第5話 蝶名林丹十郎慈利 19歳 下
「失礼、私は蝶名林丹十郎慈利と申す者、佐藤外記様はご在宅であろうか?」
鹿賀第から洛外に出てほど近くの武家屋敷。表門のすぐそばで控える長屋からひょい、と顔を覗かせる家人に声をかける。
「これは、蝶名林様……! いつも度々申し訳ありませぬ、どうぞおあがり下さい」
「うむ、お言葉に甘えさせていただこうか……」
家人に導かれるまま客間に通される。
腰に差した刀を腰から取り外して自身の右側に置き、そうして暫しの間待つと、ふいに障子の先から不意に声をかけられる。
「失礼いたします。粗茶をお持ちいたしました」
若々しい声だと思いながらふと侍女に視線を送ると、私は面を食らう。
その頭髪はまるで細雪のように透きとおった白髪であり、年老いた老婆にしては艶のある髪。
声色と髪の色に面を食らい、なんとか表情に出さない様にそっけなく答えるのが精いっぱいであった。
「かたじけのうございます」
「……いえ」
不意に視線が合う。その肌はまるで病的のように白く、その瞳はまるで血のように赤い。
まるで妖魔や雪女にでも見染められたかのような容姿であった。
「……なにか」
「あっ……、いえ。なんでもありませぬ」
暫し、茶を飲みながらくつろいでいるが白髪の侍女は黙してただじっとこちらを見つめる。
空気に耐えられず声をかけるが、侍女はまさか声をかけられると思っていなかったのか妙に焦りの感情を見せながら顔を盆で隠した。
なんとも言えないやりづらさを感じながらそのまま待ち続けると、外記様に仕える家臣か見え、奥へと通される。
違和感を感じながらも奥の部屋に導かれると、座敷の奥にて両腕を組みながら目を閉じて瞑想する武士がいる。
姿勢を低くし、静かに足を畳み正座する。
「政所執事蝶名林図書頭景貞が家臣、蝶名林丹十郎慈利で御座います」
「……楽にせよ」
「はっ!」
頭をあげ、上座にいる外記様に改めて向き合う。
外記様は少壮を越え、壮年に入り始めた四十半ばの武者である。
最も、その見た目からは判断はつかない。
頭髪は総白髪で、口髭をたくわえている。
はたから見れば還暦を過ぎているような見た目であるが、私の父内蔵助と同年代……下手すれば年下である。
「……」
外記様は無言でこちらに右手を差し出す。無言の催促である。
「主、図書頭景貞からの書状であります」
「うむ」
そっけないにもほどがある。
基本的に人情的な蝶名林家と比べれば冷たさすら感じられる外記様。
そんなのだから嫌われるんですよあなた。
「……読むか?」
「は?」
……家臣が主君の書状を勝手に読んでいいわけないでしょう。
しかし、外記様は有無を言わさずに書状をこちらに向けて出す。
「……失礼仕る」
仕方なく、書状を手に取って広げると中身を確認する。
要約すれば、『穂織黄金井と加瀬黄金井との間に頻繁に使者のやり取りがあり、穂織の隣国である猪野右馬助が訝しんでいる旨。何か加瀬の状況について知りえることがあるならば聞きたい』とのことであった。
「……どう思うか、蝶名林丹十郎」
「さて、どうと言われましても……」
「忌憚なく述べると良い」
思わず顔が歪みそうになるのを必死に押しとどめ、暫し黙考するかのように瞳を閉じる。
こうなった外記様は梃子でも動かない。我慢強さと頑固さでいえば今まであった誰よりも強い。
そういう性格だからこそ我を通せたのだろうし、粘り強い交渉もできるのだろう。
「左様、そうですな……」
ためらいがちに、私は口を開く。
「穂織の様子は知りませんが、加瀬黄金井に限っては後継問題があるかと」
「ほう……」
感心したかの口ぶりだが、顔つきは全く変わっておらず真顔のままである。
「加瀬守護黄金井中務大輔様は正妻の間に娘が三人、身分の低い侍女の間に庶子が一人おります」
「左様、太郎
外記様の相槌に私は頷く。
黄金井家は幕府の重臣である四色家と呼ばれる幕府設立以前より初代将軍尊仁公に仕えてきた名門であり、幕府評定衆、並びに侍所別当や問注所執事に任じられ幕府より屋形号を名乗ることが許された名門守護家である。
最もその黄金井家も三国を太守とする名門であったのも昔の話。
現在は佐嶋、加瀬、穂織とそれぞれの国に分裂し、各任地である国の名前を取り穂織黄金井、加瀬黄金井、佐嶋黄金井と名乗ることとなる。
「枝分かれしたとはいえ、元は同じ血族。ありえるのは穂織黄金井から養子をもらうといったところでしょうか。使者のやり取りは意見の調整でしょう」
枝分かれしたはずの黄金井氏の中で穂織と加瀬が頻繁に使者のやり取りがあることが判明し、穂織の隣国に当たる生出守護の猪野氏にとっては気が気でいられないのだろう。
特に猪野家は狗神管領に協力する身の上。黄金井氏が狗神右京大夫憲宗に叛意を持つことになれば対応することになるのは猪野右馬助様になる。
「穂織からすれば養子を軸に家臣団を送り込み、加瀬黄金井に影響力を持つ好機。加瀬黄金井からしても隣国との国境の安定が叶い、強力な後ろ盾を持つ次代の当主の誕生。そういった互いの利益が合致したが故の婚姻でしょう」
「太郎尭尚殿が継がれる可能性は見ぬと?」
「それはまずありえないでしょう」
外記様の懸念を私は両断する。
太郎尭尚には欠点がある。
一つ目は母親の身分。太郎尭尚には母親の身分が低く庶子という立場である。それはつまり、後ろ盾となる母方の一族が居ないということだ。
誰であっても正室とは争いたくない。とくに身分の低い侍女の息子なら尚更である。
二つ目は尭尚の通称である。
彼の通称は太郎。単純に最初に生まれたがゆえに太郎と名付けられたが、本来加瀬黄金井氏の当主が名乗る名は三郎五郎である。
中務大輔様もかつては三郎五郎
つまり加瀬黄金井において三郎五郎と中務大輔の名乗りはそれほどまでに重要なのである。
それに当たらない尭尚殿の扱いなど火を見るより明らかである。かの御仁はそもそも次期当主として育てられてすら居ない。
最も愚物であるとも聞いては居ないためおそらく黄金井氏庶流のお家である木付家や鶴牧家あたりに養子として送られるのだろうと見るのが妥当なところだと思われる。
「……おおよそ某の考えと同じだな。貴様の兄、孫八郎
加瀬黄金井としても穂織黄金井による加瀬黄金井の従属化は避けたいと考えるだろう。
黄金井中務大輔尭綱も永遠に生きるわけでもないし、次代を見据えるならば守護代である蝶名林に自身の大姫……黄金井中務大輔の娘の中でも長姉にあたる姫を婿にもつ兄上の価値が加瀬国内において重要度が上がるだろう。
「懸念がないわけでもないがな、加瀬の西守護代である
「……縣
加瀬西守護代、縣左衛門尉
吉備幕府による黄金井氏派遣以前に強力な力を持つ地侍であり、数代にわたり黄金井氏と争い最終的に婚姻関係による和議を結ばざるを得ないほどに土地への執着と反骨心を持つ一族である。
「蝶名林が重用され、縣が守護との結びつきが弱くなれば必然警戒心も強まろう。それが悪い方に向かわなければよいのだろうがな」
「外記様はこの後継問題が上手くいかないと?」
私は外記様に問うと外記様は私の顔を覗き込むように見つめながら口を開く。
「両黄金井からすれば最上ではあるまいが凡そ纏まるであろうな。明確に損をするものもおるまい」
「最上ではない……ですか」
では外記様が考える最上とは何かと思案すると、その懸念に気付いたのか外記様は語る。
「最上があるならば、蝶名林から養子を得ることだ。であるならば穂織から厄介な横やりは受けず、守護代家の力を今まで以上に得ることが出来る。必然……黄金井守護家の力が強まるだろう」
「しかし……それは」
「そうだな、貴様が出奔したせいで破綻した」
この案であれば穂織の影響力を排除し、蝶名林の影響下である日置郡を味方に寄せる。
養子入りする蝶名林の息子を黄金井の娘と縁組させる必要はあるだろうが、本来穂織黄金井から養子入りする次期当主に嫁がせる予定の娘が空く分そちらを縣の倅と縁組させ、逆に蝶名林の次期当主に縣の娘を迎え入れる。
そうすれば守護家と守護代家の結びつきを再び強め、加瀬国の意思統一を深めることが出来る。
「蝶名林と縣の緊張感も薄れることだろう。特に蝶名林は兄弟間の関係に不穏なものもあった。縣が黄金井に接近し寵愛を得れば……そんな考えを左衛門尉盛当は考えるであろうな」
外記様の考えを聞けば聞くほど、なるほどと納得しうるものではある。
しかし、それはあくまで理想論でしかない。事実私という存在がここにいることでその考えは崩れ去っている。
「如何とする? 今なら間に合うかもしれんぞ」
「お戯れを……私はすでに政所蝶名林家の家臣ですぞ」
あくまで外記様の考えだ。
私が加瀬に戻ったところでうまくいく保証がない。それ以上に出奔して飛び出してきた以上どのような顔で戻ればいいというのか。そんなことになるなら飢え死にした方がマシである。
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