでオリエンタルな雰囲気の風呂らしい。コテージに戻って準備を済ませて浴室に入る。浴室はスペースが広くとられていて、洗い場も湯船も広く、湯船はこれもまたお手製らしく木製だった。木の香りが心地よい温かな湯船を楽しめた。また、お湯を太陽光で作っていると聞いて、クライブは自給自足を心がけているのだなとその温かさで実感できた気がした。

 お風呂から出て髪をタオルで拭きながらリビングに行くとクライブがぎょっとしたような目でイヴを見た。

「……? 先にお風呂に入らせていただき、ありがとうございました。どうかしました?」

「いや、日が落ちると冷えるから早めにコテージに戻った方がいいよ」

「そうですか。わかりました。でもお風呂もとても素敵でした」

「それも何より」

 髪はコテージで乾かした方が良さそうだ。お風呂の荷物を手に母屋から去ろうとするとクライブがイヴを呼び止めた。

「明日の予定はある?」

「逆にお聞きします。ガイドの仕事があったりしませんか?」

「いや、ない。明日はこの辺の案内をして、そのあと軽くシーカヤックに乗って貰おうかと考えていたんだけど、どうかな?」

 イヴは考える。案内されるのはいいが、街の人の目にさらされることで足がつかないだろうかと心配してしまう。イヴは首を横に振った。

「案内はそのうちに。シーカヤックについてはまず拝見させていただきたいです。あとはゆっくりと読めていなかった本を読みたいと思います」

 ここの街にも携帯の電波は届いている。電子書籍は選び放題・読み放題だ。

「……そうか」

「何か気になることでも?」

「美人が泊まっていることが広まったら街中が大騒ぎだから、先手を打ってレストランに行こうかと思っていたんだが……」

 そのレストランがこの街の社交場なのだろう。余計に行きたくない。しかし尾ひれがつくよりはいいのかもしれない。悩む。

「でも、それも後で」

 気持ちが落ち着いてみれば、休暇中にやりたいことはいっぱいあるし、クライブがガイドしてくれるのならきっとシーカヤックも面白いだろう。人に会うよりはそっちの方が断然いい。イヴは言葉を続ける。

「だって外食だなんてする理由がみつかりません。あなたの料理とても美味しかったですよ」

「それはありがとう……」

「あと、美人って誰のことです?」

「君だよ君!!!」

 クライブはムキになったように言い返す。イヴはちょっと考え、彼女なりの答えに至る。

「お世辞は不要ですよ。そんなこと初めて言われました。私、もう30歳になるアラサーですし」

「そりゃあの……いや、なんでもない」

 クライブはごにょごにょと言葉を濁した。

「では、おやすみなさい」

 イヴは穏やかな心持ちでそう言えることを幸せだと思う。メガロポリスのアパートメントにはそういう相手はいなかった。数年ぶりのお休みなさい、だ。いや、もっとだろうか。分からない。

「お休み。戸締まりはしっかりね」

 イヴはウインクして母屋を後にした。

 まだ太陽は沈まず、ずっと低空飛行している。さすが北極域だなあと思う。川の水が流れる音が遠くから聞こえる。とても静かだ。

 少し離れた隣の家も夕食時なのだろう、明かりが点り、煙突から煙が出ている。

 穏やかで静かな辺境暮らし。

 ここで自分の心が救われればいいとイヴは心から願うのだった。

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