第30話 紡ぐ役目
村の中央に、新しく建てられた小さな小屋があった。これは紬が助けた人たちの善意で建ててくれた。
屋根は草葺きで、壁はまだ木の香りがする。入り口の扉には、紬が手書きした木札がかかっている。
《図書の部屋》
その中には、読み古された本が何冊も丁寧に並べられていた。破れたページは継ぎ接ぎされ、泥の跡が残るものもある。それでも、どれもが誰かの手に渡った証であり、使われた証だった。
紬は、窓の下の机に座っていた。膝の上には帳簿が開かれ、インクの染みたペンを片手に、貸し出しの記録を記している。
「じゃあこの本、来週まで借ります!」
元気な声とともに、一人の少年が走り出ていく。手には『薬草と傷の手当て』と書かれた本。
「読めるかなあ、あの子……」と不安げなリーゼに、紬は笑って答える。
「読めなくてもいいの。読みたくなったって思ってくれたなら、それが一番大事だと思うから」
彼女の声は、風の音に溶けるように、静かだった。
午後になると、読み聞かせの時間が始まる。
紬が椅子に座り、膝の上に広げた絵本を前に、子どもたちが丸くなる。
「これはね、“火”のおはなしです。火はね、こわいけど、あたたかい。お料理もできるし、みんなのくらしを助けてくれるんだよ」
「魔法じゃないの?」と誰かが聞いた。
「ううん、ちがうの。魔法じゃない。ちゃんと知っていれば、誰にでも使えるんだよ」
「それって……魔法よりすごい?」
紬は、少しだけ考えてから、うなずいた。
「そうかもね。でも、それは“知ろう”とする心があってこそ、だと思うの」
子どもたちは、不思議そうな顔をしていた。
でも、それでいいのだ。最初は、意味なんてわからなくても。
「知ることは、こわいときもある。でもね、知らないままより、ずっとやさしいよ」
その言葉に、リーゼがそっと目を伏せる。
読み書きができなかったあの日から、彼女もまた、少しずつ本を開くようになった。
村の外れ、かつて怪我人が倒れていた場所に、新しい石碑が立っている。
《この場所で、わたしたちは初めて、人の手で助けるということを学びました》
文字はまだ不揃いだ。けれど、それもまた「書こうとした心」の証。
村人たちは今、本を回し読みしている。紬が写し続けた本の一ページ一ページが、やがて誰かの力になっていた。
読み書きを教える。
図書の貸し出し。
そして、知ることを恐れないこと。
それは、いつのまにか紬にとって、魔法よりも大切なことになっていた。
「“知ってる”って、ただの始まりなんだよね。
でも、そこから“伝えよう”って思えるなら――」
それは、言葉にならない願いを、ひとつずつ紡いでいく作業。
火をおこすように、あたたかく。
薬を煮るように、やさしく。
ページをめくるように、丁寧に。
そうして紬は、図書委員長としての“新しい仕事”を見つけた。
それが紬に与えられた、新しい“図書委員長”としての――
紡ぐ役目だった。
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