30.薄き血ヒブリダ

 これで二人目だ。ホレスは出身校がゲナの魔法学校だと言っていた。生まれもそちらの方かもしれない。フェンデルワースが一番学校の地位としては高いが、その分貴族が集まり、入学金や寄宿学校代は一律としても、他に細々金の要求があるらしい。一般市民出の魔法使いはゲナやスペキリに行くのが普通だった。


 ただ、幼い頃王都やフェンデルワースに関わっていないからと言うのは、違う気がする。


 そういえば、学校で例え話に竜の話を持ち出したことがあった。そのとき初めはみんなぽかんとして、最後はなんとも言えない笑みを浮かべていたではないか。例えの仕方が悪かったのかと思っていたが、違う。彼らは竜などいないと思っていた。一人、はっきりと、竜はお伽噺でとイルマに言った。竜の話をみんなは知らないのかもしれない。


「出会いは偶然だったのか、はめられたのか。オキデスの人間は昔から魔法を研究しようと、モンス山脈を越えて魔法使いをさらっていた。それは知っているだろう?」


「……はい」


 再び語り始めたホレスに、イルマの思考が中断された。

 ひどい話だ。

 魔法使いをさらい、それを研究するという噂がまことしやかに流れていた。


「実際事実らしい。魔法はそれだけ脅威だ。私は、ティルムに一時期身を置いていたが、そのとき彼らに出くわしてね。魔法は稚拙だった。魔力を持っていても使い方がわからないんだ。ただ、恥ずかしながら自分の置かれていた状況にくさっていた頃だった。彼らが何をしに来たか、魔力を手に入れた方法と、その場所を、今考えるとかなりひどい方法で聞き出した」


 人に影響を与える魔法は褒められたものではない。しかも魔力に耐性のない者たちなら、あっという間に口を割っただろう。


「彼らが魔原石らしきものをニヒ・ラルゲ〈荒れた土地〉で見つけていると知った。そして、それを使って魔法使いを作ろうとしていることもね。こんなニヒ・ラルゲ〈荒れた土地〉の奥地まで入って来る人間はそうそういない。彼らも以前こちらへ侵入し、見つかって逃げ込んだとき偶然発見したそうだ。幸運なことにそこから生きてオキデスへ帰ることができた。だから沙漠に魔原石があることを知っていたんだ。私は、彼らの国に手を貸すことまでは、正直あまり考えていなかった。ただ、自分の研究の成果を試してみたかっただけなんだ。本当に魔力を移し替えることができるか。それだけだ。初めメルヴィンに提案したときも、魔力の宝庫である魔原石から魔力を人に移し替えるという話だったんだが、望みは潰され、自分で試そうにも移してみるための魔力がない。天の采配だと思ったよ」


 その顔が本当に嬉しそうで、内容がこんなものでなかったら、ホレスが喜ぶ姿にイルマも喜んだだろう。だが、その内容はイルマの気持ちを重くさせる。


「そんなにレグヌス王国が、私たちが憎かったんですか?」


 なんといえば彼をこちらへ引き留めることができるのかわからない。国とか、そんなものは正直どうでもよかった。ただこのままでは完全にイルマの敵になってしまう。ホレスを、そんな風には思いたくなかった。彼のいたわりの言葉の数々。あれはすべて嘘だったというのか。


「貴族ではない魔法使いや、魔力の少ない魔法使いを薄き血ヒブリダと呼ぶ。どんなにその人物が優秀であろうとも。それは、君が女であるからと決して認められないのと同じだと思わないか?」


 はっと顔を上げる。紫色のホレスの瞳と視線がぶつかる。


「いつも、一番近くでお前の努力を見ていた。私はその姿に感動さえした。だが、その努力がどう評価されるか、それも痛いほど知っているんだ」


 ホレスはぐっと拳を握りしめ、立てている右膝の上に置く。力を込め過ぎて白くなる右手に、彼の苦しみが詰まっていた。


「同じように薄き血ヒブリダと蔑まれて生きてきている魔法使いがたくさんいる。ほら、拷問の末死んだ彼もそうだ。私は聞いてしまったんだ。死んだという知らせと同時に、『薄き血ヒブリダなら仕方ない』と言い放つ貴族の声を」


「ひどい……」


「そのときに決心した。今の魔法使いたちの体制を変えるしかないと。それまでは、オキデスの申し出に迷っていたが、私の名を出すことなく死んだ彼の想いに報いるには、こうするしかない」


 薄き血ヒブリダという言葉は知っている。だが、イルマの周りでそのようなことを言う人間は一人もいなかった。それはつまり、魔力が少ないからと貶めれば、女であるからとイルマを貶めることと同じ行為になると、誰でも気付いていたからだ。そして、それがイルマの耳に入れば、アーヴィン曰く、正論で攻め立てられる。そんな目に遭いたいと思う者は少ないだろう。


「でもやっぱり、だめです師匠せんせい

 師匠せんせいと呼びかける。どんな状況にあっても、やはりホレスはイルマの師匠せんせいなのだ。


「こんな風に女だと散々痛めつけられても、それでもやはりあの魔法使いたちを庇うのか?」


 怒ってはいない。イルマが感情のまま思わずやってしまった失敗に対してする、少し悲しそうな顔がある。


「違います。師匠せんせいの、今の体制を覆さなければいけないというお話には、私正直大賛成です」


 ホレスの表情に明かりが差す。彼の硬く握られていた拳がほどかれて、再びイルマの頬に添えられた。


「だけど! やっぱりだめです師匠せんせい。魔力を魔原石から取り込むなんて、危険過ぎます。ウェトゥム・テッラ〈古王国〉の二の舞です。それは、国を滅びに導く方法です」


 ホレスは怒らなかった。

 残念そうにため息をつく。


「私は君を、とても可愛がってきた。自分が受けた苦しみからなるべく遠ざけ、少しでも軽減されればと思ってきた」


師匠せんせいのおかげで、私、すごく救われていました。師匠せんせいがいたからこそ、今までやって来られた」


 その次の彼の行動は、イルマの理解を超える。

 突然彼の顔がぼやけて、唇に柔らかいものが触れる。何が起きたのか、考える間もなく、ホレスは立ち上がり天幕の外へ向かった。


「愛してるよ、私の可愛い弟子イルマ。オキデスへの旅は海路を行く。しばらく窮屈な思いをさせるだろうが、我慢してくれ」


 一方的な言葉を投げかけ、立ち去る。

 天幕の中に独りになって、ホレスの言葉を反芻して、かなりの時間を要した後、ようやく事態を飲み込む。


「あれ、え、だって」

 体中の血液がすべて顔に集まったような感覚に陥る。


「だって!」

 膝の間に顔を埋めて絶叫したいのを必死に抑える。今何かすれば、すぐそこにいるであろうホレスが飛び込んでくる。それだけは絶対に嫌だ。


「っていうか、私、き、キスされたの!?」


 あくまで心の中で大声で喚く。

 確かに、師匠せんせいは憧れだ。大好きだけどそれは、そうじゃなくてこうでもない。


 興奮が収まると、今度はとんでもなく泣きたい気分になった。悲しくてたまらない。


 どうしてこんなことになったのかと、激しく落ち込む。


師匠せんせいのことは好きだけど、でも、こんなことして欲しくなかった」


 相変わらず手は後ろ。顔を覆うこともできない。両目が熱くなってきたので下を向いてぎゅっと目を閉じた。

 誰もが君のように考えるとは限らない。

 なぜか、アーヴィンのあの言葉が思い出される。


「アーヴィン」


 口に出してみると、涙が倍増した。さらに固く目を閉じる。

 あの地下で生き埋めになった彼にはもう会えない。それをあらためて思い出して、涙がこぼれる。


「アーヴィン、助けて」

 絞り出したイルマの言葉が天幕の中に響く。

 同時に、場違いな明るい声が聞こえた。

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