第17話「陽斗サイドストーリー」

──語彙は、防御だった。


それが、陽斗の語彙との向き合い方だった。


幼いころから「難しい言葉をよく知ってる子」と言われていた。

辞書を読むのが好きで、語源を調べることが趣味だった。

けれど、難しい語を使えば使うほど、人は一歩ずつ離れていった。


「それってどういう意味?」

「また陽斗くんの辞書語りだよ~」

「難しい言い回ししないと喋れないの?」


笑われるたびに、陽斗はさらに語彙を増やした。

語彙は“自分を守る壁”になった。

難しい言葉で身をかためれば、誰にも真正面から心をのぞかれなくて済んだから。


中学2年の春、晶と出会った。

最初は興味すら持たなかった。

「語彙がない」と嘆き、「やばい」で全感情を済ませていた、凡庸な少年。


……だったはずだ。


でも、ある日、陽斗の目の前で晶が言った。


「空が、茜色の抱きしめ方をしてる、って感じ」


その言葉が、陽斗の中にヒビを入れた。


難しい語ではなかった。

どこにでもある言葉だった。

なのに、美しかった。伝わった。心に残った。


──自分の語彙は、誰かに届いているだろうか?


その夜、陽斗はノートを開いた。

そこには、いつものように美しい難語が並んでいた。


「刹那的」「諧調」「内在化」「輪郭の解体」……

だが、それを読み返して、ふと筆が止まる。


晶の語彙は拙い。けれど、“伝えよう”という意志があった。

自分の語彙には、“隠れるための意志”しかなかったのではないか。


「語彙は、見せるものではなく、渡すものなんだ」


AICOの言葉が、思い出された。


数日後。

陽斗はそっと晶に言った。


「……お前の言葉、ちょっと、うらやましかったよ」


晶が驚いたように振り向く。


「え?」


「“茜色の抱きしめ方”……俺は、ああいう言葉、たぶん書けない。

だって、俺の言葉、ずっと“盾”だったから」


晶は、何も言わなかった。

でもその目は、まっすぐ陽斗を見ていた。


「だからさ……そのうち、“橋”にしてみたいな。俺も、語彙を」


夕方の空は、すこしずつ群青に溶けていく。

陽斗の語彙も、少しずつ、守るための鎧から

誰かに渡すためのことばへと、姿を変え始めていた。


🔜次回:🌱語彙の芽〈第17話編〉

「語彙は、盾にもなれば、橋にもなる」

難語・抽象語・専門語――自分の“語彙の壁”を越えるために。

陽斗の語彙観から学ぶ、“共感する語彙”の育て方。


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