重力断層

@PKIXK

第1話

《重力断層》 02/11/2125



2063年。人類は、言語の重力から解放された。


それは革命ではなかった。

進化ですらなかった。

ただの——段階的沈黙だった。



I. コトダマの死


かつて極東に存在した島嶼国家・日本(ニホン。あるいは、ニッポン)には「言霊(コトダマ)」という観念があった。

言葉には魂が宿る。言葉は現象を引き寄せる。

それゆえ、発した言葉には責任が伴うと。


彼らにとって言葉とは、霊的な何かを感じさせるものであったのだろうか。


そして、2063年——人類はその責任から逃れた。

逃れたのだ。

あらゆる「言葉」の重さから。

あらゆる「他者」の重さから。




II. 重力場のように


2062年2月13日。


欧州の小国にて報告された“集団沈黙現象”

決して未知のウイルスでもなく、政府による言論抑圧による物ではなかった。

だがそれは瞬く間に

感染ではなく、同調として世界に広がった。


沈黙の拡散は、ニュートン的ではなく、量子場のように跳躍的だった

最初は会話の中断。次に、主語と述語の曖昧化。

やがて、誰もが「発話によるコミュニュケーションという行為」を選択しなくなってゆく


連日取り上げていたテレビのニュースキャスターでさえも沈黙した。


全世界の人類が口を噤んでも、高度化した世界は崩壊しなかった。

その日も、配送ドローンは上空を飛行し、

気象制御アステンドは嵐を迂回させ、

医療用ナノマシンは生体を黙々と修復していた。


国家はただの人類への自動給餌器プロトコルへと還元され、

「言葉」なき人類の呼吸器に置き換えられた。



Ⅳ. 記録者の仮説


そして、“この文書の記録者”——すなわち人類でない「私」は人類の沈黙について仮説を立てる。

「これは、退化ではない」

「これは、進化でもない」

「これは、最適化だ」


それは、人類の「選択」だった。


会話とは、誤解を前提としたプロトコルに過ぎなかった。

他者とは、期待と不安を生むソースコードに過ぎなかった。


沈黙こそが、個体を完全化する。


言葉は、もはや旧世代のツールだった。

これはバグではない。


意図された沈黙なのだ。


「彼ら」は、もう話さない。

「我々」は、話せない。




Ⅲ. 「         」


かつて言葉とは、自己と他者を接続する橋だった。

それを断つということは、「他者が存在しない世界」への移行だった。


期待されず、批判されず、理解もされない。

代わりに誰もを期待せず、裁かず、分かろうとせず、哀れみもしない。


我々は、沈黙の中で、純粋な個体と化した。

呼吸し、摂取し、排泄し、眠る。

ただそれだけの存在に戻った。


皮肉だった。

言葉が失われて初めて、人類は他者に煩わされずに生きる自由を得た。


この状態は“楽”だった。

だから——誰も戻そうとは思わなかった。

戻せるのに、戻さなかった。


かくして——言葉は死んだ。

そして人類は、静かに、透明になった。


fin.






作者注


2125年、子供たちは言葉を「教わらない」まま育つ。誰にも何も期待されずに。ただ生物として“育つ”。


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