014話 それは戦いではなかった
俺たちは、四人でコラの
隊列は俺を先頭に、カナリア、クロウェア、そして最後尾がクイナ。
斥候を俺が務め、前衛をカナリア、後衛をクイナが担う。クロウェアは――変わらず荷物係だ。
そんなクロウェアが、カナリアの隣で歩きながら口を開いた。
「それで、どこから調査するの?」
コラの迷宮は広い。
全域をこの四人でくまなく調べるのは、最初から不可能だ。
「まずは中層だな。浅層は後回しでいい」
「その心は?」
クイナが、試すような視線で問いかけてくる。
「今、冒険者が最も多く潜っているのは中層だからな。異変が本当に起きていたとしたら、影響も大きいだろう」
「……悪くないな」
これが一種の試験だったとしたら、どうやら合格点は貰えたようだ。
最初はやたら突っかかってくるのは俺への当てつけかと思っていたが、どうやらこれが素の振る舞いらしい。育ちの良さが垣間見える口ぶりだが、そのぶん態度も言葉も鋭く尖っている。
松明の炎に照らされながら、俺たちは浅層の本道を進み続ける。
やがて、涼やかな風と共に、黒く沈んだ中層の闇がその姿を現した。
途中、何度か魔物に遭遇したが、俺たちの敵ではない。
特にカナリアが放つ魔法の火力はすさまじく、討伐した魔物の魔石が跡形もなく吹き飛ぶほどだ。
……そのたびに、クイナが顔を引きつらせていたことを除けば、何も問題はなかった。
「もう中層かぁ。なんや、今んとこはなんもないなー」
「それが一番だ。カナリア、灯りを頼む」
「任しときー」
カナリアの指先から、小さな太陽のような光球がいくつも飛び出す。
それらは四方へと散り、中層の暗闇を淡く、穏やかに照らし出す。
光は俺たちの歩みに合わせ、まるで意志を持つかのように周囲を巡っていた。
「カナリアとかいったな。……大した腕前だ」
後方から、抑えた声音が聞こえる。
魔法に秀でた
「おおきに!」
カナリアはニッと笑って、軽く拳を掲げた。
途中、本道から脇道へと何度か入りつつ、俺たちは調査を進める。
ときおり現れる魔物を排除しながら、各階層の様子を目と記録に収めていく。
「なんか、わかった?」
クロウェアが俺に小声で尋ねる。
「……クイナが、そろそろ飽き始めてることくらいか」
そう言って、俺は最後尾を歩くクイナを振り返る。
すると、涼しげな口調で、あっけらかんと言い放った。
「小腹が空いた。食事はまだか?」
……それを聞いて笑っているクロウェアの横で、俺の表情は確実に引きつっていただろう。
どれほどの実力者であろうと、注意力を欠いた状態での迷宮行動は危険だ。
一瞬の油断で、状況は簡単にひっくり返る。
そこで俺は言った。
「この先に、
全員が異論なく同意する。
だが俺は、わずかに眉をひそめた。
――妙だな。
近づくにつれ、あの場所特有の“静寂”が重くのしかかる。いつもなら聞こえるはずの魔石の共鳴音が、やけに鈍く感じられた。
加えて、空気がどこか淀んでいる――血のにおいだけではない、得体の知れない緊張が、微かに肌にまとわりつく。
クイナと初めて出会った、あの日の場所だ。
探索者の名を汚したと、烈火のごとく怒りをぶつけてきたクイナ。
その勢いに、当時まだ生きていたあの従者たちが慌てて止めに入った光景が、今も鮮明に思い出される。
そのことを思い出して、ちらりと最後尾のクイナに目をやった。
「……なんだ?」
視線を向けられたクイナが、少し不機嫌そうに言う。
「いや、なんでもない」
「なにグリン。もしかして……クイナのことそういう目で見てた?」
ニヤニヤと笑うクロウェア。
「え、嘘やろ! ほんまに……?」
驚くカナリア。
「はあ……お前らなぁ――」
「きも」
冷たい声で、話は締めくくられた。
言い返す気も起きない。いや、ほんのちょっとだけ傷ついた。
クイナは、常時抜き身の刃みたいなやつだ。
もし俺が、クロウェアと出会う前の精神的どん底の時期にこの人物と出会っていたら――
間違いなく心をズタズタにされていたかもしれない。
§
俺たちはコラのダンジョンへと足を進めた。
先頭から俺、カナリアとクロウェア、そして最後尾をクイナが歩く。斜差行になるように、俺の両隣をクロウェアとカナリアが振る。
そのことを確認してから間もなく、
「ちょっと待って」
クロウェアがそう声をかけると、数歩先を歩いていたクイナの腕を握って引き止めた。
当然、クイナはそれを喜ばず、
「賓様、何をする?」
ジロリと振り返り、クロウェアをにらめつける。
反対にカナリアは心配そうに、
「なんやクロ、どうかしたんか?」
クロウェアの顔色を似るようにしていた。
「……におうわね」
におい?
俺は目をつむり、鼻腔に神経を集中させる。
土と水のにおい……それと、何か鉄のような……これは、血?
俺は目を開けて隣のクロウェアを見つめると、その覚に気づいた彼女が頼もしげに頂きを返した。
「血の嗅いだ。クイナ、後ろへ。カナリアは前に」
俺の言葉に、全員が表情を強くしめる。
「俺が先行する」
パーティーの顔ぶれを確認して、俺は安全圏へ向かって駆け出した。
近づくほどに強まる血の臭い。
安全圏の入口に身を寄せ、中を見やるとそこにあったのは、冒険者たちの骸。
ざっと五つ。パーティーで休憩していたところを襲われたというところか。
安全圏の中を注意深く観察する。
安全圏のそこらかしらに生えた鈍く輝く魔石のおかげで、魔法を使わなくても室内の状況は一眺できた。
魔物の姿は見当たらない。
俺はそっと足音を止めて、安全圏の中へと踏み込んだ。
一人を除き、四人が首を撤ねられて殺害されていた。
何か手がかりはないかと、物言わぬ骸へと近づく。
血は乾ききっておらず、惨劇からまだそれほど時間は経っていないようだ。
「どないやー?」
安全圏の入口から声が飛ぶ。
振り返ると、カナリアとクイナが顔をのぞかせていた。
「入ってきて大丈夫だ。ただし、警戒は怠るなよ」
恐る恐るの様子で遺体の間を歩くカナリアは、
「みんな死んでるん?」
俺は重く頭を振り、
「残念ながらな。中級冒険者をこうもいとも簡単に……」
下級と中級の間には超えられない壁があるとよく言われる。実力も覚悟もそうだ。
冒険者には誰でもなれる。魔法協会へ行って、簡単な手続きさえ済せば、その日から立況な冒険者だ。
だが、中級は違う。
下級で経験を積み、技量を磨き、信頼を勝ち取った者だけが許される階層なのだ。
「なんで中級ってわかったん?知り合いなん?」
「いや知らん。ただそいつらの首の認識票を見ればそれくらいはわかる。星の刻印が二つあるだろう。それは中級を意味するんだ」
一つ星が下級、三つ星が上級を意味する。
戦争では、相手方の三つ星の認識票を持ち帰れば、賞与をもらえるとも聞く。
俺は一番近くの骸へ近づき、「認識票は集めておいてくれ。あとで魔法協会へ提出する」と言いながら首から認識票を取り、ポケットへとしまい込んだ。
それを見ていたカナリアも続くが、
「うぅ、なんか追い剥ぎみたいな感じがして悪いわぁ…」
おっかなびっくりな様子で、仕事に慣れていないのがありありと伝わった。
クイナは我関せずといった様子で、逆にクロウェアがひょいひょいと残りの認識票も集めていく。
「ねぇ、グリン。この人の認識票が見当たらないよ?」
「魔物にもっていかれたか、戦闘で失ったのかはわからないが……まぁ、そういうこともある」
俺は再び身をかがめて、ただ一人首が繋がっていた犠牲者の少女を観察する。
ただ一人戦闘の形跡がある体。薄っすらと開かれた瞳に光はなく、鋭い切り口で大きく裂かれた腹部から流れた血はまだ乾き切っておらず、しめっていた。
俺が観察するのを見ていたクイナは、
「四人が殺された段階になってようやく彼女が反撃したが力及ばず、と言ったところか?」
「まぁ、そんなところだろう」
安全圏という場所で、安心していた側面もあるのだろう。
俺はほかに手がかりがないか探りながら足を進め、入ってきた出入口とは反対側の出入口へと向かう。
特に争った形足もなく、魔物から逃げてきたというわけでもなさそうだ。
俺は唯一首のつながっている遺体に再度視線を落とす。
「俺はこの子に見覚えがある、気がする……」
どこだ。どこで出会った……?
ぱっと出てこないあたり、かなり希薄な関係なはず。
感覚としては知っているはずなのに、その正体がわからずモヤモヤする。
俺が彼女との接点を考え込んでいるそのときだった。
突如として、背後から感じた言いようのない違和感。
本能のままに振り返った先には、振り下ろされた命を判断する鎌。
そこに立っていたのは、人の輪郭に似た、だがあまりにも昆の異形――大鎌を備えた蟲の影だった。
あっ、と声を上げる間もなかった。
世界がやけに遅く感じる。ただ体が視覚の情報処理についてこられない。
――死。
冒険の終わりを覚悟した。
――その刹那、足音ひとつも聞こえずにクロウェアが背後へと回っていた。気配すらなかった。
「今グリンに死なれちゃ困るのよ」
冷静な声が耳元で囁かれ、首筋が引き倒される――。
俺の視線の先を死神の鎌が通り抜けた。
逃げ遅れた俺の前髪たちが鎌に狩られて宙に舞う。
いつの間にか俺の背後へと移動していたクロウェアが、俺の首元を引っ描んで引き倒したのだ。
つい今まで俺から一番離れた場所にいたというのに、相変わらずの滅茶苦茶なやつだ。
だが今はその速さに俺は命を救われた。
その直後に、
「ぶっ殺してやんよ!」
普段のカナリアからは考えられないドスの聞いた怒声と共に、高密度の魔力が飛来する。
俺とクロウェアは一層身をかがめて体を小さくすると、その上を通り抜けた魔法が魔物へと直撃。
魔物の上半身が破裂音とともに吹き飛ぶ。熱と血と焼けた殻の破片が霧となって降り注いだ。
――目の前の脅威は、ひとまず、消えた。
§
魔法協会内部の一室。
コラの冒険迷宮から戻った俺たちは、その足で副支部長に中層で起きた惨劇を伝えた。
話を聞き終えた副支部長は顔の前で手を組み、
「なんと。安全圏に魔物が……」
重苦しい溜息を吐いた。
「俺たちが足を踏み入れた時には、中にいたパーティーは全滅。まともな抵抗をした様子がなかったから、おそらく奇襲による一撃。実際に、俺も危なかった。クロウェアがいなかったらやられていたよ」
「それほどまでに……」
中級冒険者でも下位の実力であれば太刀打ちできないだろう。
安全圏という思い込みも手伝って、上位ですら下手したらやられてしまうかもしれない。
「彼らの認識票は受付に渡しておいた。五人いたんだが、そのうちの一つだけ認識票が見つからなかった。魔物が食べたのかもしれん」
「わかりました。他のパーティーの面々が割れれば、残り一人の特定も難しくないでしょう」
副支部長は続けて、
「今回の報告の内容を考えると、おそらくですが近日中に本協会から
緊急依頼は依頼報酬も高く、受託したこと自体も魔法協会からの評価の対象となるが、そこに強制力はない。
だからこそ、副支部長もあくまで腰の低いお願い口調なのだ。
「乗りかかった舟だ」
「ありがとうございます」
俺の好意的な返答に、副支部長は胸をなでおろす。
統率する身としては、現場を知っている者には是非とも参加してほしいのだろう。
それを聞いていたクイナが、
「僕も手を貸そう」
「それは……ありがとうございます」
副支部長は一瞬だけ言葉に詰まったあと、クイナに頭を下げる。
副支部長が一瞬だけ言葉に詰まったのは、果たして気のせいだったのだろうか。
魔法協会としての落ち度による負い目――そう解釈するのが穏当だが、彼の瞳の奥には、別の何かを隠しているような陰が見えた。
あたかも、“知らなかった”という顔を演じることに、わずかに苦労しているかのような。
安全圏もはや安全とは言えない冒険迷宮。
もうどこにも、安らぎの場所など残されていない。
“安全”とは、もはや言葉だけの幻だ――俺はそれを、痛みとともに胸に刻み込んだ。
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