1-3

 森の道を、ハイオークを引き連れた巨大オークが、ゆっくりと近づいてくる。

 余裕たっぷりな挙動は、暗に「逃げ場などない」と言っているかのようだ。


「な、なによ、あれ……」


豚鬼勇者オーク・ブレイバー。このオーク村迷宮ダンジョンの、迷宮主ダンジョン・マスターだ」


 マモルがそう言った途端、フウカとアイリの顔から血の気が引いた。


「いや、いやいやいや、マズすぎますてっ!」


「無理ムリむりっ! 迷宮主ダンジョン・マスターなんて無理っ! 早く逃げようよっ!」


 この現代に生まれた迷宮ダンジョンは、迷宮主ダンジョン・マスターを倒すことで消滅する。

 並々ならぬ強敵なので、大抵は歴戦の探索者デルヴァーたちを立て並べて討伐するのがセオリーだ。


 倒せば大量の魔素ヴリルの他、貴重な装備が手に入ることもあるため、発見報告を心待ちにしている者も多い。

 だが歯が立たない者たちにとっては、いきなり歩道に突っ込んでくるトラックと変わらない。


「そうは言うがよ、どう見たって俺らを待ってたろ。わざわざ入口のほうから来るんだからな」


「ウソ、でしょ……?」


「ほれ、ぼさっとしてるヒマあったら準備しろ。カエデさんと俺で前衛まえだ。思いっきりブン殴っていい」


 カエデはこくりと頷くと、ゆらりと前に出た。

 三人の中で唯一、怯えている様子がない。彼方の巨体を見据える目には、確かな闘志が宿っている。


「アイリさん、複数の動きを封じられる技能スキルあるか?」


「覚えたてのがある、けど……。でも詠唱が……」


「よし。俺が時間を稼ぐから、その間に詠唱しとくんだ。突っ込んできたタイミングでぶっ放せ」


「あたしはどうしたら?」


「俺は多少のダメージなら耐えられる。カエデとアイリの支援を優先するんだ。防御魔法はあるか?」


「矢やつぶてを弾く魔法なら……」


「よし、ここには弓使いもいたはずだ。そいつが見えたら使ってくれ」


 そこまで話したところで、豚鬼勇者オーク・ブレイバーがマモルたちの数メートル先で止まった。

 近くで見ると、二メートル近いハイオークよりも頭ひとつ分、背が高い。

 頭には羽飾りがついた兜をつけ、丸太のような両腕には、大人の背丈ほどもある大剣と盾。


 獰猛な赤い目が、マモルの姿を捉えた。


「懐かしき気配に惹かれ出てきてみれば……。久しいな、人間よ」


 図太い声が、牙を見せる大きな口から紡がれる。

 迷宮主ダンジョン・マスターは総じて知性が高く、こうして人語を介す個体も多い。


「おう。相変わらず、醜男ぶおとこだな」


 マモルは敢えてカエデより前に出て、不敵な笑みを返す。


「フン、お前こそ少し老けたのではないか? 人の身とは、ままならぬものよ」


「よく覚えてたな。でも今日は、あんたとる気分じゃねえんだ。……おいとまさせてもらうぜ」


 そう言うと――


「……ッ! グワッハッハッハッハッ!!」


 豚鬼勇者オーク・ブレイバー豚面ぶたづらが、盛大に破顔した。

 周りのハイオークたちも、合いの手を入れるように笑い出す。


「なかなか言うではないか。であれば、にえを置いていってもらうとしようか」


 そう言って、周りの三人の娘たちをじろりと見まわす。


「悪いが、あいにく差し出せるようなもんがないんだ。このたちは俺のもん、ってわけでもないんでね」


「そうか。ならば……押し通るがいいっ!」


 吠え声とともに、ハイオークたちが殺到する。

 視線の行く先はばらばら。振る舞いからして、大した力はないと侮っているのだろう。


 マモルは口の端を吊り上げて、盾を構えつつ――


「今だ、やれっ!」


 声高に叫んだ。


「<水生すいしょう木行もくぎょう! 霧氷彩むひょうさい>っ!!」


 アイリの声とともに、周囲に白い霧が立ち込めた。

 駆け来るハイオークたちが霧に巻かれる。白が通り過ぎた後、そこには無数の氷像が生まれていた。

 倒れた個体がいないあたり、ダメージはわずかだろうが、動きを封じるには十分だ。


「ほう、やるではないかっ! 雛鳥の分際でっ!」


 豚鬼勇者オーク・ブレイバーが、大剣と盾を構えた。

 そこへ、カエデが突っ込んでいく。


「<勇敢雄姿ヴァラー・フォーム>!」


 接敵する直前、光の帯がカエデとマモルを結ぶ。

 カエデはそれを分かっていたかのように、躊躇なく豚鬼勇者オーク・ブレイバーの懐へと飛び込んだ。


「ガアアアッ!」


「ふ……っ!」


 振り下ろされた大剣の一撃を、呼気とともにすり抜けるようにして躱す。

 そのまま背後に回り込み、足の腱のあたりを斬りつけた。

 だが傷というにはほど遠く、薄い赤い筋が残るのみだ。


「その程度の力で……っ!」


 嘲りとともに、振りかぶられた盾がカエデを襲う。


「……我が身を傷つけられると思うなあっ!」


 直撃する瞬間を捉えて、マモルは技能スキルを発動する。


「<意志衛壁ウィル・ガード>!」


 カエデの身を盾が叩く。

 届くはずの痛みが、技能スキルによって打ち消される。


「お前も相変わらずよなあっ!」


 嗤う豚鬼勇者オーク・ブレイバーに、アイリが手をかざす。


「<木行・御雷みかづち>っ!」


 ――轟音。

 晴天から振り来た落雷が、緑色の巨躯を打ち据えた。


 この間、カエデのカタールが豚鬼勇者オーク・ブレイバーの身体を斬りつけている。

 落雷と同時に斬り込んだカタールは、雷を帯びたかのように閃き、今度は肉を裂いた。


「……っぐぅ! 小賢しい……雛鳥どもめえっ!」


 豚鬼勇者オーク・ブレイバーが吼えると、藪から数体のオークたちが現れた。

 皆、手に弓を持ち、アイリに向けて矢を番えている。


 さらには、ハイオークたちを覆っていた氷が一斉に砕け散った。

 縛めから解き放たれた青い身体が、ふたたび動き出す。


「<勇敢雄姿ヴァラー・フォーム>!」


 アイリに向けて手をかざすと、光の帯がアイリとマモルを結ぶ。

 さすがに<意志衛壁ウィル・ガード>を張る余裕はない。叩きつける斧と矢の痛みが、身体に走る。

 マモルは自身の存在力オーラが青色を保っていることを確認すると、アイリのほうを見た。


「アイリさん、さっきのをもう一度! ……<攻盾突撃シールド・アサルト>!」


 アイリに群がるハイオークたちを、盾の技能スキルで吹き飛ばす。

 例によって衝撃で意識が飛んだか、吹っ飛んだ先から動かない。


 その間、弓使いたちの二の矢が、距離を取っていたフウカへと放たれた。


 しかしフウカは慌てず騒がず、輝く手を地面へ向けた。


「<燐光盾フォスファ・シールド>!」


 光る雲に似た防壁が、降り注ぐ矢を弾き散らした。

 これまた修道士アコライト技能スキルだが、いいタイミングで使ったものだ。


 そこへ――


「<水生すいしょう木行もくぎょう! 霧氷彩むひょうさい>っ!!」


 ふたたび放たれた白い霧が、ハイオークと弓使い、さらには豚鬼勇者オーク・ブレイバーすらも巻き込んだ。

 霧氷が緑の巨体を包み込み、黄金の装飾さえ凍てつかせていく。


「……ッグアゥッ!」


 豚鬼勇者オーク・ブレイバーが苦悶の声を上げる。

 ハイオークと弓使いたちが倒れ伏し、魔素ヴリルへと姿を変えていく。


 数度の斬撃を入れた後、カエデが大きく跳び退る。

 そこへ――


「<増痛聖痕ペインズ・スティグマ>!」


「<木行・御雷みかづち>っ!」


 フウカとアイリの声が重なった。

 同時、豚鬼勇者オーク・ブレイバーの身体に光の紋様が刻まれるとともに、二度目の雷音が轟く。


 緑の巨躯がぐらりと傾いだ。フウカとアイリが手を打ち合わせる。

 だがマモルは、半ば呆れた表情でそれを見つめていた。


(おいおい、それ先に取ったのか……? 普通は後回しだろ……)


 <増痛聖痕ペインズ・スティグマ>は司祭プリースト技能スキルで、かけた相手へのダメージを増幅する魔法だ。

 有用ではあるが、他に優先したい支援技能スキルが多いため、かなり後になって習得する者が多い。


 おそらくこういうシーンを想定して優先したのだろうが、色々ツッコミどころの多いトリオである。

 その時――


「……ッウオオオオオオアアアアアアッ!」


 豚鬼勇者オーク・ブレイバーが、ふたたび雄叫びを上げた。

 盾を投げ捨て、大剣を両手で構える。その身から、赤い雷に似た気が迸った。


「たかが雛鳥と甘く見たようだ……! もはや……加減もいるまいっ!」


 凶暴な、しかしどこか楽しげな笑みを浮かべながら、大剣を振りかぶる。

 構えからして横薙ぎ。四人全員を巻き込むつもりだろう。


「ヤバいヤバいヤバいヤバいッ! もういいでしょっ⁉ 脇すり抜けて逃げようよおおっ!」


「あんなのムリですっ! いくらマモルさんだって……!」


 泣きつくアイリと、焦った表情のフウカを優しく押しのけ、マモルは前に立つ。


「カエデさん、下がってろ。俺がやる」


 カエデは一瞬、呆けたような表情を浮かべた。

 が、すぐにアイリとフウカの近くまで下がっていく。


 マモルは盾を構え、腰に帯びていた剣を初めて抜いた。

 刃渡り六十センチほどの短い剣――これで十分だ。


 意図を察したか、豚鬼勇者オーク・ブレイバーの口の端がさらに吊り上がる。

 刹那の間を置き――


「……ッオオオオオオオオッ!」


 豚鬼勇者オーク・ブレイバーが地を蹴った。

 先ほどとは比べ物にならない速さで、マモルを目がけて突っ込んでくる。


 マモルもまた、駆け出した。

 彼我の距離が、またたく間に詰まっていく。


 赤い雷を帯びた大剣が振るわれる。

 そこを狙って、マモルは盾をかざす。


「……<反射撃讐リフレクト・アベンジャー>」


 囁くように、技能スキルを発動。

 瞬間――


 大剣を受け止めた盾が、輝いた。

 オーロラに似た光の波が、豚鬼勇者オーク・ブレイバーの身体を吹き飛ばす。


「ッゴォッアアアアッ……!」


 巨体が宙を舞い、地面に叩きつけられた。

 吹き飛ばした勢いそのままに踏み込み、剣を逆手に構える。

 瞬間、空気が一閃の圧を孕んだ。


「……<犠生命撃ブリンク・バースト>」


 渾身の力を込め、そのまま胸元へと突き立てる。

 鋭い音とともに、豚鬼勇者オーク・ブレイバーがびくりと震えた。


「フン……何があったかは知らんが、随分と、苦労しているようだな……」


 声に釣られて見てみれば、豚鬼勇者オーク・ブレイバーが笑っている。

 口から血を流しているが、表情は楽しげだ。


「……うるせえ。さっさとくたばれ」


「ブワッハッハ……。そう、言うな……」


 その身体が、光になって消えていく。

 四肢はすでに見えなくなり、大きな魔素ヴリルの結晶に変わりつつあった。


「ふたたび、相見えたその時は……また、死合おう……強敵ともよ……」


 言い終えるが早いか。

 最後まで笑みを浮かべていた豚面が、羽根兜と共に光へと融けていった。


 *――*――*――*――*――*


 ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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