第4章:覚醒
意識が浮かび上がる。
深い泥の底から、ゆっくりと水面に顔を出すような感覚だった。
目を開けると、天井。無機質な白。LEDの光。
ICUのベッド。管。点滴。酸素マスク。
心拍モニターの音が、律儀に「生命」を数えている。
「あ……気がつかれましたか?」
声がした。
若い女性。短く切った髪、東南アジア系の顔立ち。名札には「セイラ」とある。
「カジワラ議員……びっくりしましたよ。倒れて……三日目です」
三日。
夢のような、いや、夢ではない記憶が、身体の底にじっとりと貼りついていた。
蝦夷のスープ。物部の呼吸。縄文の塩と魚と根。
そして、あの言葉。
「制度に殺された身体は、制度の外でしか立ち上がれねぇ」
彼の胃が、今もその味を――その安心を――探していた。
「今日から流動食です。腸を休めましょうね」
セイラが持ってきたのは、薄い白粥。
横にはスポーツドリンク風のゼリー、そしてビタミン剤。
「低GIの粥ですから、糖質もゆるやかに吸収されます。
人工甘味料は使ってません。腸内フローラにも配慮してますよ」
その言葉に、かつての梶原なら深く頷いただろう。
だが――今の彼の身体は、微かに拒否した。
レンゲを手に取り、白粥をすくう。
口に運ぶ。舌の上に広がるのは、薄く煮えた米の甘み。
その瞬間。
胃が、硬直した。
いや、もっと正確に言えば、“反応しなかった”。
それは、「異物を受け取らない」と告げる拒絶だった。
(違う……これは、身体が欲してない)
味がどうこうではない。
これは制度が“正しい”と保証した食であって、身体が“うれしい”と感じる食ではない。
「……すみません。もう少しだけ、あとで食べます」
「了解です。でも、栄養素はしっかり摂らないと、回復が遅れますよ?」
セイラの言葉には、悪意はなかった。
だが、そこにあるのは「制度化された優しさ」だった。
彼は静かにベッドの手すりを握った。
そして、初めて声に出した。
「……食って、栄養だけじゃないよな」
セイラが少しだけ驚いた顔をして、笑った。
「うちの母もそう言ってました。
“食べ物は身体だけじゃなくて、心もつくる”って。
家じゃ、毎朝ウコンと鶏ガラのスープで育ったんですよ。
正直、この病院食……あんまりピンとこないです、私も」
梶原の喉が、ごくりと鳴った。
「敗者の食」が現代に、まだ生きていると、初めて知った瞬間だった。
点滴の滴る音が、静かに響く。
そして彼の身体が――制度の中で回復しながらも、制度の外に向けてうっすらと扉を開け始めていた。
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