第4話 蝶名林丹十郎慈利 19歳 上

「うぇ~ぃ、丹十~ぅ! 今日お前なんで三人いるんだぁ?」

「……また深酒ですか七郎殿」


 赤ら顔で妙ににやついた笑みを浮かべながら酒臭い息を吹きかけてくる男──蝶名林七郎景季殿は妙に馴れ馴れしく私の肩を組んではケラケラと笑う。


「のんれないよォ……!」

「それは飲んでいる者の台詞です」


 肩が重い、明らかに七郎殿が体重をかけてきているのがわかる。


「ほら、楽をしないでください。井戸で顔を洗って水の一杯でも飲んできなさい」

「おかぁさぁ~ん」

「誰がお母さんですか……っ!!」


 七郎景季殿はどうしようもない酔っ払いであるが、これでも蝶名林宗家たる図書頭景貞様の嫡男であり次期政所執事と目され幕府においても御供衆の一人として数えられる幕臣である。


「早く酔いを飛ばしてきてください」


 ……。

 ………。

 …………。


 政所の朝は早い。


「馬鹿野郎お前おっせぇんだよ、切り殺すぞ!!」

「何書き損じてんだお前ェ!!」

にのまえ球磨守くまのかみは何処に!?」

小鳥遊たかなし|中納言が間もなく来られるぞ!! 誰か対応できるものは!?」

「刀もってこい、ぶっ殺すぞ!!」

「総十郎様は!?」

「だぁほ!! あの人は猪野右馬助様のところに行っただろうが!!」

「殺すぞーーーッ!!」


 酷く殺伐としている鹿賀第の政務における最前線。それが政所である。


「おう、丹十郎殿か、ちょうどよいところに」

采女正うねめのしょう殿か。いかがなされた」


 私に声をかけていた坊主頭の老爺。

 政所寄人よりうどにして蝶名林家家老に任じられる蝶名林宗家の宿老、赤城采女正景連かげつら殿であった。


「ちとな、この書状を佐藤外記げき様に渡していただきたくてな」

「……また、私がですか」


 その言葉に私は眉を顰め、采女正殿は懇願するように言葉を重ねる。


「まかせて貰えんだろうか? 外記様は丹十郎殿を随分と気に入ってるみたいだからのう」

「私はそのようには思えないのですが……」


 佐藤外記……正式には佐藤外記げき忠真ただざね様。

 外記様は吉備幕府評定衆である幕府の重臣であり、主に穂織、加瀬、佐嶋の三国との取次役を兼ねるお方である。


「しかしなぁ、わしや与兵衛が会いに行ってもお主は来ないのかと口癖のように言うからなぁ……」

「それは私が加瀬の出身だからでしょう。外記様は黄金井家との取次役ですから守護代である蝶名林家の内情が知りたいのでしょう」

「そうかのぅ、あの人は尊仁たかひと公以来の譜代のお家の生まれであるが良くも悪くも直言ちょくげんも辞さぬ方。阿呆と話すのは時間の無駄と言い出しかねんところがある」


 確かに、外記様は頭も切れるが言葉も切れる。

 それを好ましいと思う者もいれば激しく嫌う者もいる。前者は先代将軍尊憲たかのり公であり、後者は今の幕府将軍である大樹たいじゅ尊虎たかとら様である。


「うぃ~、なんだぁ? 白髪鬼の話でもしてるのかぁ?」

「若、そのようなことを言いなさるな」

「い~や言うね、だって佐藤翁はおっかねぇもん。ありゃ子供泣くぞ?」


 酒を少し抜いたのか、七郎景季かげすえ殿が口元を拭いながらふらつきながら会話に混ざる。


「だってよぉ、あの爺様。俺が少しでも酒が残ってるともう火が吹いのかってぐらい怒り散らかすからな」

「それはそうでしょう。七郎様の役目は理解しているでしょうが、それとこれは別の話。特に七郎様は図書頭様の後を継ぐ身、酔っぱらった姿で大樹に無様を晒すなど君主の格を落としかねません」


 そう私が言うと、七郎殿は目と口をあんぐりと開いて隣にいた采女正殿と視線を合わせる。


「俺、丹十にこの話してたか? 翁とおんなじこと言ってるぞ」

「……」


 私は七郎景季殿に奇妙なものを見るような目で見られた。


「やはり、外記様と相性がよろしくあらせられる。さて若様、小鳥遊中納言が鹿賀第に参られるとのことです。ご準備を」

「……俺、昨日楽々浦ささうら左大臣と飲んだばっかだぞ。また公家の相手をしろと?」

「小鳥遊中納言は蹴鞠の名人、腕が鳴りますな」

「俺、死ぬぞ?」


 昨夜は摂政家と言われる朝廷の殿上人である楽々浦左大臣と夜明けまで酒盛りをし、早朝から鹿賀第に訪れた小鳥遊中納言と蹴鞠の接待を任される七郎殿。

 それに比べれば、佐藤外記様に書状を渡すぐらいは楽な仕事である。


「っと、いけねぇ。丹十……お前宛に手紙が届いているぞ」


 そう言って七郎殿は懐から書状を取り出す。


 書状には私宛である旨と加瀬蝶名林家の花押が書かれていた。


「捨てておいてください」

「そういうなって、お前の兄からの書状だろ?」

「見ずとも内容はわかります。大方戻ってこいとかそのようなことでしょう。どこで知られたか知りませんが、私にはもう関係のない話です」


 頭痛が収まらないのか、七郎殿は頭をさすりながらしかめっ面で私の言葉に耳を傾ける。


「相変わらず、兄御とは反目したままか……」

「……佐藤外記様と会ってきますので、これにて御免」


 その言葉から逃げるように、私は七郎殿に背を向ける。

 もう過ぎた話だ。


 心に少しだけ、嘘を吐きながら。私は兄の幻影を振り払った。

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