4 進展する交際

 その日はよく晴れて絶好の行楽日和だった。ジェットコースターは?と聞いたら、即座に却下された。乗るときには抱えてあげるよと、続けて投げかけてみたが、乗りたくないのでとはっきり断られてしまった。


「自分で自由にできないものに身を任せるのは嫌」

 怖いんだったら素直にそう言えばと、喉元まで出かかった言葉を慌てて飲み込み、ご意向に従って観覧車を待つ列に並んだ。


「すごい!人があんなに小さく見える。あそこに見えるのは電車の線路?雲が流れるのが早い!」


 やがて二人を乗せたカゴは巨大な円の頂点にさしかかった。君は声のトーンを落として言った。

「ここが位置エネルギー最大のポイント。もし床が抜けたら、落下という運動エネルギーに姿を変えて、私たちは地面に激突するまで加速する。そう思ったらドキドキするでしょ?」


 不思議な感覚とともに、それでも僕はそんな君を見ているのが嫌ではなかった。地上に戻ってカゴから降りる君に手を貸した。地面に降り立つやいなや、君は当然のことのように言い放った。

「ねえ、もう一回乗るでしょ?」




 数回の不思議なデートを重ね、僕は少し君に近づいたことを実感しつつも、言葉には出てこない君の気持ちをつかみかねていた。


「僕のどんなところがいい?」

 無粋ながら短刀直入に聞くと、そうだなぁと首を傾げていた君は、ああ、そうそうと思い出したように言った。

「立ったり座ったりするとき、松葉杖の受け渡しがうまいところとか」

 僕は苦笑いしつつも、ずっとこの人のそばにいたいとそう思うようになっていた。


 贔屓のサッカーチームが連敗した時、揶揄した妹に腹を立てうっかり挑発に乗ってしまった。

「今度の試合には絶対勝つから。そしたら、メシおごれ、いいな?バイト代が入るだろ」

「いいよ、どうせまた負けるんだし。それじゃ、もし負けたら…」

 女子大生の嗅覚を甘く見てはいけないと後から悔やんだが、後の祭りだった。

「彼女を家に連れてきて」




 もてない兄が露呈していた、らしからぬ行動はすべてお見通しだったらしい。イレブンの健闘もむなしく、次の試合も勝ち星には恵まれず、かくして「罰ゲーム」はおごそかに執行される羽目となった。




 うちの母と妹に限って、特に同情も偏見もないだろうとは思っていたが、僕の交際相手の抱えるハンディキャップについては何かしらの抵抗感を抱く可能性はある。結局僕は腹をくくって君を家に招くことにした。


 君の方が嫌がるのでは、という心配は杞憂だった。でも、今までに見たこともないような厳しい顔で君に念押しされた。


「必ず忘れずに足のことは言っておいて」

 

 玄関で杖先を拭くと、君は靴を脱いでフローリングにあがり、松葉杖を両脇に戻した。松葉杖を渡して手伝う僕を妹が興味津々といった風情で眺めていた。狭くてごめんなさいねという母に、大丈夫です、お気遣いなくと君は答え、導入部はまずまず無難に進行した。




 母と妹は君と気が合って話が弾んだ。


「図書館でお仕事を?」


「貸出しもやりますけど、新コードでの階層分類についての検証もしています」

「重い本なんかもあるでしょ、大変じゃないの?」

「いえ。持てないときは他の方に頼みますし。普段は座っての仕事が多いので」

「おにいちゃんダサくないですか?気もきかないし」

「いえ、ちゃんとわかってくれて覚えも悪い方じゃないと思うので」


 時おり垣間見せた君らしさは、十分に二人に伝わったと思う。



「いい娘さんだよね、優理さんは。賢いし、無駄がないって言うか。でもあんた、本当に大丈夫なのかい?あんな『大奥へ連れてこられた公家の姫君』みたいな人に付き合ってもらって」


 うちが大奥と呼ぶにふさわしいかどうかは別として、母の印象はあながち間違ってはいなかったはずだ。妹からは、どこで知り合ったの?という容赦ない取り調べを受けたが、真実については終始黙秘で通した。




 その一週間後に、今度は僕が君の家に招かれた。早くに父親を亡くし、母親と二人で住んでいると聞いていた。


「母さんがなんと言うか。気難しいわよ、母さんは」

 散々脅かされて会った君のお母上は、いつも背筋をぴんと伸ばしてはいたが、決して怖い人ではなかった。




 食事の後、君が席を外した時、お母さんは静かな口調で僕にたずねた。


「あなたはどうして優理に松葉杖が要るのか、ご存知なの?」


 君がその問いに答えるのを聞いたことはなく、僕から直にたずねたことはなかった。触れてほしくないという君の思いを感じとっていたからだ。


「あの子は生まれた時、脊椎に問題がありました」


 生まれつきだったのか、と僕は初めて知った。

「私に責任を感じてほしくないのか、そのことを語るのを嫌っているみたい。別に気にしなくてもいいのに」

 それはとても君らしい選択のように思えた。

「僕はこんな時にはこうしてほしいというのをちゃんと教えてもらいました。立つとき座るときとか、階段とか」

 お母さんは少し驚いた様子で僕の顔を見た。

「珍しいわね、普通なら手助けを嫌うあの子が。きっとあなたには心を許したってことなんでしょう」

 しばらく沈黙した後、お母さんは僕の目を見て言った。

「あの子は強い子です。だから、『守ってほしい』なんて言いません。ただ、あの子のこと、わかってやって下さいね。あなたなら大丈夫だと思うから」




 こうして僕は、娘の方がよっぽど気難しい親子と親睦を深め、君と一緒にやっていこうと心を固めた。

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