好奇

 シオはそわそわしていた。


 勉強を終え、毎日読み進めている本の続きを読んでいるように見えて、その目線は明らかに本とベッドの上に眠る少女を行ったり来たりしている。ページをめくる音はほとんど聞こえない。


 そしてシオはゆっくり息を吐きながら席を立ち、その本を棚に戻す。いつも1人で使っていたベッドに寄り、腰かける。その間も、その目線は少女に向け続けていた。

 自分の部屋に突然現れた、他人であり異物であり……興味の対象。シオは警戒心と共に好奇心が抑えられなくなっていた。


 ――今まで見た中で1番、幼い。


 静かに呼吸するその顔を見ながら、自分の頬に触れた。子守でも世話でもなく、友達になって欲しいと言われた事を思い返す。シオはそろり、と白衣の袖から出た手を少女へと伸ばそうとし、ためらいがちにその手を止めた。しかし長くは続かず、気持ちが勝つ。

 直接身体へ触れる事には抵抗があるのか、その行き先は艶やかな髪へと向かう。シオはそのまま少女の耳元辺りに手を差し込み、その髪を自らの指へ絡ませながら手に取り、そっと自分の顔へと運んだ。自分のそれとは正反対の、暗さの中に輝きを持つ色。今まで見てきた人間達と比べて、溢れる瑞々しさを感じる艶。感じるテロメアの長さ。


 ふと、シオは知らない香りを感じた気がした。


 髪を絡めた手をそっと自分の鼻先に近付け、その香りを吸う。甘みのような、酸いのような、爽やかさのような、感じた事のない淡い香り。

 少女の身体が身じろぐ。

 まだ静かに呼吸するその顔を見ながら、シオはそろり、と上体を傾け、首元のチョーカーベルトを境目に素肌を出した顔を、少女の顔へ近付けていく。まるで花の香りに惹かれる虫のように、果実の鮮やかさに惹かれる鳥のように。


 がば、と少女が身体を起こした。

 シオは声も出せずその場で飛び上がりそうな勢いで驚き、掬った髪を放した。


「ん~……」


 気の抜けた声と共に伸びをする少女。

 とは裏腹に、目覚める可能性を微塵も考えていなかったシオは、まるで人間というより化け物を見るかのように見開いた目で、まだ目も開いていない少女の一挙手一投足を見ている事しかできない。身体は固まり、全身の温度が上がっている。


「ふわぁ……誰ぇ?」


 固まったままのシオに気付いた少女は、欠伸をしながらその表情をぼんやり眺めている。そして目を擦りながら部屋を見回す。それからベッド、それから自分の身に纏われた簡素な病衣。


「お、おは、よう?」


 シオは自分でも聞いた事のないような引きつった声が口から出るのを聞いた。何を喋れば良いか分からない。そうして思考を空回りさせていると、今度は少女が身体をシオの方へと乗り出し、虚空で開いたままの手を両手で掴んだ。

 光沢のある黒い手を包む、白い肌。寝ぼけ眼の奥、青い瞳の中で星々のような黄色い粒を舞わせた、夜空のような目。髪からよりも更にはっきりと感じる香り。


「感触はする。けど、あなた……ふわぁ~、あなたは、いや、私は……」


 少女は起きたばかりの頭をフル回転させて記憶を辿ろうと、寄せ慣れていなさそうなシワを眉間に作りながら、目を閉じる。しかししばらくすると、そのシワは消えていき、頭がぐらつき始める。そのまま、シオの手から少女の手がするりと抜け落ち、力を失った上体がシオに向かって倒れてきた。

 シオは慌てて少女を抱きとめた。胸の中で、静かな寝息が再び聞こえ始める。困惑と混乱が抜け切れていないままだったが、シオはようやく顔の強張りが抜けていくのを感じた。その代わりに、一抹の不安が入り込んでくる。


「こんな調子で……」

 ――友達に、なれるのかな。


 最後までは口に出さず飲み込んだシオは、無防備に眠る少女を寝かし直そうと動きかけた。が、それは素振りだけで終わった。少女の重み越しに、温もりが、鼓動が伝わってくる。一抹の不安がほどかれていく気がした。


 シオは目を閉じ、久しく感じていなかったその鼓動をしばしの間、味わっていた。

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