第1章 未知の空へ

1 ワタリの村

「早く来いよ――! 渡るぞ! あの谷まで競争しようぜ――!」


 柔らかな風が少年の頬をでる。春の終わりになるまで雪が残るワタリの村に、待ち焦がれた夏が近づいている合図だ。8歳になったマークは木製の剣を腰から抜き、青空に向けてビシッと掲げた。


「ラッセル――ッ!」


 眉はキリッと凛々りりしく、淡い緑の瞳。そして時おり肩にかかる明るい黄色の髪が風に揺れる。イタズラ心がいているときにだけ出る、あの〝ニヤリ顔″を浮かべて、仲間を呼んだ。


「ちゃんと剣持って来たろうな?  谷まで勝負すんぞ、手加減なしだ!」


 その声に応えるように、ラッセルが元気よく走ってくる。ツンツンに逆立つ青灰色ブルーグレーの髪と切れ長の黒い目が、どこか大人びて見える。今日も彼らは剣の特訓のため300メートル下の谷を目指すのだ。


「はーん、今日は負けねーぞマーク! てか、渡りは譲ってやらねぇ! 今日もオレが一番乗りだ!」


 彼らが育ったワタリの村は、断崖と谷、そして針葉樹の森に囲まれた山岳地帯にある。家々は丸太を積んで作られ、人口はわずか百数十人。


 マークは剣をくるりと回してベルトに差し込む。ゴーグルを目元に下ろして頭の後ろでセットし、バンドを指で引っ張る。バチンと音を立てるのは飛ぶ前の、いつもの癖だった。ラッセルがマークの隣でゴーグルをセットした時、マークは何やらニヤニヤしていた。


「何? お前また何か妙なことしてないだろうな」


 怪訝けげんな目をして聞いたラッセルに、口を尖らせて目を泳がせていると、もう一人仲間が走って来た。


「おーい! 待ってくれよ――っ!」


 スタンは茶色の髪を後頭部の上で一つに結んでいる。その短いしっぽが、走る度にぴょんぴょん揺れる。


「スタン! 遅っせぇよ、相変わらず妙ちきりんな髪型してんなぁ……プッ」


 マークが笑ったのはスタンの髪型ではなかった。


「何だよ、ちゃんと見てみろ。これガルシアっぽくっていいだろ!? 真似すんなよー!」


 スタンが白い八重歯やえばを光らせてニカッと笑う。


 マーク、ラッセル、スタン。

 放課後、三人は隣村の小さな学舎まなびやから帰ると谷に集まって剣術の特訓をするのが日課だ。目指すは、かつて王国に存在した伝説の三人組――最強の部隊「ガルド・ロワイヤル」。18年前の終戦から3年後に姿を消した彼らに、肩を並べる者はひとりも現れていない。その為、今も若者たちにとって変わらぬ伝説であり続けているのだ。


「いいか、ラッセル、スタン。僕ら三人で絶対にガルド・ロワイヤルを目指すぞ! 今日は僕がガルシア役だ! 剣の腕はガルシアが一番なんだからな」


 マークが木製の剣を空へ向けて掲げる。


「しゃーない。じゃぁ今日はオレがバート役な! 見てくれ、昨日オレが作ったバートの炎の両手剣!」


 と、ラッセルはマークの剣に重なるように木製の剣を空へ掲げた。そして最後にスタンも自前の剣を二人の剣に重ねる。


「結構イケてんじゃん! じゃぁ僕がディラン役やる! ディランが一番身が軽いんだぞ! ガルド・ロワイヤルはこの国でたった三人しかなれないからな。オレ達三人でアルバータ王国の英雄になるぞ!」


 三人の剣が空に突き上げられ、太陽の光を受けてきらりと輝いた。


 背後には針葉樹林の森と切り立った断崖。周囲を厳しい自然に囲まれたその村は、農業と畜産で自給自足の生活を営み、独自の文化を育んでいた。

 ――しかし、村人たちは全く不便ふべんを感じていなかった。彼らには、この地域だけで受け継がれてきた「風帆ウィンドキャッチャー」と呼ばれる道具があったからだ。


 風帆ウィンドキャッチャーは、軽くて丈夫な布としなやかな木の骨組みで作られている。折りたたむと背中の細長い筒に収まるほどコンパクトになり、広げると全長約二メートルの五角形に近い独特の形状を見せる。

 周囲は三本のフレームで組まれており、そこに帆布が張ってある。持ち手は、前方から後方のフレームへ向かって緩やかにカーブした二本のリブで、強度を上げる目的もあった。

 これらは村の民が長年かけて生み出した、風を効率的に受け止める構造だ。


「いいか、マーク。フェイントは無しだ。スタン、準備はいいか? 同時に出るぞ?」


 村一番の滑空の名手であるラッセルは、マークとスタンが目指すリーダー的存在。三人は同時に風帆ウィンドキャッチャーのカーブした持ち手を握る。そして息を殺し、風を受けて帆が傘のように広がるのを待つ――。


「……来るぞ……! 今だ!」


 今日もラッセルが先に風を読んだ。


 バサッ!


 三つの帆が同時に開く!


 三人は崖っぷちで一瞬だけ息を呑むと――。


「せーのっ!!」


 300メートルもある谷底を目指し、一瞥いちべつもせず地面を蹴って一直線に飛び出した!

 風に身を任せ、帆にぶら下がるようにして空へ体を躍らせる……!


「ふぅ――っ! サイッコ――に気持ちい――い!!」


 このようにして村の人々は自由に山を越え、谷を渡って隣町まで出かけていた。馬や馬車で行けば危険で数日かかる道のりを、風帆ウィンドキャッチャーなら数時間でけ抜けることができるのだ。


 風を読む感覚は村人にとって厳しい環境で生きる為の技術だった。

 空を渡る――風の動きを感じ、適切なタイミングで帆を広げれば、まるで空の一部になったように舞うことができる。子供たちも遊びながらこの技術を習得した。木の上や崖から飛び降り風に乗って谷を越える遊びは、もはや息をするのと同じくらい自然な行為だ。


 三人は澄みきった空の下、風を切って滑空かっくうする。先頭を行くラッセルのシャツのすそが風にあおられバタバタと暴れた。三人の前髪は後ろへ流されひたいは全開になる。帆を前へと押し出す風が、彼らをどこまでも自由に、どこまでも遠くへ連れて行く。


「ラッセル――ッ! いきなり加速すんなよ、ズルいぞ――!」


 二人の数メートル先を滑空していくラッセルは、タイミングよく風を捉えて急加速し、マークやスタンとの距離差を広げた。


「言ったろ、マーク――! ちゃんと風の通り道を読めよ――っ!」


 ラッセルが笑いながら振り返る。その一瞬、マークの左目が――金色に光った。


(あれ? マークの左目……?)


 しかし次の瞬間にはいつもの淡いグリーンに戻っていた。

 ラッセルは風にあおられる気流に思考をかき消され、すぐに視線を前方に戻す。

 その時だ。次はマークの頭の中に妙な声が響く。


(素晴らしい。これが『快感』というものか……)


「え……? だ、誰だ……!? 今の声……!?」



**************


本作品をお手にとってくださり、誠にありがとうございます。

本編のために描き下ろした表紙をご用意しておりますので、よろしければ下記のURLよりご覧ください。


https://kakuyomu.jp/users/Alamis/news/822139839836066286

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