ニコちゃん先生の花火まつり―③

「ねえ、声かけてみようよ」

 あおいが、無邪気むじゃきに言った。

「え」

 和馬かずまはびっくりした。


「おじゃまだよ、きっと」

 美宇みうが、やんわりと止めた。


「ちょっとあいさつするだけだよ。写真撮ってばらまいたりするわけじゃないもん」

 そうは言うが、ばらまき発想が出てくるあおいに、和馬はじゃっかん、引いた。


「それにさ、気づいて無視する方が、感じ悪くない? 彼氏さんだって、彼女が生徒とうまくやってるってわかって、安心するんじゃないの」

 あおいが堂々と言う。


「それもそうかも」

 るいがじぶんの彼女の加勢かせいに入る。


 3人が、最終意見を待つように、和馬を見た。

 集まった視線に、和馬はたじろぐ。

「オレが決めるの?」

「そうだ。おまえが最初にニコちゃん先生に気づいたんだからな」

 夏休みに入ってすぐに金髪にした類が、意味不明の理由で、断定する。


「あいさつだけな……」

 もごもごと答えたが、和馬は複雑だ。

 話しかけたい気持ち半分、無視して通り過ぎたい気持ち半分。


 小柄な高橋たかはし虹子にこは、3学年のあいだでは、「小さなお姉さん」のようにしたわれている。


 校内なら、気軽に声をかけられる。

 虹子は、和馬たちにとっては、すでに「ニコちゃん先生」だ。

 先生にあいさつするのは、当たり前のことだ。


 だが、いまは、夏休みのまっただ中で、地元から1時間も離れた別の町で、おまけに、知らない男といっしょにいる。

 それは、和馬の知っている「ニコちゃん先生」ではないような気がする。

 美宇も、不安げな表情だ。


「決まりね!」

「よし、行こう!」

 そんなことはちらりとも考えていないようなカップルが、明るく声を上げた。


 ふたりがさきだって、草むらをい進むヘビのようにしゅるしゅると道路を横切っていった。

 和馬と美宇が、あわてて後を追った。

 道路の反対側にいた虹子は、類とあおいに声をかけられ、目を丸くした。


「こんにちは、野鳩のばとさん、小杉こすぎくん、それに、島崎しまざきさんと、山田くんも」

 虹子は、いつもよりおとなしめの声で言った。

「こんにちは」

 美宇と和馬が、声をそろえた。


「あのね、高校の生徒たち」

「見ればわかるよ」

 虹子の紹介に、となりにいた男はそっけなく返す。


 空気に敏感な美宇が、びくん、と体をかたくした。

 和馬は、ちらりと男を見た。


 男は、長身で、やせていた。180センチはありそうだ。

 細い銀ぶちのめがねをかけていた。

 いかにもホワイトカラーといった雰囲気だったが、虹子のような教師らしさはなかった。


「4人で来てるの?」

 虹子の声が、学校でよく聞くトーンに変わった。

 先生モードに切り替えたようだ。


「そうだよ。Wデートでーす」

 あおいが、両手でピースサインを作って、答えた。

「ちがう!」

 またも、美宇と和馬がハモった。

「息ぴったり」

 類が、よけいなことを言う。


「オレは、ここらで有名なB級グルメの屋台が出るって聞いたから、ふたりに付いてきただよ」

 和馬は、おまけ感を強調して、説明した。

 美宇がとなりで、巾着きんちゃくバッグの持ち手をきゅっと握りしめたことに、和馬は気づかない。


「ああ、かまぼこ屋さんだね。もう少し先にあるよ。お店のとなりの駐車場に、テントが張られていて、座って食べられるコーナーもあるの」

 虹子が言う。


「ニコちゃん先生、くわしいんだ?」

 あおいがすかさず言う。

「学生時代にも来たことがあるからね」

「ふうん? そこの彼氏さんと?」

 笑顔のまま、あおいが核心かくしんをついた。

「えっ」

 虹子が言葉につまる。


「……ニコ。おれ、じぶんの飲み物買ってくるから。そのまましゃべってていいよ」

 不意に、男がしゃべった。

 虹子の返事を待たず、言うだけ言って、さっさと背を向け歩き出す。


「え、待って。あの、ごめん、みんな。また、新学期にね。お祭り、楽しんでね」

 虹子があたふたと会話を切り上げ、男の背中を追って、歩き出す。


 さすがにまずいと感じ取ったのか、あおいも引きとめはせず、

「うん、ばいばい、ニコちゃん先生。彼氏さんにもよろしく」

 と、肩のところで手を振った。

「さよなら」

 虹子が立ち止まり、顔だけ後ろに向けて、にこっと笑う。


 それで、終わるはずだった。

 

 和馬が、編みかごを持った虹子の手首を、とっさにつかまなければ。


「和馬!? 何やってんの」

 類がぎょっとした。


「先生、足、おかしい」

 自分の行動に自分でも驚いた和馬は、2、3歳の子どものように単語を並べて、ぱっと手を離した。


「……くつずれ」

 虹子の足に視線を落とした美宇が、ぽつりとつぶやいた。

「わわっ、けてるじゃん、ニコちゃん先生。おろしたての下駄げたで来たの? あたし、カットバン持ってるよ。待ってて」

 言って、あおいが、ポシェットの中をごそごそとあさり始めた。


「えへへ」

 虹子が、恥ずかしそうに笑う。

「はいはい、シマエナガちゃんのカットバンですよ。ふたつどうぞ」

 あおいが虹子に差し出したそれを、和馬は無言で奪い取った。


 和馬が、虹子の足元にひざまずく。

 もあっとした熱気が、アスファルトから立ち上り、少年の顔に当たる。

 道路についたひざが熱い。


 虹子の素足すあしは、いつも外にさらしている手とは違い、はっとするほど、白かった。

 1番目の指が短く、もっとも長い2番目の指からさいごの指にかけてなだらかにカーブをえがく。


 白い、ウサギみたいな足だと、和馬は思った。

 小さくて、頼りなげで、雑にあつかったら、ぽきりと折れそうだ。


 和馬は顔をしかめた。


 虹子の足の小指の付け根あたりが、真っ赤になっていた。皮が破れて、血がにじんでいる。


 早くどうにかしてやりたくて、和馬は、虹子のひだり足のかかとを右の手のひらで掬うように持ち上げた。

 左手にカットバンを持ったまま、そうっと鼻緒に指をかけ、下駄を脱がせようとする。


「ひゃまだくん!」

 虹子がんだ。

「ばかばか、バ和馬っ、やめろ。そういうのは、彼氏にまかせるんだよ」


 類の「彼氏」という言葉で、和馬は我に返った。

 シマエナガのキャラクターがかれたカットバンと、虹子の足を交互に見て、和馬はゆっくりと立ち上がる。


「……ありがとね」

 虹子が、ぎこちなくほほえんだ。 

 いつのまにか戻ってきていた虹子の彼氏が、和馬からカットバンを受け取った。


「すみません。ご迷惑をおかけしました」

 いかにも社会人然とした、きちんとした言葉づかいで、男はぺこりと頭を下げた。


「い、いえいえいえいえ」

 イェイイェイ言うパリピのように、和馬をのぞく3人が否定して、ぺこぺこ頭を下げた。


「おふたりのじゃまをして、すみませんでした」

 美宇が最後に謝り、それをしおに、高校生組のほうが、その場を離れた。







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