4話目 「忘却のビル」

 秋葉原の裏通りに、妙な建物がある。


 地図には載っている。ビル名も残っている。

 だが、検索しても何の営業情報も出てこない。口コミもゼロ。

 通り過ぎる人々は、まるでその建物だけを意識の外に置いているようだった。


 「ここが……“相互電子”。」


 レトが顔を上げる。

 三階建ての古びた雑居ビル。外壁は色褪せ、看板の文字はかろうじて読める程度。

 入口は半開き。中から、誰かを待っているような気配が漂っていた。


 「空気、違うね。ここだけ」


 「音が……薄いな。外の雑踏が、遮られている」


 確かに、通りの喧騒がここには届いていなかった。

 まるで音のフィルターがかかっているような、静寂に包まれている。

 輝はその“異質さ”に、魔力の揺らぎに近いものを感じていた。


 二人は無言のまま、入口をくぐる。


 中は薄暗く、静まり返っていた。

 床にはうっすらと埃が積もり、カーペットの一部はめくれ、湿気を帯びて波打っている。

 だが不思議なことに、物はきちんと並べられていた。


 「ここ……完全な廃墟じゃない。整ってる」


 「誰かが、“このまま”で残そうとしてるのかも」


 レトの言葉通り、部屋の奥には90年代風の木製デスク、その上には**灰色のCRTモニター**と**黄ばんだキーボード**が鎮座していた。

 傍らには**3.5インチフロッピーディスク**が数枚、無造作に積まれている。

 引き出しには、**VHSの取扱説明書**。傍の小棚には、まだ冷えているような**真空管アンプ**と、再生不能な**MDプレイヤー**。


 どれもこれも、今の秋葉原では見かけなくなった物ばかり。

 まるで“時間”だけが、ここに取り残されていた。


 「これ……何?」


 レトが壁を指差す。そこには1枚のA4コピー用紙がガムテープで貼られていた。


---


> ■閲覧注意■

> この階の“封匣”には触れないでください。

> ※開封報告が複数件あり、対応中です。

> 返信スレ:fuso.log/04/discuss


---


 「……やっぱり、“コトリバコ”だよ。そっくり」


 レトの声が震えた。

 あのスレにあった内容。異様な箱の記録。

 それが、都市伝説ではなく、こうして“痕跡”として目の前にある。


 紙の下には赤いマジックで描かれた矢印。

 「→応接室」とだけ、書かれていた。


 二人はその矢印に従って、奥の部屋へ向かった。


 応接室のドアを開けると、鼻を突くような鉄の匂いがした。

 照明は落ちていたが、窓から差し込む薄明かりの中に、**白く古びた布をかぶせた木箱**が見えた。


 「これか……」


 輝は布に触れようとして、手を止める。


 空気が変わった。


 まるで、呼吸がひとつ分、届かないような感覚。

 心臓の鼓動が遠ざかり、視界がわずかに歪む。


 「やめたほうがいい」


 レトが、珍しく真剣な声で言った。


 「“向こう”と繋がってる可能性、あるよ。

 この空間、絶対に何か……“ある”」


 輝はゆっくりとうなずき、布に触れたまま視線を落とす。

 木箱の表面には、見覚えのある印が刻まれていた。


 (……これは)


 異世界で禁忌とされた、“封印術式”。

 式の一部が潰れ、乱れ、歪められている。

 その乱れが、外界と異界の境を曖昧にしているのだ。


 「……このビル全体が、“記録装置”なんだ」


 「え?」


 「この箱だけじゃない。ここにあるモノすべてが、過去の“記録”だ。

 取り残されたもの。捨てられたもの。無視されたもの。

 そして──記録されなかった“異界”そのもの」


 ミネルの通知音が、レトのガラケーから短く鳴った。


---


> Minel:

> “接続安定化完了。観測可能な“次層”に移行可能です”

> “ただし、実地観測はリスクを伴います”


---


 「……次は、向こう側から“覗かれる”ってこと?」


 「可能性はある」


 「行くの? ……怖くないの?」


 レトの問いに、輝は静かに笑った。


 「怖いさ。だが……怖れる理由は、“知りたい”という欲求には勝てない」


 その言葉に、レトは少しだけ呆れたような、そしてどこか安心したような顔をした。


 輝は、改めて木箱に目を向けた。


 これは、単なる呪物ではない。

 “次の観測者”へ託された、未完の記録。

 そう思えるほどの、切実な何かが込められていた。


 「この場所が、次の“起点”になる。

 このビルが消される前に、俺たちは記録を繋がなければならない」


 異界は、もうすぐそこにある。

 そしてその兆しは、都市伝説ではなく、記録という名の真実だった。

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