13 小さな嘘

 夜が完全に降りていた。

 空には星々がまたたき、かすかに弓のように細い月が浮かんでいる。その輪郭は淡い雲に覆われ、幻想的ににじんでいた。風は静かで、き火の煙だけが空へと吸い込まれていく。川の浅瀬で捕った魚の口から尾びれへ木の棒を差し込み、塩を振って焚き火の脇で焼いている。

 煙に乗って食欲をそそるいい匂いがしてきた。


 プロクサスは隣国とはいえ、広大な森を抜けなければならない。距離にして約30キロ。その日のうちに到着とはいかないため野宿を決めたのだ。


 マークが落ちていた木の枝を拾おうとして、足を一歩前に出した瞬間。ピン、と何か細い糸が跳ねた。


「動くな、マーク」


 ジュードが右腕をマークの前に差し出した。


「そのライン、敵感知用だ。焚き火の三メートル外周に仕込んである。踏めば蛍光キノコの胞子が霧状に吹き出して、目印が付く」


「……え、焚き火の周囲、罠ついてんの!?」


「ここは敵地の手前だぞ。生き延びる気があるなら、甘く見るな」


 マークはゴクリと生唾を飲むと、頭の中でジュードの二つ名を唱えた。


「さすがだな、ふぅ――えっと……なぁ、デューク、ジュード。二人ともガルド・ストライダーのメンバーだろ? 実は僕も仲間と三人で目指してたんだ」


 マークの声が、木切れがパチパチと燃える音に混じって元気よく響いた。


「プッ……そういやシドにそんな事言ってたが、あれマジなのか? 確かに風のわざが出た時にはちょっと驚いたが――冗談だろ」


 吹き出すデュークに、ジュードは目を細めてたしなめる。


「デューク、人の夢を笑うもんじゃないな」


 彼はデュークより二つ年上のハタチ。デュークのいわば躾係しつけがかりともいうべき存在だ。デュークが場合はジュードやシドが止める。

 落ち着いたトーンの一言に、デュークが軽く肩をすくめた。


「ウッ。今のは俺が悪かった、ごめんマーク。俺の分、やるよ」


 デュークはマークにげ目のついた食べ頃の焼き魚を手渡す。


「まぁ、デュークの炎の剣技には驚いたけどね。はふっ……うまいな」


 岩塩を振った魚の焼き加減は完璧で、皮はパリッと、身はふっくらとしていた。


「マーク、まだ望みを捨てるのは早いぞ。才能ってのは心の持ちよう一つで開花するもんだ。ガルドの名に恥じぬ者ってのは、戦いだけじゃない。夢を貫く者だ」


 若者の夢を育てるのもガルド剣士の役目だ。ジュードの垂れ気味の目は穏やかで、それでいてどこか厳しさを秘めていた。


「そ、そうか? そうだろ? 実は僕は村で一番の剣士だったんだ。それに、なんたってガル……」


 言いかけて、マークはガルシアの居場所を言わない方がいいと今は押し黙り、話題の矛先を変えた。


「……三人しかなれないっていうガルド剣士に、村の仲間三人でなろうっていうのが僕らの夢だったんだ」

「――だった?」


 ジュードがチラリとマークを見ると、マークは視線を落とし、静かに語り出した。


「僕の村の仲間はもう二人ともあの黒い水にやられた。村ごと全滅だ」


 パチパチと火の粉が舞う。

 遠くでフクロウの声が聞こえていた。

 三人は言葉を失い、火の中の赤い炭をただ見つめた。


 「……そうか」


 デュークの声は、珍しく低く、熱の抜けた呟きだった。

 彼は視線をずっと焚き火に向け、木切れをべる。そして大きく息をついた。


「……そいつは……残念だったな」


 一言、デュークがそうこぼしただけで、また沈黙が続く。

 ジュードは気を遣って話題を探していたが、そんな空気を振り払うように、デュークが手を伸ばし、ジュードの焼き魚を横取りする。


「ったく、さっきからちょいちょい無くなってたが、犯人はお前か!」


 秒で魚を奪い返され、口元に食べかすを付けて「し、知らねーけど?」とすっとぼけるデュークに、マークがプッと吹き出した。


「――なぁ。僕がまだ小さい頃の事なんだが、面白い話があるんだ」


 ◇


 マークはワタリの村での話を聞かせることにした――。それは、マークが五歳の時だ。


 母が穀粉こくこ、バター、それに貴重な砂糖で焼いた甘い焼き菓子を缶ごとこっそり持ち出し、仲間のラッセルの家へ持っていた。その菓子缶は父が街へ売りに行くつもりの商品だった。ところがラッセル、スタンと三人で黙って全部平らげてしまう。後日、母親に問い詰められたが、知らないと嘘をついた。


『マーク、本当のことを言ってごらんなさい。誰がフィンネルを持ち出したの?』


 母親は厳しくも優しい眼差しで問いかけた。小さな胸がドクンと鳴る。いけないとは解りつつもマークは友達の名前を出してしまう。


『ラッセルが……どうしても欲しいって言ってたよ』


 母親はその言葉に一瞬困惑し、「おかしいわね、本当にラッセル?」と、優しく聞き返した。しかしマークはそのままだんまりを決めこんでしまった。


 その後、父親が街から帰ってくると戸口で風帆ウインドキャッチャーを畳み、街で仕入れた砂糖を母親へ手渡す。

 甘茎かんけいは高山の村では育たない。その植物から精製される砂糖は高価な材料だった。

 母親が事情を話すと、父親は夕食後にマークを呼んだ。

 父はテーブルをはさんでマークの目を真っ直ぐ見据みすえながら言った。


『お前、本当にラッセルが持ち出したと言い切るかい? 誰が持ち出したのか、本当は分かってるんだろう?』


 小さなマークはその強い視線に動揺し、目を泳がせる。しばらく言葉を失ったが、父の問いかけを無視することはできなかった。マークはしどろもどろに「僕じゃないよ」と小さな声で呟いた。

 すると父は少しとぼけた顔をして、左手のひらの上で右の拳をパンと叩く。


『そうか。じゃあ本当の犯人は「ペッカトール」だな』

『ペ、ペッカ……トール?』


 マークは首を傾げてその言葉を聞き返した。父は意地悪そうにニヤリと笑う。


『そうだ。じいさまから聞いた話だが、この村では『ペッカトール』と呼ばれた人物がいたんだ。嘘をついたり隠れて悪さをするのが得意なヤツさ。今も村に隠れている。でもなんでヤツは焼き菓子の場所がわかったんだろう』


 マークはその言葉を聞いて曖昧あいまいうなずく。


『それは缶に入ってたからじゃない? そうだ、ペッカトールがフィンネルの缶を持ち出したんだね』


 と、恐る恐る答えた。しかし、その言葉が返ってくるや否や父は鋭い眼差しを向ける。


『やれやれ、ペッカトールはお前だろう?』


 その瞬間マークの顔は真っ赤になった。なぜ父がそう思ったのかわからない。


『今、お前は「缶」と言ったね。いつもは母さん、焼き菓子は木箱に入れてるだろ? 缶とは一言も言ってないんだよ』


 じっと見つめられるうちに、ついに観念した。


『ごめんなさい……僕がフィンネルを持ち出したんだ。ラ、ラッセルとスタンと三人で全部……お母さん、ごめんなさい。もう黙って持ち出さないよ』


 ついにマークは、か細い声で告白した。小さな胸は罪悪感でいっぱいになったが、父は笑いながら頭を撫でていた。


『正直に言えてよかった』


 ◇


 マーク達が火を囲んでいる丁度その頃。百メートルほど離れた木の上に、枝を揺らす影が二つ……。


「見えますか? バルガ……あの三人の中の誰がやったのでしょう――我ら七罰剣セブンメッサーのザガンとベロクロスを」


 黒づくめのコートにフードを目深まぶかに被った男の目が闇の中で異様に光を返していた。


「さぁね。テレンスの話だと少なくともベロクロスは奴らがったと……ザガンはともかくベロクロスまで。あり得んな」


 もう一人も同じだ。左目の瞳孔どうこうは縦に細くスリット状。淡く緑がかった光を帯びている。右の瞳には黒い十字の印。


「テレンスですか。命令を無視した、あの裏切り者の言うことなど信用出来ませんが……ま、あのザガンとベロクロスは所詮しょせんその程度です。我々は二人と違ってテラを一滴取り込みました。アルバータのガルド剣士など、もはや我らの敵ではありません」


 暗闇で獲物を逃がさない為の二人の目は、猛獣のそれに似ていた。しかし右の瞳の中心に黒い十字の印が、侵蝕生命体バルクの力によるものである事を物語っていた。


「ザガンたちは侵蝕生命体バルクを取り込める精神力が無かったと聞く。侵蝕生命体バルクが体内に入ると一滴でも意識を失い、最悪自我は消え失せる。カイラス、お前は一滴でも危なかったと聞くぞ?」

「……バルガ殿、そちらこそ。しかしそれにより視覚と聴覚が超越ちょうえつしたわけです……私に任せてください。何も正面からぶつからなくとも、中からくずす手段もありますよ」

「……また、何を企んでやがんのか。カイラス、ある意味お前が一番卑劣ひれつだな」

「フフ……いい案が――彼らのきずなくさびを打ちましょう」

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