第3話 蝶名林丹十郎慈利 16歳

 数え16となった年の春。

 私は郷里を飛び出し、みやこに居た。


 私が生まれるよりも前。みやこではそれはもう酷い戦いがあったという。

 神州中原の心臓地である頸城くびき郡。帝や公家といった朝廷勢力のお膝元であり、京の外縁部を守るために登場した警護役が後に武士となる我々の祖であった。


 紆余曲折があり、京の直ぐ側、鹿賀かがと呼ばれる地に初代鎮守府ちんじゅふ将軍吉備きび尊仁たかひとが幕府を設立。

 以後200年にわたる吉備幕府が成立した。


 現在の将軍は第十二代将軍吉備左近衛大将さこのえたいしょう尊虎。

 第十一代将軍吉備尊憲たかのりの死後、二人の息子が武家の棟梁たる将軍の地位を巡り相争い、京は戦場と化した。


 その争いを収め、末弟であった尊虎を擁して十二代将軍に就けた男こそ、狗神京兆けいちょう家が当主である管領かんれい狗神いぬがみ左京大夫憲宗であった。


 乱世でありながら、京が一定の平穏を享受しているのもひとえに管領である狗神左京大夫の力あってこそだろう。

 やり方に思うところはあれどその手腕と行動力は並のものではなく、まさしく傑物に値するものである。


 現在、吉備幕府にはおおよそ三人の実力者がいる。

 一人は先に述べた管領狗神左京大夫。

 一人は頸城郡猪野党を祖とする生出国おいでのくに守護にして侍所さむらいどころ別当猪野右馬助うまのすけたける

 最後の一人が蝶名林宗家そうけであり政所執事を勤める蝶名林図書頭ずしょのかみ景貞である。


 私の加瀬蝶名林氏はもとを辿ればこの蝶名林宗家に行き当たり、幕政において公文書の管理や財務、公家との交渉、法度や裁判などを行っている幕府最高位の能吏である。


 故郷から出奔し、国を一つ越えてようやく辿り着いた京に滞在すること早十日。

 面会の申し込みの許しがようやくなされ、吉備幕府の執政機関である鹿賀第かがだいこと鹿賀御所から少し離れた蝶名林屋敷にて宗家当主図書頭景貞と相まみえることとなった。


「お初にお目にかかります。私は加瀬守護代、蝶名林内蔵助利職としもとが次男、丹十郎慈利しげとしと申します」

「そう畏まらずとも良い、面をあげよ」


 ゆっくりと頭をあげ、上座にて座る壮年の武士。


「図書頭景貞である」


 月代を剃り上げうっすらと白いものが頭髪に混じる皺の濃いこの男こそが政所執事、蝶名林図書頭景貞であった。


「我が家に仕えたいとのことであったが、よろしいのか? 加瀬蝶名林といえば加瀬国では守護代に任ぜられた家。どちらが上とはあえて問うまいが、まことに我が家に仕えると言うのか?」


 図書頭様は訝しげに問いを投げかける。


「──私は……、私を扱ってくれる主君を求めます」

「主君を試すか、丹十郎慈利」


 図書頭の視線が鋭く私を突き刺し、圧力に似た威を全身に受ける。

 負けてはならない。ただでさえ武働きに劣っているなまくらが心の性根すらなまくらになってしまえば笑い話にもならない。


 私は戦をしに来たのだ。

 政所執事に認められるという戦をしに来たのだ。

 戦場に立てぬ身なれど、それだけが侍の役目ではない。


 私は懐を大きく開き、図書頭様に見えるように一枚の書状を取り出す。


「図書頭様にこちらをお渡しいたします」


 私が差し出した書状に図書頭様は眉を顰め、そばに仕えていた小姓に視線で合図を送る。


「失礼いたします」


 小姓は私の前に置かれた書状を拾い上げると、それを図書頭様に渡す。


「……これは、散用状か」

「はっ、そうでございまする」


 散用状とはその年に行われた年貢などに関する収支決算の公文書である。

 この村ではいくらの年貢が上がったのか、あるいはどの程度例年よりも年貢を減らしたのか。そういったことをまとめた文書にあたる。


「複雑な書き方をしておる。真ん中に一本、線があるな。上下で違うと見える」

「いかにも、上の段は日置郡痣伏の西丘村の収益であり、下の段は西丘村の支出……つまり当地を治める蝶名林家に対する年貢になります」

「ふむ、乙名おとな側から出す注進状のようなものも兼ねているのか……それでこれで儂に何を判断しろと」


 乙名とはいわゆる村の指導者である存在であり、村の年貢備蓄の管理や地侍たちとの交渉を担う存在だ。

 わからないのか、あるいはとぼけたふりをしているのか、図書頭様の視線は私を鋭く射貫く。


「図書頭様であれば、わかっておられると思いまする」

「……」


 図書頭様は暫しの沈黙の後、肺にこもっていたいた息を吐き出して眉の間の皺をゆっくりとほぐした。


乙名おとな側……この場合は荘園の損益がわかるな。村落一つの収支状況を把握しやすい」

「然り、この散用状があれば別の諸表を作ることも容易いでしょう」

「同時にほかの村と見比べれば、村側の中抜きや不正も見つけやすい、と……確かによくできて居るわ」


 ぴしゃり、と図書頭様は自身の膝を叩く。

 そして再び、その鋭い眼光を私に浴びせる。


「だが、それだけではないのだろう……それを説明しろ」

「はっ、この書体の何よりの利点は支出と算出石高を細かく把握することが出来ること。それによる算出利益の分析と原因の明確化が出来るということです」


 図書頭様は私の言葉に口元に手を当て黙考し、やがて私の渡した散用状に目を再び通す。


「……この村は、革のなめしが盛んのようだな。これは元からか」

「否、確かに百姓らの小遣い稼ぎとして革のなめしは行われておりましたが。かつてはそれ程盛んではありませんでした。その前は蚕の養蚕を多く副業として行う家が主でありました」

「それは、収支が取れていたのか?」

「とれておりませんでした。故にやめさせました」


 図書頭様は自身の膝を大きく叩く。


「得心がいった! 金にならん養蚕をやめさせて一部の家で行っていた革産業に注力させたのか!」

「御意にございまする」


 特別なことはしていない。

 ただ散用状に書かれている情報を基として収支と労力の見合わない仕事を辞めさせて実入りのいい役目を与えただけのことである。

 そしてこの程度のことは、この散用状があれば誰にでも分析が可能なことだ。私だけが特別なだけではない。


「大したものよ、これを考え付いただけでも其方の知恵は称賛に値する」

「もったいなきお言葉」

「このやり方は政所でも使えよう。多少乱雑な作業は増えるが問題と言えばその程度だ。むしろ幕政の財政の健全化と経費の明瞭化すればより効率的な運営となる」

「さすがは、図書頭様でありまする」


 図書頭様は機嫌よくしゃべり、そして冷たい声で囁く。


「このやり方があれば、お主はいらんな」


 そう、図書頭様は吐き捨てた。


「其方は馬鹿ではあるまい。儂がこの考えにたどり着くのを気づかん訳もあるまい。何故、このやり方を儂に示した?」


 今までの圧力や言葉がすべて児戯に思えるほどに、図書頭様の声は底冷えするような冷たい声であった。

 私は、頭をあげ、晴眼に蝶名林図書頭を見据える。


「お答えいたしましょう。私がその考えを披露し、話したところで私は何一つとして損はないからです」

「仕官が叶わぬのは損ではないと?」

「主君と臣下の間は御恩と奉公です。主君に益を齎したのに重用されないとあればそれは信が守られていないということです。そのような家ならば、仕えぬ方が良いでしょう」


 信賞必罰は君臣関係においてなければならないものである。

 これが守られなければ主君は特定の家臣に甘くなり、家臣も主君を信用することなどできない。


「そして私が知恵を披露したところで、その知識はいまだ私の頭の中にあります。知恵は他者に奪われることなき人の財産であります。広めることはあれど、失うことはない。ゆえに私はなんら損はしていないのです」

「そして、仕えなければ別の家に仕官する際に同じことをすればいいと」

「ご明察の通りでございます」

「ふんっ、可愛げのないことよ。だがもっともでもある」


 図書頭様は散用状を綺麗に折りたたむと、ひょい、と私の前に「返すぞ」と言って投げ返した。


「わかった、仕官を認めよう。もともと蝶名林の家門に属する一族じゃ。追い返すつもりはなかったがの」

「ありがとうございます!!」

「ふんっ、其方のような知恵者がほかに流れる方が損と見ただけのことよ。ほかに理由はない」


 図書頭様は再びため息を吐くと月代の部分を撫でまわし、脇息に身体を預け少し行儀の悪い姿勢となる。


「まぁ、まだ腹に一物抱えてそうだが敢えて問うまい。儂から信を得たくば、まず働きを示せよ」

「不肖、蝶名林丹十郎慈利。身命を賭して蝶名林図書頭様にお仕えいたしましょう」


 図書頭様は手をひらひらと動かしながら「そう固く並んでもよい」とつぶやいた。

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