朗読用台本

 ナレーション(語り)

 SE(効果音)


〈SE:静かな風の音、時折鳥のさえずり〉

 ナレーター:

 これは、ある男の、若さと悔いにまつわる物語。名は、氷室蒼涼。すべてを手にしたその男が、生と死のはざまで縋ったのは、決して還らぬ「過去」だった。


〈SE:静かに時計の針が刻む音〉

 ナレーター:

 僕は――まもなく三十五歳になる。

 氷室蒼涼という名だ。


〈SE:低く乾いた笑い声〉

 ナレーター:

 外資系の金融機関の花形部署に勤め、父親の莫大な遺産も継いだ。


 金も、女も、時間でさえ……

 欲しいものは、すべて手に入れた。


 ――ほんの、つい最近までは。


〈SE:風が止まり、空気が沈む〉

 ナレーター:

 本気で、人を愛したことがある。

 大学時代の恋人だった。

 白血病で倒れ、僕の腕の中で――


「さよなら」と、微笑みながら逝った。


 それ以来、女性を心から愛することに、一抹の恐れを抱くようになった。 


〈SE:氷の割れる音〉

 ナレーター:

 だから、僕は心を閉ざした。

 一夜限りの恋に溺れ、

 欲望と野心だけを抱えて――生きてきた。


「天は二物を与えず」?


 いや、僕には三つも四つも与えられた。

 金、顔、スタイル、地位、名誉……


 鏡に映る自分は、見るたびに、美と夢のはざまに揺れる幻影のようだった。


 ---


〈SE:ジャズ調の軽快なBGМ、グラスの触れ合う音〉

 ナレーター:

 その夜も、レインボーブリッジを望める、六本木の歴史あるバーで酒と女に囲まれていた。ドンペリの栓が弾け、女たちの笑い声が飛び交う。


「蒼涼さん、早く戻ってきてね〜」


 ナレーター:

 僕は軽く手を振って、化粧室へ向かった。


〈SE:ドアの開閉音、静寂〉

 ナレーター:

 鏡の前にしばらく立ち止まり、自分の顔をじっと見つめる。思わず笑みが漏れた。


「……やっぱり、いい男だ」


〈SE:ぴたりとBGМが止まる〉

 ナレーター:

 ――その瞬間だった。


〈SE:低く、不気味な共鳴音〉

 ナレーター:

 目の下に、黒い影が滲む。

 艶やかな髪が、はらりと落ちた。

 乾いた肌のざらつき……

 それはまるで、他人の皮膚のようだった。


 ---


〈SE:朝の雑踏、心拍音、遠くの救急車〉

 ナレーター:

 翌朝、僕は病院へ駆け込んだ。息が詰まるほどの焦燥のまま。

 長く冷たい待合室で、ただ俯いていた。時間だけが、ゆっくりと崩れていくように。


〈SE:名前を呼ばれる音〉

 ナレーター:

 医師が、検査結果を見て言った。


「……信じられません。内臓全体に異常が生じ、急速に老化が進んでいます。このままでは――命に関わります」


〈SE:波が遠ざかるような耳鳴り、砂時計の落ちる音〉

 ナレーター:

 医師の声が、遠ざかっていく。


「嘘だろう、こんなの……夢だ……」


 ---


〈SE:夜の都会の音、風のささやき〉

 ナレーター:

 僕は街をさまよい、裏通りの奥にある鬼灯の花が咲く、古びた薬局を見つけた。


〈SE:木製の看板が風に揺れる音〉

 ナレーター:

 木の看板には、見慣れぬ名があった。


「……回春堂? 妙な響きだな」


〈SE:軋む扉が開く音、薬草の香りが立ちこめるような雰囲気音〉

 ナレーター:

 店の中は、薬草の匂いと鬼灯の赤い光に満ちていた。


「……来ましたね」


 ナレーター:

 奥から現れたのは、黒いガウンを身につけた魔女のような老婆だった。


「あなたに巣食うのは、“悔い”という魔物。医者に癒すことはできません」


 ナレーター:

 そう言って、掌に小瓶を乗せた。


「これは、異世界で煎じた魔法の薬『真回春丸』。一日だけ、確かに効く。試してみなさい。タダですから」


 ---


〈SE:静かな自宅の室内音〉

 ナレーター:

 僕は急いで家に戻り、半信半疑のまま薬を飲んだ。


〈SE:高鳴る心音〉

 ナレーター:

 数分後、鏡に映った僕の姿は本当に若返っていた――肌も、髪も、瞳も……あの頃のままだった。


「これは……本物の回春だ……!」


 ---


〈SE:ネオン街の喧騒〉

 ナレーター:

 翌日、僕は再び夜の蝶が飛び交う街へと繰り出した。だが、夜が更けると、薬の効き目は切れた。


 再び醜い姿に戻り――

 僕は、あの薬局を必死に探し回った。


〈SE:風が吹き抜ける音〉

 ナレーター:

 だが、どこにもなかった。まるで最初から存在しなかったかのように。


 ---


〈SE:蚤の市のざわめき、テントが風に揺れる音〉

 ナレーター:

 数日後、蚤の市の奇妙なテントの中で――

 再び、あの老婆に出会った。


「お待ちしておりました」


 ナレーター:

 今度は、少し大きな瓶を差し出した。


「これが本物の真回春丸。一年間かけて一粒ずつ服用すれば、真の若返りが得られます。ただし、代償は想像以上に……」


「……えっ、代償って?」


 ナレーター:

 彼女はふっと笑った。


「永遠に若くあるとは……“今”から、抜け出すということです」


 ---


〈SE:暦が捲れる音、季節の変化〉

 ナレーター:

 僕は迷わなかった。

 高額な金を払い、薬を手に入れた。

 そして、毎日、決まった時間に服用した。


 一ヶ月……何も変わらない。

 三ヶ月……クマが消える。

 半年……肌艶が戻る。

 十ヶ月後……

 まるで二十代にしか見えなかった。


 ---


〈SE:誕生日の夜、秒針の音〉

 ナレーター:

 誕生日が来た。三十五歳になるはずの日。だが、鏡の中の僕は――若かった。


 ---


〈SE:風のざわめき、夢の中のささやき〉

 ナレーター:

 その夜、夢を見た。黄金の扉の向こうで、女たちが微笑んでいた。


「蒼涼……」


 ナレーター:

 名前を呼ばれ、手を伸ばす。

 だが、動けない。


〈SE:突風、囁き声が重なる〉

 ナレーター:

 背後から、無数の女たちの声が迫る。


「氷室……あんたが、私たちを捨てた」

「全部……あんたのせいなんだよ!」


 ナレーター:

 彼女たちが僕の腕を掴み――

 闇の中へ、引きずっていく。


 ---


〈SE:急激な息づかい、目覚める音〉

 ナレーター:

 ハッと目を覚ます。

 時計は、午前0時を指していた。


「若さを取り戻しても、失われた時間の回廊の扉は、二度と開かない」


 ナレーター:

 鏡を覗く。

 ……そこには、誰もいなかった。

 僕自身が――この世から消えていた。


 ---


〈SE:夜明けの静けさ、鳥のさえずり〉

 ナレーター:

 蚤の市の奥。

 老婆が、小さな揺り籠を抱えていた。


 中には――産声ひとつあげない赤子。


「ふふ……またひとり愚かな男が、運命の輪に呑まれ、始まりへ還りましたね」


 老婆は、さらに続ける。


「魂だけは、罪を背負ったまま、終わりなき時の環の中を巡り続ける。それゆえにこそ、せめてひとつの感謝があって然るべきではないか——」


 ナレーター:


 そう囁き、老婆は赤子をそっと布で包み込み、人知れず守るように抱きしめた。


「氷室蒼涼さん。さて、今度の人生は――どんな“物語”になるのでしょうね……」


〈SE:静かにフェードアウト〉


 (映像用脚本へ続く)

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