美人さんがやってきた!-2
イヴが目を覚ましたとき、まだ外は明るかった。コーヒーを飲んでいたから、少しうとうとしただけかと思ったが、室内の掛け時計を見るともう8時を過ぎていた。たっぷり2時間眠れた。その間、少しも覚醒しなかったのだからずいぶん深く眠れたらしい。8時間も空の旅をしてきた甲斐があった。これだけメガロポリスから離れれば安心だ。それともあの熊のような大男のクライブがいることで安心できたのだろうか。彼はとても頼り甲斐があるように見えるし、声は優しげだ。ヒゲを剃ったらどんな顔なのか是非見てみたいと思う。
「……もしかして私、期待してる?」
ハンサムだったら嬉しい、と頭の中で言葉にしている自分にイヴは驚いた。……いや、ハンサムであろうとそうでなかろうと自分には関係ない。ここにはストーカーから逃れるために避難してきただけに過ぎない。そう自分に言い聞かせる。ちょっと優しくしてくれた異性がいたからってチョロすぎるだろ、自分、とイヴは自分を叱咤する。
母屋ではクライブがもう夕食を準備してくれているかもしれない。待たせてしまっていると悪いと思いつつイヴはコテージから離れようとするが、トランクケースに目を留める。トランクケースの中には、メガロポリスでは携帯が禁止されている場所以外では常に身につけていた護身用拳銃が入っている。この北の国での所持規制はフロンティア故か他の州より断然緩い。それが分かっていたからこそ持って来たのだが、わざわざ母屋にまで持っていくべきだろうか……ここにいるのは彼だけだ。
1分ほど逡巡した末、イヴはポーチに入れて拳銃を持っていくことにした。携帯しなくても近くに置いておかないと落ち着かない。いやいやそんなことより、と彼女は自分の身なりをチェックする。眠っている間にワンピースに皺がついてしまったかもしれないと思い至ったからだ。幸い、気になるような皺はついていない。安心して母屋に向かう。
母屋の扉にはカギがかかっていなかった。不用心だなと思うのと同時にそれでいいという治安の良さが感じられた。アンカレッジではそれ相応に犯罪が発生しているが、こんな辺境の街では無施錠が許されるのだろう。
リビングのソファにクライブの姿を見つけ、イヴは開口一番こう言った。
「素晴らしいベッドでした。とてもよく眠れました」
「最高の褒め言葉だ。そう……それは良かった」
「もしかしてベッドも自分で作られたとか?」
「そうだよ。僕の手作りだ。さあ、夕ご飯にしようか」
クライブは立ち上がり、キッチンに入った。
「何か手伝うことはありますか?」
「今日のところは休んでいてよ」
カウンターの向こう側で彼がなにやら鍋をふるっている気配を感じる。
「ではそうさせていただきます」
イヴは6人掛けほどの大きさのテーブルの席に着く。テーブルの上にはもう皿やグラスが用意されている。確かに特に自分ができることはなさそうだ。
気が付くとBOSEのミニユニットから小さな音量でインストルメンタルが流れていることに気付く。イヴがインストルメンタルを聴くのは資料を頭に入れるとき歌詞が邪魔だからだ。別にオフのときは歌詞があってもいい。しかしそれを彼に言うのは今ではないと思う。クライブが新しい自分の情報を聞いて、さっそく気を遣ってくれたのがとても嬉しい。
大きな鉄のフライパンを手にクライブがテーブルまできて、フライパンの中身をサーブした。白身魚のソテーだ。フライパンの底に残ったスープを等分くらいにして2皿に分ける。バターのいい香りがリビングに立ちこめる。
お皿には飾りの青い葉が乗せられている。バジルかなと思う。あまりハーブの知識がないイヴである。
フライパンが空になるとクライブは今度は鍋を持ってくる。透明なスープをお玉でスープカップに注ぐ。タマネギと緑の野菜が見える。最後にナンのようなパンを大皿に2枚のせて持って来てクライヴは食卓に着いた。
「あ、ごめん。ワインもあるけど、どうする?」
「今日はやめておきます。まだ着いたばかりで疲れているので」
「そうだね。それがいいかも。お酒を飲むと眠りが浅くなるからね」
昼寝前にコーヒーを飲んでもあれだけ眠れたので、お酒を飲んでも眠れそうな気がするが、また眠れなくなる恐怖に襲われるかもしれない。だからやはり今夜はアルコールを控えておこうとイヴは思う。
拳銃が入ったバッグはソファの上に置いてしまう。ここは安全な場所なのに拳銃に精神安定を頼るのは良くない。
「食後にはノンカフェインのハーブティをいれよう」
イヴは笑顔で応え、さっそく2人の夕食が始まる。
「ここに来てから2人で食卓を囲むのは初めてだ」
クライブが白身の魚を切りながら感慨深げに言った。
「今までお客さんは?」
「ここには泊めなかったし、ガイドの時は外で食べるからね」
「そうなんですね」
イヴはクライブの職業はガイドだと聞いていた。観光ガイドなのかトレイルガイドなのかはボスから聞いていなかった。
「このテーブルも僕がお客さんを迎えるために作った」
「見事です。でも本職は何を自称されているんですか? 家具職人?」
「自称シーカヤックガイドかな。木工は木のフレームのカヤックを作っているときに学んだんだ」
「シーカヤック!」
あまりアウトドアに素養のないイヴでも知っている。細長い、海の上を漕いですーっと進む小舟のことだ。5~6メートルほどの長さがあって幅は人が乗れるぎりぎりくらい。水が入らないようにカバーで乗り手と船が一体化する。
「知っていてくれて助かるよ。お客さんには丈夫で軽いからFRPとかケブラーのシーカヤックを使って貰うことが多いんだけど、自分は“バイダルカ”を使いたくなってね」
「“バイダルカ”?」
「北極圏の先住民が流木でフレームを、外皮をアザラシの皮で、ロープをそのほかの海獣の筋を使って作ったものをいうんだ。スキンカヤックとも言うし、ロシア語だから“イキャック”ってアリューシャンの言葉で言う人もいる」
「アザラシの皮とはまた……」
「今は化学繊維を使っているけどね。バイダルカは化石燃料を使って作ったシーカヤックに負けないくらい速いよ」
「速いって?」
「3ノットくらいかな」
「ノット?」
「1ノット1.8キロくらい。時速で6キロより出る」
速さの基準が分からない。確かに海の上を歩くと思えば速い。話題を変える。
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