14 鉄檻の蒸気機関車

「……いいご両親だったんだな……」


 ジュードはき火にまた一本、木切れをべる。手元でパチパチッと火の粉が舞った。


「うん、ありがとう。実はね、『ペッカトール』っていうのは後から聞くと、父が焼き菓子を売りに行った先の外国で聞いた言葉で『罪人』とか『真犯人』という意味があるらしいんだ。響きがかっこよくて、その時僕は誰か有名な怪盗の名前だと思ったんだよ」


「ハハハッ! 怪盗か、ブツは焼き菓子フィンネルだってのにな!」


 少しの間、笑いに包まれた。マークの隣では、腹が満たされたのかデュークが右腕を枕に横になっている。しかし暗がりの中、どこか一点を見つめていた。


 ◇


 数時間後、夜が明けた。焚き火がまだくすぶっていたのでマークが水筒の水をかけ、丁寧ていねいに消す。完全に消火したことを確認し、三人は夕刻前には森を抜けた。

 ついにプロクサス国の国境が目前に迫る。

 木々の間から視界が開けると、そこには高さ十メートルを超える黒い塀が立ちはだかっていた。


「……ハイハイ。簡単に入れるとは思っちゃいませんでしたよ」


 デュークは口をへの字にし、目を半開きで塀をにらんだ。


 巨大な壁は国土をぐるりと囲い、左右を確認しようにも終わりが見えない。しかも壁はうっそうと蔓延はびこる森林の崖に沿っており、正面の検問所の門以外、猫の子一匹入ることは許されない。


「この壁、どこまでも続いてるな。正面の門しか道はないが……」


 森へ入ってから、ずっと侵蝕生命体バルクの気配が感じられず沈黙したままだ。肝心な時に現れない、な生命体に愛想をつかし、マークは木の幹に背中を付けて終わりの見えない壁を見上げていた。

 するとデュークがマークの絶望に追い打ちをかけてくる。


「ここまで来れば我が国の近衛隊の追跡はないだろうが、俺達には入国手帳がない……さて、どうするかな」


「分かってるさデューク。見つかって収容所へ連れて行かれたらもう二度と帰って来られないんだろ?」


 彼らは日が暮れるのを待ち、検問所を通過する「例の列車」に紛れ込むことを選んだ。

 夜まで潜んで待つと、やがて山の向こうから汽笛の音が響いてくる。白い煙を噴き上げながら《鉄檻てつおりの蒸気機関車》がゴウンゴウンと鉄路てつろふるわせて現れた。


 ここ数ヶ月、プロクサスでは「ある列車」が恐怖の象徴としてささやかれていた。

 一日に一度、真っ黒な鋼鉄の機関車が夜陰やいんに紛れて裏道を走り、罪人たちを収容所へと運び去る――《鉄檻の蒸気機関車》だ。

 テラと皇帝が接触してから数年。常識ではこの先、数十年を要する蒸気機関の技術が異様な速さで進化し、軍事と監視の中枢へと組み込まれていった。


 中でもこの列車は異質だった。

 窓はなく車内は鉄格子だけ。途中下車はなく、中の人間は戻らない。黒煙を上げながら向かう《鉄檻の蒸気機関車》の終着駅は収容所。連なる無窓の貨物車には罪人の数よりも無実の人々が多数を占めており、彼らは薄暗い車内に押し込められていた。


 領土への入り口である、鉄の重厚な両開きの門の前で、列車はその鉄塊てっかいの車輪をぎしぎしと音を立てて減速していき、そして停車した。


「また来たな……この異様な黒い鉄の乗り物が」


 見張りの兵が吐き捨てるように呟いた。かつては馬車だった輸送も、今ではこの列車が主役だ。プロクサスが手に入れた謎の技術。それは、あの知的生命体である侵蝕生命体バルクのテラが授けた「進化」だった。


 その車体を草むらに潜む、三つの影――マーク、デューク、ジュード。


「来たか……さて、どこに乗る?」


 車体を睨むデュークに、マークがうめくように答える。


「……どこに乗るって、その前にどうやって乗るんだ。車輪の下はムリだぞ。馬車じゃないんだ」


 と、目の前の圧倒的な威圧感を放つ物体を前に、マークが唾を飲む。


「マーク、ここから先はガルド・ストライダーの出番だ。お前はここで待ってろ」


 ジュードはまだ四つも下の民間人マークを気遣い、待機するよう言い渡す。二人が目指したのは列車の最後尾――石炭を積んだ小型の貨車だった。


「う、嘘だろう……?」


 列車が検問所の前で一時停止した刹那せつな、ジュードはデュークを連れて音もなく草むらから飛び出し、車輪の隙間を抜けて最後尾の足場へ滑り込んだ。

 ジュードは通常、「石橋を叩いて渡る」のだが、危険であっても可能だと確信出来た時は躊躇ちゅうちょせず行動する。


 二人が身をひそめたのは、貨車と貨車のあいだ――連結部だ。そこは鉄と鉄がぶつかり合う危険な場所。むき出しの鉄骨がうねりながら結ばれ、足場と呼べるものはわずかに渡された鋼板だけ。振動する列車の合間で、一体どのくらいの時間立っていられるだろう。


「……はは、風が強ぇな。けど、ここが一番安全だ」


 しかし、そう呟いたデュークの頭上では排気の蒸気が立ち込め、足元から連結器のきしむ音が腹に響く。ひとたび足を滑らせれば、鉄輪に巻き込まれて肉片が飛び散るだろう。危険な位置だと知っているからこそ、誰もここを探そうとは思わない。


 汽笛とともに発車する。

 二人は両手で鉄枠を掴み、車体に背を押しつけてバランスをとった。

 列車が再び動き出すと連結部の振動が彼らの全身を揺らす。

 ジュードが隣のデュークの顔を見ると、その口を一文字に引いている。デュークの緊張感を見てとったジュードが声をかけた。


「初めてだな、ここまで踏み込むのは。しかもシドなしで……怖いか?」

「ジュード、何だ今さら。怖がる奴がここまで来るかよ。けど、シドがいりゃぁ……まぁ、もちっとマシな作戦があったかもな」


 そうぼやいたデュークの目はもう次の行動を見えていた。油とさびの臭いが鼻を突く。身体を軋ませる列車の振動に耐えながら、二人は体を貨物車の表面に密着させた。

 ――やがて、関所の門が閉まった。


 マークは草の中に隠れて、あきれと尊敬の混じった顔で目を細める。


「デューク、ジュード……どうか、無事でいてくれ」


 無実の人々を乗せた機関車が、門の奥へと吸い込まれるように消えていく。鉄の轟音が静まり、残るのは張りつめた沈黙だけだった。

 マークは拳を握り締め、呟いた。


「……二人ともやっぱすごい。けどな、ここで指くわえて見てるだけじゃ……僕はガルド・ストライダーにはなれない――そうだろ?」


 その目に迷いはなかった。眼前に立ちはだかるプロクサスの堅固な壁を見上げながら、彼は心の中で既に答えを出していた。

 既に自分の一部となりつつある、あの存在へえて、声に出していた。


「なぁ、ルシファー……聞こえてんだろ?」

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