生きるため、まっすぐ生きるために、僕たちは麦を食む。

この作品を紹介するにあたり凄く難しいレビューになるが、あらかじめ断っておきたい。
僕は犯罪はしてはいけないことだと思っているし、作者も犯罪行為は推奨していない。

その上であえて言おう。
物語の中で桜の木を盗んだ母親、そしてその子どもに対して美しさを感じてしまった。

この話は、顔の八割が痣に覆われ、家を出れない母が夜にこっそり桜を盗んでくるところから始まる。顔に重い障害があるにも関わらず、授業参観のため外に出てきてくれる母に愛情を覚えた主人公が、母の犯罪を知り、それでも彼女の手助けをしたいと思うストーリーだ。

僕が二人に抱いた“美しい”という感情。これは、小説の中に限り誰にも侵し得ないもので、また小説だからこそ抱いても良い感情だと思った。
表現の自由を守る理由はここにあり、現代の監視社会においても、無くなってほしくはない感情でもあると思った。
もしこれがなくなれば、僕たちの住む世界は大変息苦しいものになるのではないか。そうも思った。

つまるところ「不快」や「道徳的ではない」という理由で抹消してはいけない感性が、この世には存在するのである。
大人になってから、多かれ少なかれ理不尽を経験するし、世の中はルール通りには動かず、むしろ感情の方が強かったりするのは、身に沁みている人も多いだろう。
それでもなお、人の中には公正さを求める祈りがあり、社会の壁に投げつけられる卵として、狭い肩身で震える夜がある。

そんな人にこそ、文学は友であり、心強い味方であるのだと僕は思う。
読んで不快に思う人もいるかもしれない。けれども、それでも心のどこかに何かが残る人がいると信じて、このレビューを書きました。

ゴールデンウィーク明け、社会の壁にまた当てられ、傷ついた皆さんは、ぜひこの物語を一読することをおすすめしたい。