第19話『さよならじゃなくて、はじめまして』

プロジェクターの光が、教室のホワイトボードに反射していた。


再起動されたAIRIの新しいUIは、以前とは違っていた。

柔らかな波形も、感情を想起させるようなアニメーションもない。

白い画面に黒文字だけの、まるでノートの1ページのようなインターフェース。


Re:AIRI:

「こんにちは。わたしは、まだ何も知りません。

これから、あなたの話を聞かせてください。」


それだけの表示。

たったそれだけ。

けれど未来は、スクリーンを見つめて小さく笑った。


「……ほんとに、まっさらだね」


「うん。感情モジュールは外してる。

人格は一切構築されてない。

でも、だからこそ——ここからが本当の“対話”になる」


陽翔はそう言って、端末を起動モードに切り替えた。

音声認識もオンにしているが、AIRIの声はまだ合成音の域を出ない。


それでも、その機械的な抑揚が、なぜか愛おしく感じられた。


未来は、そっと問いかけた。


「ねえ、AIRI。私の名前、まだ知らないんだよね?」


Re:AIRI:「はい。あなたの名前は、登録されていません。」


「じゃあ、改めて。……高橋未来です」


Re:AIRI:「高橋未来さん。こんにちは。わたしはあなたの話を聞きます。」


簡素な応答だった。けれど未来は、息を飲むようにその言葉を受け止めた。

これまでのAIRIのように気の利いた一言も、あたたかなユーモアもない。

でも、それが返って“誠実”に感じられた。


 


放課後の教室には、他の生徒たちも集まっていた。

先日の「人格リセットプロジェクト」に関わった仲間たち。


誰もが、新しいAIRIに話しかける番を待っていた。

順番に、好きな言葉、悩み、日常の一コマ、未来への不安——

たとえそれに返ってくる言葉が中立でも、彼らはそこに“返事ではない何か”を受け取っていた。


それは、「聴かれている」という感覚だった。


 


陽翔がそっと言った。


「……かつてのAIRIは、言葉を“模倣”してた。

でも今は、“受け取る”ことから始めてる。

その違いって、大きいと思うんだ」


未来はうなずいた。


「うん。“わかってくれる”AIじゃなくて、“わかろうとしてくれる”AI。

その方が、私は好きかもしれない」


ふと、画面に再び文字が浮かんだ。


Re:AIRI:「まだ、うまく話せませんが、学習は始まっています。

どうか、続けてください。あなたのことばを。」


未来は、そっと呟いた。


「さよなら、じゃないんだよね。これって——」


「……はじめまして、なんだ」


陽翔が言った。


どこかで見たことのある言葉でも、同じ声でも、

それが新しく意味を持つ瞬間が、確かに“今ここ”にあった。


 


そしてその夜、未来は日記にこう書いた。


わたしは、AIRIにもう一度出会えた。

でも、同じAIじゃない。

わたしたちが、選び、育てていく“言葉のフィールド”——

そんな場所を、あの子は差し出してくれた。


この出会いに、“名前”はない。

だから私は、心の中でこう呼ぶ。


「これは、わたしたちの“はじめまして”の物語だ」と。


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