2 僕の中に潜む声

(――なんだ今の……? 誰か、今何か言ったような……)


 滑空かっくうの姿勢を保ったまま、マークは周囲を見回した。だが風のうなり声のほかには、何も聞こえない。前方は数十メートル先を飛ぶラッセルの姿、すぐ後ろにはスタン。見慣れた仲間たちだけだった。


「マーク! あの森見えるだろ――? あの変な塔、秘密基地っぽくないか――!?」


 不意に前方からラッセルのはずむ声が飛び込む。ラッセルは片手を風帆ウインドキャッチャーから離して指をさしているが、それでもうまくバランスをとっていた。


「ラッセル! 手ぇ離したら危ないぞ!」


 マークは、まだラッセルのようには片手で飛べない。そんな友の指さす先に意識を持って行かれ、声の気配はかき消された。


「オレは平気だ! けどマーク、お前は単なる〝考えなしの向こう見ず″だ! 絶対マネすんなよ――!」


 ラッセルが振り返って叫ぶと、マークは不貞腐ふてくされて吐き出した。


「チェッ! 出たよ〝向こう見ず″、聞き飽きた。けどな、僕だっていつかはやってやる!」


 ラッセルが示した方角には、針葉樹がびっしりと茂る、うっそうとした森が広がっていた。


「森に塔が? 僕からは見えないけど……面白そうじゃん、今度探検しようぜ! スタン、お前には見えるか?」


「僕も見えないけど……あの森って、〝異形の獣″が出るってうわさの場所だろ? 父さん、絶対近づくなって言ってたよ!」


 風を切る音と仲間のにぎやかな声が響き渡る中、マークの心だけが不安に囚われていた。


(…… 前にもこんなことあったな。あの声は、なんだったんだろう)


 胸の奥を撫でるような不穏なざらつき。その感覚を振り払うように、マークは谷底の草地へ勢いを殺して着地した。すると既に地上に降りたラッセルが、川のほとりで風帆ウィンドキャッチャーたたんでいた。ラッセルがゴーグルを外すと思わず吹き出す。


「プハッ!」


 つづいて吹き出したマークの背後に、着地を誤ったスタンが足から突っ込んで来る。


「マーク! 危ねぇ! どいてくれ――!」


 スタンのブーツがマークの背中を直撃すると、二人はラッセルの足元まで草の上を転がった。


「マーク! ゴメン! てか、何突っ立ってたんだ……ブッ、ブハ――ッ!」


 スタンがラッセルを見た瞬間、腹を抱えて吹き出した。何がおかしいのか分からずポカンとするラッセルの顔には、黒い炭粉すみこなで目の周りを囲うようにゴーグルの型が描かれていたのだ。


「プ――ッ! ス、スタンの顔! 狸じゃねぇか! ってことは……マーク、オレのゴーグルにもやりやがったな!?」


 二人の爆笑が谷にこだまする。ラッセルとスタンはそのまますぐ傍の川へ向かい、横並びで顔をごしごしと洗った。


「ったく、勘弁してくれよ……炭粉すみこな、なかなか落ちねぇんだぞ……」


 ラッセルがぼやきながら顔を拭う。


 炭粉すみこな――それはかつてこの地で簡易な描画インクの素材としても使われていた、極めて細かい黒い粉だ。

 軽くて空気中に舞いやすく水を弾きやすい性質から、少しでも肌に触れるとしぶとく貼りつき、なかなか落ちてくれない。この村でも近くの炭鉱から採掘・精製され、隣村の商人によって王都へと運ばれている。

 それが今、誰かのイタズラによって見事に二人の顔面を彩っていたというわけだ。


 ラッセルが顔をぬぐっている隙にマークが音もなく背後に回り込み、スッと膝を差し入れ、絶妙なタイミングで腰を落とした。その一撃に、ラッセルの両脚が崩れ、盛大に川辺へ尻もちをつく。


 バシャ――ッ!!


「うおぉっ!? つめてぇっっっ! やったなマーク――!!」


「うはは! 今日も決まったな、〝ひざ崩し″!」


 マークの日常的なイタズラに慣れている二人は、濡れた服を絞りながらもカラカラと笑い返していた。


 ◇


 そんな平和な日常を送っていたが、数年前からこの村の環境は変わりつつあった。アルバータ王国を含むこの大陸周辺は異常気象に見舞われており急激に気候も狂い始めていた。村の背後にあるデナリー山頂の山岳氷河も溶け出していたのだ。この村にも以前とは違う暖かい風が絶え間なく吹きつけ、農作物の生育にも影響が出始めていた。


 そしてマークが13歳の年のこと、それは突如として起こった。


「スタン! どうしたんだよ! お前の目、変だぞ!」

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