第29話 葛藤

「リーゼさん、この薬草を……そう、細かく刻んで。あとはこの分量を煮出してから冷やすだけ。お願いします」


 紬は、まるで何かを振り払うように、本を開いては人を助ける毎日を送っていた。


 頼れるのはリーゼだけだ。火を扱えるのも、薬を使えるのも彼女しかいない。

 だから紬は、自分にできること――“知っていること”を、必死に伝え続けた。


 けれど、心のどこかで気づいていた。


 これは「手助け」なんかじゃない。

 自分がここにいてもいいのか、ただそれを――「証明」しようとしているだけだ、と。


 ――私は、ただの図書委員長だった。


 異世界に来てから、周囲は紬を「すごい」と言ってくれた。

 けれど、自分はただ本が好きなだけの中学二年生だ。

 本の中の知識を取り出すことが、そんなに特別なことだとは、どうしても思えなかった。


 そんな思いを突きつけるような言葉が、ある日ふと届いた。


 「紬さんが指示して、リーゼさんが動いてるから、こんなに的確に回復できてるんだよ。直接魔法が使えなくても、あんたは欠落者なんかじゃない」


 ――欠落者。


 それはきっと、励ましのつもりだった。

 でも紬には、その言葉が深く突き刺さった。


 (……もともと、魔法なんて使えたことなんて、ないのに)


 薬草の名前を言えるのも、使い方を知っているのも、全部「本」に書いてあったからだ。

 私自身がすごいわけじゃない。私は――


 その日の帰り道、紬は足を滑らせ、崖のそばで転倒した。


 鋭く切り立った岩肌に腕を打ちつけ、足元がもつれる。

 痛みとともに、視界がじわりと滲んだ。


 「――っつ……」


 動けない。

 誰もいない。

 声も出せない。


 (ああ、私……)


 薄れていく意識の中で、遠くから誰かの声が聞こえた気がした。


     


 「紬が倒れた!?」


 駆けつけたラセルの手には、泥だらけの本が一冊、強く握られていた。


 開かれたページは血に濡れ、ところどころがかすれている。


 「どうすれば……俺は紬のような魔法は使えない……!」


 それでもラセルは、本に問いかけるように、必死に声をかけた。


 「どうか、どうか……!」


 風が吹いた。


 本のページが、ぱらぱらとめくられ、あるページでふと止まる。

 そこには、うっすらと光が宿っていた。


 (……これは……自然と話すときと、同じ……?)


 本が「ここを見ろ」と語っている。

 けれど、ラセルには文字が読めない。見ろと言われても、どうすればいいのかわからない。


 「お願い……誰か、見れる人はいないのか……!」


 そのとき、小さな手がそっと挙がった。


 「……わたし、少しだけなら……」


 それは、かつて紬が絵本を読み聞かせていた少女だった。


 彼女は、紬の本を密かに何度も読み返していたのだ。


 「ここ、多分、薬草の煎じ方が書いてあると思います」


 震える声で、少女は読み上げる。


 「『かした葉を細かく、火にかけて……冷やして、当てる』」


 難しい漢字はまだ読めない。


 「『乾かした葉を細かく砕き、火にかけて煮出し……冷やして、湿布として当てる』……じゃないですか? その方法なら……私、紬さんに教わりました!」


 リーゼが、少女の言葉を頼りに素早く薬を作る。

 傷の場所に、包帯とともに薬を塗りこむ。


 やがて――


 「……息、整ってきた」


 安堵の声が、まわりに広がった。


 紬の額から、じわりと汗が引いていく。


 


 その夜。


 眠る紬のそばで、リーゼは少女と並んで座っていた。


 「……やっぱり、紬さんは特別です。私が本を読めるようになったのも、紬さんのおかげです」


 「うん。紬さんって、本当にすごい。今日だって、ひとりひとりができることを紡いでくれたのは、紬さんだから」


 リーゼは静かに微笑んだ。


 そして紬が、うっすらと瞼を開けた。


 光に包まれた本が、そっと彼女のそばに寄り添っていた。


 「……ありがとう。ほんとに……みんなのおかげ、だよ」


 かすれた声で、紬はつぶやいた。


 眠りの中から戻ったその瞳は、少し潤んでいて、でもどこか安心したように笑っていた。


 そばにいる誰もが、うなずいた。

 彼女の言葉に、言い訳も、見栄もないことを知っていたから。


 本の力じゃない。

 魔法でもない。

 ただ、誰かのために動こうとする気持ちが、人の手と心をつないでいた。


 そしてまた、灯が一つともった。


 その光は、紛れもなく紬自身のもので――

 本だけじゃない、「彼女自身が誰かの力になれる」ことを、そっと証明していた。

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