第2話 美人さんがやってきた!

美人さんがやってきた!-1

 やれやれ。

 クライブはイヴと離れ、ようやく平常心を取り戻せると安堵した。そして母屋に戻るや否や携帯電話を手にして音声通話のアイコンと連絡先をタップする。相手はイヴのボス。クライブの先輩だ。時差5時間、メガロポリスは真夜中の時間帯でも、弁護士事務所がまだ明るいのはよく知っている。だが、それでも一言二言いわずにいられそうにない。おそらくイヴを気に留めていたのだろう。数コールで相手は出た。

『おお……サイラス。そろそろ掛けてくる頃だと思ったんだ。ウォーカー女史は無事到着したかね?』

「彼女がウォーカー女史ご本人なら、今、僕が建てたコテージに初めて入ったお客になりましたよ」

『それは良かったじゃないか。でも、ご本人ならってどういう意味だい?』

「どういう意味も何も、先輩が送ってきた画像とぜんっぜん違うじゃないですか! 美人さんですよ!」

『そうなのか……オフの彼女は美人なのか』

 電話の向こうで先輩が笑ったようにクライブには思われた。

 クライブは空港で彼女に声を掛けられたとき、事前に彼から送られてきたミス・イヴェット・ウォーカーの画像とのあまりの違いに、まず同一人物かどうかを疑った。先輩から送られてきた画像の中のミス・イヴェット・ウォーカーは、きついひっつめ髪にツリ目風のセル眼鏡。スーツはかなり野暮ったいが、知的に見えなくもない、端的に言えば行き遅れのオールドミスの鬼家庭教師といった風貌だった。しかしクライブも元の職業柄、人を見る目はあり、画像の中の女性の細かい特徴も頭に入っていた。明るめのブラウンの髪にアンバーの瞳。アンバーの瞳は光を受けて金色に輝いて神秘的だった。イヴェットと名乗った美人さんも画像の中の女性と同じ特徴を有していた。だからこそ空港でも両者が同一人物という判定を下し、平静を装って応対し、家まで案内してきたのだ。

 クライブはかつて幾度も画像の中のイヴェットのような風貌の女性弁護士と裁判所で対決したことがあった。だが、みなこれが自分の戦闘服だと言わんばかりの攻撃的な弁護士たちだった。なのでうまくやれるか心配になったのだが、恩人の先輩の頼み故、断れなかった。しかし幸いなことに、そして驚くべきことに空港で声を掛けてきたミス・イヴェットは、見るからに知的で都会的なすらりとした美人だった。雇用主である先輩がその姿を知らないということはなるほど、先輩の話の通り彼女は仕事漬けだったらしい。

『せっかくだから画像を送ってくれたまえよ』

「そのうち撮る機会があるでしょうが、送りません!」

『ええぇ~~どうして? 見たいなあ!!』

 本当に残念そうな声で返ってくる。

「僕を騙した罰です。本当は彼女が美人だって知っていたでしょう?」

『さあどうかな』

 以前からお前も結婚しろと言われ続けていただけにその疑念は拭えない。

「困ります! あんな都会的な美人が1ヵ月も滞在するとなったら、この街の男どもは大騒ぎ、いえ、お祭り騒ぎですよ!」

 スラリとした肢体だが、胸もお尻もそれなりにあるし、年齢を感じさせない張りもある。きっと普段から運動しているのだろう。イヴはこの辺りではちょっと見かけられない知的美人だ。

『別にそれでもいいだろ。お前がいるんだから』

「僕なんてこの辺の男衆の足元にも及びませんよ! どんだけ北の国アラスカの男が頑強か知らないでしょう!!!」

『お前も今はその北の国の男だろう。しっかりしてくれよな』

 くう。ああ言えばこう言うだ。昔から変わらない、とクライブはこの辺を争点にするのはやめることにする。

「……イヴは……少しはくつろいで貰えていると思いますよ」

『それはよかった。それだけが私の望みだからね……ってイヴって、もうファーストネームどころか愛称で呼んでいるのかい?』

「ええ、彼女からそう申し出があったので」

『君は早くも相当気を許されているんだな。その調子で彼女の気持ちを和らがせてやって欲しい』

「それは任されました」

 クライブは『先輩に言われたから』ではなく、自分自身の意思でそうしてあげたいと思い始めている。時々垣間見える安堵した表情に、今まで彼女が追い詰められていたことを否が応でも感じ取ってしまうからだ。

 先輩からは彼女が裁判の過程で真犯人を明らかにし、その真犯人が逮捕されたのはいいが、その真犯人の兄が裏社会の有力者で、その男に狙われて散々嫌がらせを受けていると聞いていた。その兄がなかなかしっぽを出さず、警察も決め手を欠いているらしい。そのため、先輩はイヴをこんな北の国に避難させることにしたとのことだった。しかし単に避難してくるだけで過大なストレスを受けた心が回復するわけではない。それはクライブ自身がよく分かっている。だからこそ彼は単なるホスト以上にイヴの力になってあげたいと思う。それは美人だからじゃないぞ、と同時に自分に言い訳もしている。

『それにな、絶対にウォーカー女史に感謝されると私は確信しているんだ』

 やはり先輩は恋のキューピットにでもなるつもりらしい。

「そうですか。はいはい、わかりました」

『また報告してくれよ。楽しみにしている』

「……何を楽しみにしているんですか」

『明日は何をするつもりなんだい?』 

 先輩から素直に答えが返ってこないのはいつものことだ。

「そうですね。街の中の案内をするか、さっそくシーカヤックに乗って貰うか」

『彼女の意向を優先して欲しいな』

「ええ……それはもちろんです」

 そうクライブが答えると携帯電話の向こう側が騒がしくなってきた。大きな裁判の前日などは夜中でもこんな感じだったと思い出す。

『すまん。そろそろ切るわ。サイラス、それじゃ頼んだぞ』

「はいはい」

 そして音声通話を終えた。

 ふむ。相変わらず食えない先輩だ。しかし彼がイヴをこの街に避難させたのは悪い判断ではない。人が少ないから不審者が来ればすぐに分かる。そして自分がいる。それはきっとイヴにとっても大きな助けになるだろう。

 まずはこの国らしい夕ご飯で彼女を歓待するか……と思い直し、クライブは冷蔵庫を開けた。

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