8 夢は持つな

 マークは右手に短剣を握りしめ、左手を伸ばし、かばうように母親と男の子の前に立ちはだかった。目の前では狼たちがうなり声を上げ、牙をむいて威嚇いかくしてくる。


(来る……!)


 次の瞬間、一頭の狼が唾を飛ばしながら飛びかかってきた。

 マークは瞬時に一歩踏み出し、地面すれすれに低くしゃがみ込む。狼の爪が髪をかすめたが、素早く回転してかわすと短剣を狼の背中へと突き立てた。


 ギャンッ!


 後方で群れを見ていたロボが、ウウーッと低く唸ると、それが合図だったかのように群れの狼たちが一斉に飛びかかってきた!


「き、来てみろ!」


 短剣で一体の鼻先を切り裂いたが、その瞬間、背後から強烈な衝撃が走った。


「ぐっ……!」


 腕に牙が突き立ち、そのままズルズルと引きずられた。視界がぐらつき、背中が地面に叩きつけられる。群れがマークに飛びかかり、その姿が見えなくなった――。


「マーク――ッ!」


 ナツの悲痛な叫びと同時だった。突如、炎の矢が飛来する。狼の群れの中央に突き刺さった矢が、マークのまわりに空間を生み出す。狼たちは慌てて一斉に飛び退き、警戒するようにうなりを上げ始めた。


「根性だけは認めてやるが……こういう向こう見ずなヤツはただのアホウって言うんだ!」


 その声でマークが顔を上げると、十数メートルの距離にカイが弓を構えていた。


「カイ……!」


 カイは矢尻に炎を灯し、次々と群れの中心へ放つ。一本、また一本と矢が地面を火で埋めていった。

 狼たちが後退し始めると、群れのボスであるロボと呼ばれたひと際体格の大きな銀色の狼が、状況を悟ったのか低く唸り声を上げた。ロボは残った狼たちを引き連れ、ゆっくりと森の中へと姿を消していった。


 ◇


 その日、英雄扱いとなったマークはカイに連れられ、塔の上層階にあるルッソの部屋へやって来た。


 壁には古びた剣や盾。部屋全体に戦いの気配が漂っていた。


「まずはお礼を言わねばな。二人を助けてくれたそうじゃの、ありがとう」

「いえ、結局僕もカイに助けてもらったし」

「ところでマーク……お前はいつもああやって無茶するのか?」

「――え? あ、ええまぁ」

「ほっほ……いかんのぅ。それは『向こう見ず』と言うんじゃ」

「――よく言われるよ」

め言葉を受けた時のような返事じゃの、ほっほ! ま、よう無事じゃった。牙の傷で化膿かのうしてもな、これを塗っておきなさい」


 ルッソは軟膏なんこうの入った小さな陶器の入れ物を手渡すと、マークは遠慮なく薬を腕に塗り始めた。ルッソはじっとマークを見つめていたが、やがて口を開いた。


「お前、ワタリの村のもんじゃな?」


 マークはドキッとしたが、そのまま黙り込んでしまった。


「知っとるよ。最近あの高山付近で舞う人々を見なくなった。何か異変が起きたのじゃろう……よう助かったのう」


「…………」


「さて、うちには大したモンはないが……何か礼がしたい。何か欲しいものがあるか? それとも――やりたいことは?」


「欲しいものは特に……でも、夢ならあるよ。僕は友達と三人で約束したんだ。いつかガルド・ロワイヤルになるってね……」


 ルッソの目がピクリと動いた。


「……ほう、安易あんいにその名を言った訳ではあるまい。お前の目を見ればわかる。じゃが……夢なんてモンは持っちゃいかん」


 思わぬ言葉にマークは両眉を寄せ、口元を歪めた。


「夢を持つとな、『いつか……』と願うようになってしまうじゃろ? そ――んなもん、永遠に叶うかい!」


 マークは黙り込み、拳を握った。


「叶えたいなら大事に持っとらんと、今すぐ、一秒でも早く行動開始じゃ」

「え……」

「そうすれば、少しずつでも近づけるじゃろう?」

「え……そんな事言われても僕、まだ何も……」


 ルッソはふっと笑うと、部屋の奥に掛けてあった剣を手に取り、マークに差し出した。


「え、あの……これって……」

「ただのボロ剣じゃ。それを握って、わしに一太刀でも浴びせてみ? それが出来たら少しマシな剣を出してやってもいいぞ」

「いやけど……にそんなこと……」


 戸惑いを口にしたマークの言葉が終わるより早く、老人の右足が一歩踏み込んだ。次の瞬間、マークの手首にバシッと一撃が入り、剣が床に落ちてしまう。


「丸腰はともかく、年寄り扱いしたの?」


 マークは呆然とルッソを見つめる。


「爺ちゃん、ちょっとは手加減してあげてよ? 怪我人けがにんなんだし!」


 腕を組んで突っ立っているカイの後ろから、ナツが不機嫌ふきげんそうな口元をしてぴょこんと顔を出した。


「ルッソ爺、あんた何者……?」

「ワシはルッソという、見てのとおり単なる若作りジジイじゃよ。ま、昔あの三十年戦争で少しは役に立ったやもしれんが……」


 マークは落ちた剣を拾い、ぐっと握り直した。


(すごいな。若作りが成功しているかはさておき……今ので、ただの年寄りでないのは理解した――!)


 村では剣の腕はダントツだった、負けない――!


「今度は本気でいくよ」


 言うや否や、マークは下から斜めに斬り上げた。

 しかし老人はひらりと舞うようにかわしてしまう。

 狭い部屋の中で何度も同じことが繰り返されたが、剣先は一度たりとも老人の身体に届かない。マークは次第に息が上がっていった。


(クソッ……なんだよこのジイさん……!)


 そして油断した時だ。ルッソがスッとふところに入り剣を奪う。冷たい刃がマークの喉元に当たった。


 ――ゴクリと生唾なまつばを呑む……。


(マジで何だこのジジイ――!?)


「ほっほ……少しは腕に覚えはありそうじゃが、今のままでは百年経っても剣士の頂点には届かんぞ? どうじゃ、ワシに弟子でし入りするか?」

「え……剣を教えてくれる……ってこと!?」


 マークが嬉しそうな声を上げた時、ナツもぱあっと笑顔になり、カイの方を振り返った。


「ねぇ、カイも一緒にやろうよ! 爺ちゃんにも筋がいいって言われたことあるじゃん」


 だが、カイは腕を組んだまま、そっけなく言い放った。


「……前にも言ったろ。俺はやらねぇよ。ここが気に入ってんだ」


「もぉ〜、ほんっと頑固なんだから!」


 ナツは頬をふくらませた。


(カイ兄ちゃん……なんで、いつも一歩引くの?)


 しかし次の瞬間、マークが目を輝かせてルッソに頭を下げるのが目に入ると、ナツの胸のもやもやは、その光に照らされてスッと消えていった。



 こうして、マークの修行の日々が始まった。

 あれほど憧れた剣士への第一歩。無我夢中で剣を学び、体を鍛えていった。


 ◇


 ――そしてそれから半年。


 ついに、この居場所をぎつけたプロクサスのが姿を現すことになる。

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