2-3
元々社交的なタイプでは決してないが、仲のいい人もいたはずなのに、最近は1人で行動しているところをよく見る。夏希や春もきっとそうなのだろう。
「結局どうする? その死に方で本当にいいの?」
軽い話が終わると、今度は死に関する内容の話が始まる。この話が始まれば、冬香は身を引く。
「あたしは全然いいと思うんだけどなぁ……なんか、遺体が残っちゃうのって残酷だね」
「そうね。じゃあ、日付を予言の日ギリギリにするのはどうかしら。それならもしこの世が滅びたら遺体なんて気にしなくていいものね」
どう考えても、女子高生が話す内容ではなかった。
冬香は再認識した。ここは――異常だと。
さっきは「自殺は狂気ではない」と言ったが、このような会話を聞いていると狂気にも感じてきてしまう。
何より一番恐ろしさを感じさせることが、三人が平凡な話をしている時と変わらぬ表情、口調、トーンであることだ。声が聞こえなければ、一般的な女子高生が最近流行りの音楽でも話しているようにしか見えない。
「じゃあ十一月三日はどう? ちょうど一週間前、最後の日曜日」
当たり前のように『最後』という言葉を使う。
最後の日曜日……か。普通だったら、『長期休みの最後』として使われる言葉だろうな。
まさか人生の、いや予言を信じているならば世界の最後の日曜日だとは、これら一連の会話を聞いていないと分からないだろう。
「いいね! 日曜日なら学校とか気にしなくていいしー」
自殺願望者。という言葉からは暗くて落ち込んだ人を想像させるが、三人からはあまりそれを感じない。まるで、自殺が、死が普段の日常に組み込まれているようだ。
基本的に、冬香はこの会話には参加しない。傍観者だ。その中で冬香は常に『隙』を探している。
三人が生きたいと思える『隙』を。
それはなかなか見つからないが。
三人とも自分たちが死んだあとのことを考えられる余裕はあるようだが、三人から「生きたい」という気持ちが感じられない。
「ていうか、あたしたち、準備早すぎたかな? 十一月ってまだまだ先じゃん」
特に死に急いでいるようには見えない――いや、淡々としているからこそ見えない。自分たちの死を当たり前のように受け入れてしまっている。今更、生きることを考える気がないようにも見える。
『自殺は狂気か否か』
春の問いがだんだん分からなくなってくる。
今まで自殺なんて言葉とは無縁の人生を送ってきた。たまにニュースで見たり、電車が人身事故で止まったりすると、「へえ、大変なことがあったんだな」と思ったりする程度だった。
まさか、自分の身近な人が自殺を考えていて、自分がそれを止めようとすることになるなんて、冬香は想像もできなかったのだ。
冬香はふと、ネットで『じさつ』と入れて検索してみた。
でてきたのは心理相談の電話番号や自殺対策の話ばかり。そんな中で自殺願望者の数の統計を見つけた。
一年間におよそ二万千人。一日に換算すると――五十七人ほど。
本当に、冬香が思っていたよりもずっと多い人が自殺を選んでいる。よく見ると、若者の死因一位は自殺らしい。なんとも残酷な話だ。
よく見てみると、自殺者数は平成から令和にかけて減少しており、そこからは横ばいである。自殺者数を変えるものとは一体なんなのか……。例えば、環境によって自殺数は変化するのだろうか。
確か、なんかの元号になった頃? それから数年? だったか、昔何か大きなパンデミックがあったと授業で習った、その時はどうだったのだろう。
そう思い調べてみると、対してパンデミック前の年と変わらない様子だった。いや、むしろそれ以降のほうが多い。
と、なるとやはり環境と自殺は結びついていない? ならばやはり、自殺は個人的な精神錯乱……?
やっぱり、自殺願望者は『化け物』なのか?
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