第14話 約束の地
シティの鉄道が再開され、ふたたび春を迎えていた。
私も車工場に勤める兄やん達もいつもどおり電車通勤をはじめた。
もともと鉄道駅の封鎖については「シティの独自性を保つ」「新規の入植者を抑える」などと、トンチンカンなお題目が唱えられていたが、再開となった理由も曖昧で、こだわる住民もいないのだ。
皆さん、「よかった、よかった」「これからは便利になるからいいじゃないかい」だけで、つくづく呑気なだけなのだ。
それからしばらくだった。
季節は巡り初夏に入り、例年と違う暑さがやって来ていた。
まだ7月だというのにいきなり、日中35度などという暑さで猛暑などと聞き慣れない日々に入った。
お隣の岡さんを手伝って窓にスダレを掛けて、更に西側の軒下にはヨシズを立てたりした。
「シティはいつもこんなに暑いんですか?。真夏の事を思うと心配になります」
私が心配そうに尋ねると岡さんは
「こんなに暑いのも初めてじゃないかしら。例年、七月はまだ朝・夕、長袖よ」
岡さんは早速、箪笥の引き出しから風鈴を出してきてスダレに掛けた。
「風鈴出すのも何年ぶりかしら。この音色でほんとに体感温度は変わりますの。ご存知?」
と尋ねた。
かわいそうなのは「モモ」で、自慢の長い毛並みも猛暑にあっては息苦しいばかりで、風通しのよい板の間を探しては平たく大の字に伸びているかと思えば、うちの達磨ストーブの天板にまで飛び乗って昼寝に来たりした。
「ほんと、こんなに暑いの初めてじゃないかしら。ここは盆地だから、なおのほか暑く感じるわね。きっとこれは何か変わった事が起きる前兆ね」
そんな連休のことだった。
マイクロバスでゆっくりシティに入って来た一団があった。
商店街の肉屋の店先でコロッケを頰張っていた私は、いきなり運転席の窓から尋ねられた。まるでベレー帽でもかぶせれば悪名高いフセイン大統領そのままの容姿のくせに絶妙な人懐っこい笑顔で尋ねてくる。
「ソリー、ミスター!。ショウミーアウェイ、トゥ フライトクラブ? プリーズ・・・エアロベース?・・・」
「フライトクラブ?・・・」
マイクロバスには10人程が乗り込んでいて、黒人もいればヨーロピアン系、浅黒いブラジル系、金髪で目の青いアーリア系、そんな男女がひしめき合い、口々に何か叫んでいる。
「グット スィーユー、ハッドック?、タコス?」
「ボンジーヤ、◯◯、△△△、ブァアガー?、ブリトー?」
「ブエノスディアッス!、セニョール」
乗客達の興味はどうやら私のほうばっていたコロッケにある様子なのだ。
「イッツワ、フライドポティトー。ライカ、ハッシュドポティトー」
と私が返すのも面倒くさいらしく、次々と降りて来て店先に群がった。
シティに観光で訪れる人物は滅多にいない。道に迷ったか、牛乳工場の見学者くらい。しかも外国から集団で降り立つ光景は意図がつかめないだけに何となく不気味な「視察」を感じてしまう。
生来、私は道を尋ねられたり、易者さんに声を掛けられることが多い。友人いわく、隙があるからさ、暇そうに見えるのさ。そんな風に見えるらしく、その特性は万国共通らしく、過去にもインドの青年、ポルトガル語て尋ねてくるブラジル系、堅苦しい発音はドイツ人と、よく道を尋ねられたことがある。
気が付けば、なぜかいつもの肉屋の主人も店先に群がる多国籍団体に困り気味で、案に私に、あんたがうまくまとめてくれ?と視線を飛ばしている。
「オーケー!、アテンション。
アテンション、プリーズ。ヒアユーアー、オールメンバー?。ウォナ イートイッツ アーゼー?アー、ハーン?」
「ディギット!」「ディスティニィティ」「メルシー!」「クール!」
「オーケー!、ビー、スタンディングライン、サイレントリー。バッツァ、バイユアセルフ、オールメンバー、ワンイーチ!オッケー?」
私の英語力などたかが知れているが、要点は伝わったらしく、全員おとなしく一列に並びはじめ小銭を用意にかかる。多国籍ではあるが、なかなか行儀がいいなどと眺めていると、皆さんそれぞれの自国の通貨を取り出して、今度は代価が母国の幾ら分なのか相談し始めたのだ。
目ざとく肉屋の主人がさらに困り顔を用意して両手を広げ、私に視線を飛ばしている。
「オッケー!エブリバディ、ディペンデングオン ミー! ワンイーチ、アイウイッシュ、プレゼント! フォーユー」
私は店主に進み出て、
「オヤジさん、私がおごります」
と紙幣を差し出した。
店主は喜んで、私にはサービスと、もうひとつくれてニッコリ笑った。
喜んでくれたのはツアーメンバーだ。
「ファンタスティック!」、「カインドリー」、「ジェンツ」、「ジャスティス!」、「シャローム」、「ゴッドブレシュー」などと誉めてくれて、すっかり彼らとリラックスして身振り手振りの会話が弾んだのだった。
彼らによるとなんでも同じ信仰、クリードの元、集まったメンバーだという。「セイムクリード」とも、「ジュダィズム」 などと言っているが、私は、ツアーなのに、なぜみんな日本の紙幣でもコインでも持っていないのか聞きたいのだが、とても英語に出来ない。さかんに私を「スギハラ」とか、「ミスター、スギワラ」「ミスター、センポ」と呼ぶことが不思議なのだ。彼らには私のおごりのコロッケの味よりも、複雑にこんがらかった両替えや言語の不自由さを察して導いてくれる配慮に感動をもってくれたらしいのだ。
やがて、ひとしきりコロッケを頬張り終えるとバスはシティの外れのパラグライダーが飛び立つ発射場のある山への道を登って行った。
私はそんないきさつをお隣の岡さんに何の気なしに話したのだ。
「野口さん、あなた、とても偉いは。多分、お会いした皆さんって、ユダヤ教徒のイスラエルの方々ね。『ジュダイズム』っておっしゃって、貴方のことを『スギハラ』なんて。『センポ』とおっしって?。たしか彼のお名前の訓読みで当時のニックネームよ。それはきっと杉原千畝と言われましたのよ、きっと。・・・
戦時中の立派な領事館の方でしたの。確かリトアニアという国では現在でも英雄よ。ご存知ない?、後年、日本人のシンドラーと呼ばれた方よ。ナチの迫害からユダヤ人の皆さんを沢山助けた日本人ですのよ」
後日、図書館で調べてみて驚いた。
1940年7月から8月にかけて、第2次世界大戦中、数千人のユダヤ人をナチス・ドイツの迫害から救った日本人がいる。バルト海沿岸のリトアニアの日本領事館に就いた杉原千畝「スギハラ・チウネ」領事代理は、大西洋側からの脱出が難しくなったユダヤ人が領事館に殺到する事態に傍観できなかった。日本の外務省が示した条件を満たさない人も少なくなかったというが、杉原は訓令違反を承知でビザ発給を決断した。後になってその人道的な行動を指して「東洋のシンドラー」などと呼ばれ、ユダヤ人から最大の賛辞を頂いた数少ない国際貢献を残した日本人である。
なるほど、彼らはユダヤ教徒の集団だったのだろう。そんなすでに70年近く以前の歴史の一部のような恩義を覚えていることもさることながら、腑に落ちないのは、なんでわざわざシティを訪れたか?、その理由が見つからない。
「ひょっとしたら、こんなSF映画を昔、観たことがあるんです」と、私はツアーメンバーを見ながら感じたエピソードを話した。
「映画のツアー客は変わっていて、不思議な服装なんです。訪ねた田舎町のペンションにみんなでチェックインするんですが、地元の人々とは違って、宇宙服のような服装で、夜になってみんなで出掛けるんです。観光地でもない田舎町の小高い丘に登って行って空を見上げてただ待っているんです。すると、巨大な火の固まりが天空から落ちて来て谷間の盆地に衝突するんです。町は一瞬にして火に包まれ大惨事となり、彼らはその様子を双眼鏡で眺めているだけなんです」
「彼らはその日、この隕石が落ちることも、大惨事となることも史実として知っていて、未来から見学に来たツアー客なんです。彼らにとっては大惨事も歴史上の教科書の出来事で、ショーを観ている観客の目なんてす。
まったく周囲から浮いて見えましたから、ユダヤ教徒もそんなツアー客じゃないかって思ったりしてしまいました」
「あら、不思議な映画ですこと。でもそれは怖いお話しですわね。誰でも怖いもの見たさってありますわ。でも、ユダヤ教徒の人に限ってそんな目的はないはずよ。世界の中でも一番信心深くて有名よ。もともと神に選ばれた人種ですのよ」
「フライトクラブってどこかと尋ね、山の道をバスで登って行ったから、パラグライダー教室の体験ツアーだと思うんです」
「あら、空から視察するツアーですの?、なんかそうなると、今度は『約束の地』を訪ねて来たみたいな、旧約聖書のノアの子孫のカナンのお話しみたいね。あなたは出エジプト記のモーゼね。
親切な日本人と『約束の地』を探すツアーなんて、ひとつ物語ができそうよ。ほらっ、不思議な事がひとつ起こりましたわ」
私は岡さんの知識の豊富さにあきれるばかりだった。
そして、また
「あなた、ユダヤ教徒の方から感謝されるなんて、本当に光栄なことですのよ。きっとあなたにとっても良い事があります。ユダヤ教を信心する皆さんはイエス様の遣いの方々ですのよ」
と誉めてくれた。
正直、私はそのSF映画のことが頭から離れず、彼らには悪いが、数日の間、ちょくちょく空を眺めては身を固くしていたのだった。
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