応答なし
その日のパレードは、つつがなく行われた。
いつもより長い車間距離をダンサーが埋め、他のキャストの演技が多少長めに取られる。昨夜は取り乱していた詩桐も完璧なパフォーマンスを決め、客の熱狂度合いも、
最後のゲストを送り出し、園内の見回り業務をしている時に、五条から通信が入る。
「おつかれさまです。園内に異常はありませんか?」
「ええ。クーロン・ストリートからパレード車庫までは、特にいつもと変わりありませんでしたが……どうかしましたか?」
「橘さんが、まだ戻らないんですよ」
困ったような声だった。
「なんとなく、噂になっていたようでしたから。もしかして気にしたのでは」
「そんな風には見えなかったけどなぁ……」
睦月は首をかしげた。
「とにかく、話しかけてもまったく反応がないし……はぁー。どうしちゃったんでしょう?」
困りきった声だった。頭をかきむしっているのか、ガリガリと音が聞こえた。
「インカムが壊れてる可能性は?」
「どうでしょうね……ナビは正常に動いています」
「橘さんのナビ、どこを指してるんですか?」
「時計塔です。もっとも、このナビでは上下の座標まではわかりませんが……睦月君、直接見てきていただけますか? お願いできますか?」
その言葉に睦月は頷いた。
「イエス・マスター!」
時計塔はストレンジ・ワールドの南東に位置する。
三十六メートルの全長は、ドゥンケル城に次ぐ二番目の高さだ。
開園の朝十時から閉園三十分前の夜九時まで十一回、時間によって決まった数だけ鐘の音色を響かせる。
内部は巨大な歯車の組み合わさった作りになっていて、周辺は十九世紀のロンドンをモデルにした街並みだ。ワーウルフの詩桐が担当するこのエリアは、『ストーカーズ・アベニュー』の名前がついており、ワールド内で唯一、アルコール類を出す店がある。
時計塔に向かって歩いていると、真っ赤な武者姿のケンゾーと出くわした。
「どうした睦月君。庭園と湖の見回りはもう済んだぞ」
「いえ、時計塔に向かうところなんですよ」
「時計塔……? そんなところまで何をしに行く?」
「橘さんが時計塔にいるみたいなんですが……通信で呼びかけても反応がないそうなので、またぞろ怪我でもしてるんじゃないかと心配になって、迎えに行くところです」
「橘君か……。さっき挨拶をして分かれたが、そのままドゥンケル城へ向かうと言っていたぞ」
「でも、ナビは時計塔を指してるそうですよ」
ケンゾーは、暫くうつむいた後で言う。
「よし。わしもつきあおう」
「ええっ! 大丈夫ですよ、一人で。ケンゾーさん、オペレータールームから依頼を受けてないんでしょう?」
手間をかけさせてはいけないと、慌てて手を振る。しかし、ケンゾーはずいと一歩近づいた。
「
突然の怒声。思わずたたらを踏む睦月を見下ろし、ケンゾーは言った。
「これは、仕事の先輩として、また睦月君の直属の上司としての命令だ」
そこまで言われては、睦月に反論の余地はない。
「……わかりました。では、よろしくお願いします」
ケンゾーは頷くと、インカムに何事かボソボソと喋り、それから向き直る。
「よし、では行こうかの」
空がゴロゴロと不穏な音を立てている……。
月は暗雲の向こう側で、光は一筋も射していない。もうすぐ雨が降りそうだった。
白銀の騎士と真紅の鎧武者が、ロンドンの町を並んで歩く。
そびえ立つ時計塔を呆然と見上げながら、睦月は言った。
「……確か、十一階建て……でしたよね」
「ああ、そうだな」
「……橘さん、下の階にいるといいけど」
重い甲冑で階段を上るのは骨が折れそうだった。エレベーターはあるが、どちらにしても、どの階にいるのかわからない以上は、下から順番に調べていくしかない。
時計塔の電子ロックは開いていた。扉を開けて、二人は中へと入って行く。
搭の内部は薄暗い。壁にはオレンジ色のエジソン・ランプが等間隔に並んでいて、頼りない灯を投げかけている。
構造は単純で、『回』の形に通路が延び、真ん中に階段がある作りだ。
二人は手分けして、両側から挟み込むよう探すことにする。
睦月は柵の向こう、
最上階の時計に影響はしないからだ。これらはすべて飾りのはずで、閉園後には電源が落とされている。
通路を二回曲がったところでケンゾーに出会い、声をかけられた。
「いたか?」
無言で首を振る。そして、上の階へ。いない。また、上へ……。
そうやって順番に見ていくが、結局、どこにも橘の姿は見えず、最上階まで来てしまう。
この最上階だけは、昼夜を問わずに動いている。キュラキュラとが歯車の音が響く中、天井は開き、そこに大きな鐘がぶら下がっていた。遠くで雷鳴が轟く音が聞こえる。
最上階の廊下を進んでいると、不意にどこかで嗅ぎ覚えのある匂いがした。
それも、ごく最近に嗅いだような、わずかに金気を含んだ匂いだ。
さて、それがいつどこでだったろう? と考えながら廊下を曲がると、その先にケンゾーがしゃがみこんでいた。
「来るな! 睦月君!」
その向こうに、淡い電気ランプの逆行に照らされて、マント姿の橘が橘が立っていた。暗くてよく見えないが、その顔はまるで、寝ぼけてるみたいにぼうっとしている。
「橘さん。なにやって……」
「来るなと言ったろう! この……馬鹿もんがッ!」
その時、雷が光った。天井から強い稲光が差し込み、橘の姿を映す。
瞬間、睦月は息を飲んだ。
その身体を見てしまったから。
いや、正確には身体を見たから……ではない。何も、見えなかったからだ。
空間だ。空間を見たから、恐れたのだ。
橘のマントの中は……空だった。そこにあるべきはずの身体はどこにもなかった。
ドン!
雷の落ちる音が響く。
睦月は掠れた声で言う。
「……橘……さん……?」
どうやら橘は首だけにされて、マントと共に壁のランプに引っ掛けられているらしい。
風にあおられ、バサバサとマントが音を立てる。
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