024話 冒険は、まだ終わらない


 緊急依頼クエストから数日。


 魔素抜きを終え――体内に蓄積した魔素を抜き、心身ともに回復させた俺たちは、再び魔法協会へと足を運んだ。

 今朝は澄み切った空気の中に、わずかに春の香りが混じっていた。鼻腔をくすぐるような匂いに、ほんの少しだけ気持ちが軽くなる。


 魔法協会の前でクイナと合流すると、俺たちは連れ立って建物へと足を踏み入れた。


 緊急依頼クエストの失敗が周知されると、その日は沈痛な雰囲気が漂っていたが、冒険者とは良くも悪くも入れ替わりが激しい。また、その生業ゆえに刹那的な生き方をするものが多く、数日ぶりに足を踏み入れた魔法協会内部はすでに従来の活気を取り戻していた。


 それでも、先頭を歩く俺の姿に気づくや否や、それまで喧騒で賑わっていた室内が波を打ったように静まり返っていく。

 冒険者や職員たちの視線という視線が突き刺さる。足音が響くたびに、視線が動いていくさまは、劇場の花形にでもなった気分にさせた。


 若手の冒険者たちは好奇心を隠そうともせず、

「あれが”暁の明星”」

「緊急依頼で前線を担当したパーティーで唯一の生き残り。アイツら、パーティー組んだばっからしいぜ?」

「まじかよ。すげーな……」

 中には俺たちへと直接指を差す者までいた。


 甚大な被害を出した冒険迷宮ダンジョン内の緊急依頼から生還を果たした”暁の明星”は、今回の一件でその名を同業者に知らしめる結果となった。

 巨大百足の討伐、緊急依頼で数多の冒険者を屠った魔物行進モンスターパレードの阻止。同業者だからこそ、いっそう伝わる功績もある。


 緊急依頼へ参加しなかった中堅以上の冒険者たちは、

「おい、あれ」

「あぁ、間違いねぇ……。”紫電”のグリン。帰ってきたって話は本当だったんだな」

「”双貌トゥーフェイス”の与太話かとばかり。また前線が面白くなるかもしれないな」

 チラッと視線を送るにとどまり、無遠慮に見続けるということはしない。


 だが、手に持った酒を胃へと流しこむ間にも、ちらちらとその視線が向けられるのは好奇心がゆえか。


 俺は刺さるような視線に気づかないフリをして、そのまま受付へと向かった。


 後ろを歩くカナリアは随分と嬉しそうだ。

 その露出の多い服装からも伺えるが、やはり彼女は人の気を引くことを好んでいる節がある。

「グリン、見て見て。みんな、うちらのこと見てるやん。これ、ちょっとした有名人ちゃう?」

「……静かにしろ。ますます注目されるぞ」

「ええやん。うち、注目されるの好きやし」


 そのやりとりにクロウェアがくすくすと笑う。

「彼女、ずっと浮かれてたわよ。朝から何を着ていくか悩んでたもの」

「言わんでええ! クロ、そんなん言わんでええからッ!」


 俺が肩をすくめて苦笑していると、受付にいた職員がぱっと顔を上げた。


「おはようございます。”暁の明星”の皆様。本日はどういったご用件でございますでしょうか?」


 いつもながら、どこか落ち着き払った態度が印象に残る。

 他の受付とは違って、妙に“こちらの動き”を察するのが早いのが特徴だ。

 

「これから俺たちは下層へ向かう。コーバスの件の調査も進めておく、と副支部長に伝えておいてくれ」

「かしこまりました」


 その声の響きは低すぎず、高すぎず、聞く者に奇妙な安心感を与える。

 そこから仕事に対する経験と自負が言わずと伝わってくるような気がした。


 受付を離れると、部屋の壁一面を占める巨大掲示板に移動し、冒険者迷宮内の討伐依頼などに目を通しておく。

 あくまで踏破が目的の俺たちであるが、偶発的な遭遇はいつ起こるかもわからない。備えておくに越したことはないのだ。


「いよいよだな。下層へ向かうが、心の準備はいいか?」


 ここまで三度の冒険迷宮への冒険は、すべて肩慣らし。

 三度目の肩慣らしとして挑んだ緊急依頼では、そのあまりの激しさに肩が外れて二度と使い物にならないと覚悟するほどのものであったが。


 だが、これからは違う。

 今から俺たちが踏み出すのは、踏破のための一歩。


 試すような俺の口調に、

「準備? 私は待ちくたびれたくらいだよ」

「よっしゃ、やったるでー!」


 コラの冒険迷宮の踏破の発起人であるクロウェアは普段通り落ち着き払っている一方で、カナリアはその身を屈めて顔の前で両の拳を握りしめていた。


 二人から少し離れた距離で支柱に寄りかかっていたクイナは、

「ふん。貴様、誰に物を言っている」


 クイナには”暁の明星”への参加こそ断られたものの、下層攻略の後衛を依頼したところ、渋々ながらも俺たちの後衛を引き受けた。表情こそ不機嫌を装っていたが、その瞳には何らかの好奇心――あるいは責任感が宿っていた。

 これまでの経験からクイナが優れた魔法使いであることは、すでに証明されていた。クイナの存在はパーティーにとって心強い。


 俺が斥候、クロウェアが索敵、カナリアが前衛、クイナが後衛。この布陣でまずは下層攻略を目指す。


「っていうかグリン、前に言ってたやんな? 冒険者なんかクソやって」

「……言ったな」

「それ、今も変わらへんの?」


 一瞬、答えに詰まる。

 だが、言葉は自然と口をついた。


「相変わらず、好きにはなれそうもない」

「むぅ〜、もったいないなあ。こんなに面白いのに」


 カナリアは不満げに頬を膨らませる。

 それを見たクロウェアがぼそりとつぶやいた。


「……けど、その言葉も前よりは少しだけ、柔らかくなった気がするわ」


 俺は眉を上げて、クロウェアの方を見た。


「そうか?」

「さあね?」


 クロウェアは自分で切り出しておいてそっぽを向いた。

 ――相変わらず捉えようのない女だ。


 俺たちは掲示板の前から踵をひるがえし、魔法協会の出入口へと足を進める。

 今や俺たちが歩くたびにおもしろいように人波が割れていく。


 胸を張ったカナリアは歩調を上げて俺の横に並ぶと、

「冒険も悪くないやろ?」

「黙ってろ。俺はいつか冒険者をやめてやるからな」

「あーん、グリンのいけずー」


 俺から陽の下での未来を奪った冒険迷宮は相変わらず、好きになれそうもない。


 ――冒険者なんてクソだ。


 それは今も変わらない。

 だが、こいつらとする冒険は悪くないかもしれない。


 カナリアがはしゃいでいる。

 クロウェアはそれを微笑ましそうに見ている。

 クイナは肩をすくめながらも、きちんと俺たちの歩調に合わせていた。


 前を歩く俺の影に、三人分の影が重なっていくのが、ふと視界の端に映る。

 俺一人で踏み入れたこの街で、いつのまにか背中を預けられる誰かがいることに気づいた。


 ――もう、一人じゃない。


 開かれた扉。差し込む光へと俺たちはその足を踏み出した。

 その瞬間、頭上の天窓から差し込んだ光が、まるで誰かの背中に羽を与えるように俺たちを包んだ。


 暁の明星が、その名の通り、再び輝きを増しはじめる。


 俺たちの冒険はまだ始まったばかりだ。


 §


 コラの冒険者迷宮の深層。

 深層――それは、冒険者迷宮の下層よりも、さらに奥まった階層。

 そこに広がる空間の空気は冷たく澱み、魔素の量も段違いに濃密だ。それは耐性のない者であれば、ただ息をすることさえままならないほどに。


 冒険者の中でも深層にたどり着けるものはごく僅かとされている。

 常人にはその世界を見ることさえ叶わない場所。探索病を受け入れた探索者だけが、その深みに挑むことを許されている。


 深層のとある通路。

 壁に備え付けられた松明が青白い炎を灯していた。等間隔に並ぶそれらの明かりが、通路を幻想的に照らし出している。

 風の吹かぬ地下では、浮かび上がった光が炎に合わせて小さく揺れる。


 どこからか現れた、人の頭ほどもある昆虫型の魔物が青白い明かりに誘われ、吸い寄せられるように、ふらりと炎へと飛び込んだ。

 瞬く間に身を焼かれ、その生命は儚く終わる。だが松明の光はわずかに形を変えただけで、また何事もなかったかのように、規則的に不規則に揺れ続けた。


 そのとき、地面がゆっくりと波打つ。

 次の瞬間、松明の光に照らされていた深層の地面が静かに盛り上がる。


 土の中から、その姿を現したのは一体の魔物。

 魚のような流線型の身体を持つそれは、地中を泳ぐかのように進む性質を持っていた。ひと二人分はあろうかという体躯。不釣り合いなほどに大きな顔と口。


 魔物は地面からその姿を現すと、大きな口を即座に開いた。

 そして、そこから勢いよく吐瀉物のように吐き出されたのは一人の人物――コーバスであった。


 白衣の裾を濡らし、泥と粘液にまみれたその姿は、研究者というより亡者のようなありさまだ。


「ぐぅ……」


 コーバスを無造作に吐き出した魔物は、何の興味も示さず、再び地面に潜り、姿をくらます。

 砂ぼこりひとつ立てず、音もなく、まるで最初からそこにいなかったかのように。


 コーバスは壁に手をつき、よろよろと立ち上がった。

 その目には狂気と興奮が入り混じっていた。


「魔物行進はうまくいった……。性能試験も上々……。協会の犬どもを屠った……。それでも……足りない。足りない。全然、足りない……。もっとだ……。もっと――」


 喉を震わせ、独り言のように呟きながら、奥へと一歩、また一歩と足を進めていく。


「新作はなかなか使える。ワタシの好みではないが、これは大きな収穫だ」


 くくく、と笑うその口元は濡れた髪と泥に覆われていても、不気味な笑みであることを隠しきれなかった。


 やがて通路は終わりを迎える。

 その先にはひらけた円筒状の空間。

 人二人が並んで歩けるほどの通路が、壁伝いに螺旋を描いて下へと続いている。

 青白い松明が、規則的にその螺旋を照らしていた。


 コーバスは、その底へと足を向ける。

 重く、湿った空気の中。どこかで硬質なものが擦れ合う音が響いた。


 それは、青白く偏平な胴体を持ち、節ごとに鋭く折れたような構造をしていた。

 その各節の脇からは、鋭利な脚が生えている。不気味に黒光りする光沢のある外殻。

 そして、最前部には、顎と見まごうような鋭い顎肢――


 それは下層の階層主の一角をなす巨大百足だった。

 その数は、一体ではない。


 折り重なるように絡み合い、地面を這うそれらの姿は、まるで一つの大きな生命体のように見える。

 その巨体と数によって、部屋の地面は完全に覆い隠されていた。


 かつて地上の仲間たちが命をかけて討伐した、あの絶望の象徴。

 それと同等、いや、それ以上の数の群れが、ここにいる。


「ふふふふ、ふはははは、ハハハハハハハハ――!」


 こだまする哄笑。

 その狂気は、地の底に巣食う闇とともに蠢きはじめていた。


 地上では、夜明けの光に導かれ、新たな明星が昇り始めていた。

 だが、地の底では今まさに、何かが胎動している。


 それは偶然か、必然か。

 あるいは、いずれ照らされるべき“運命”か。


 誰もが“明星”に目を向ける中、

 誰にも気づかれぬ場所で、

 静かに、そして確かに――夜が満ちていった。

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冒険したくない冒険者の冒険 @TamagoTamako

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