同僚

啓介けいすけ。お前、子どもまで巻き込むつもりかよ?」

 

 シオの部屋を後にし、廊下で乗る者のいなくなったストレッチャーを畳み始めた青年の背中に、言葉を突き刺してきた女性が1人。灰色の瞳が送る視線も同様に、鋭い。

 

「おや、悠理ゆうり。実験は一段落したのかい」


 その気配をひしひしと感じながらも啓介は振り返る事なく、ストレッチャーを畳む手を動かしながら言葉を返した。悠理と呼ばれた女性は、遠慮なくその背後へと近付いていく。


「こんな状況じゃ実験に集中なんかできないだろ。はあ……たまには労ってやろうと思ったらこれだよ、クソが」


 折り畳んだストレッチャーのロックを確認する啓介の様子を、悠理は啓介より頭一つ分高い背丈から見下ろしながら、手に持った缶コーヒーを差し出した。


「ブラックはあまり好みじゃないが……折角の好意だ、有難く受け取るとしようかな」


 確認を終えてようやく振り返った啓介は、受け取ったそれを白衣のポケットに収める。そして、廊下にストレッチャーのキャスターが転がる音が響き始めた。それを引く手は、ストレッチャー以上に気怠い重みを感じていた。


 廊下のカーペットに、2対のくぐもった足音が吸われていく。


「もう一度訊くけどな、何でシオを巻き込んだんだ」

「生身の人間と触れ合うのは、精神面の成熟に必要不可欠だ」


 啓介の答えに悠理はため息をついた。


「だからって、何でよりによってあいつをあてがう?」

「じゃあ悠理にあてがってあげようか」

「そういう事じゃなくてさ……!」

「そういう事、でもあるだろう」


 苛立ちを含んだ回答を途中で遮った啓介は、悠理の顔をちらりと見やる。


「今は、彼方かなたもサキも、所長もいないんだ。僕達だけでは、彼女の面倒を見る余裕はない。ま、余裕があったとしてもか。……空き部屋に軟禁しても良かったけど、よろしくないだろう、一応」


 廊下の風景はホテルのようなそれから、無機質で清潔なそれへと移り変わっていく。


「……そうだな。押し付けるしかない。啓介、いやシオに。無責任に血を上らせてしまったな。すまん」

「気にはしないさ。代わりに、今度何かプレゼントでも与えてやってくれ。……ふふ、それにしても、君がそんなにシオの事を気にしているとは。情でも芽生えたかい?」

「ふん、どうだか。で、所長はいつ戻ってこれるんだ」

「うーん……早くて数日はかかりそうだね。諸々、調整中」


 青白い照明の下、廊下の十字路に差し掛かった2人は、歩を止める。


「じゃ、悠理。すまないけど、代理の対応はよろしく頼むよ」

「あれくらい、どうにでもなる。……それよりお前こそ、あの2人の事を気にしとけよ?」

「心配には及ばないさ」


 灰色の瞳で見下ろす悠理の視線を、啓介は迎え撃つように見上げる。


「これは……またとない絶好の機会だ。シオが、僕達以外の人間と直に触れ合うね。良い経験になるよ」


 一瞬、顔を見合わせるだけの時間が流れた。


「その経験が、負の感情に繋がる可能性があるとしてもか?」

「それも含めてこそ、良い経験だよ」


 2対の足音は左右に分かたれていった。

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