013話 いまだ、敵を知らず


 下層から戻った翌朝のことだった。


 朝日もまだ赤みを帯びる時間に、魔法協会の使者が早馬で我が家を訪れた。

 内容は簡潔だった――


『副支部長が、できるだけ早くお会いしたいとのことです』


 それだけで、十分に意味は伝わった。


 協会と良好な関係を保っておいて損はない。俺はクロウェアとカナリアに事情を伝えたところ、二人も当然のように同行を選んだ。こうして、俺たちは三人揃って街へと向かうことになった。


 巨大百足ムカデカデ討伐の報酬で懐は潤っていた。

 普段なら徒歩で済ませる道のりも、この日は乗合馬車を利用し、街の中心部まで揺られていく。


 馬車を降りると、通り沿いの喫茶店に立ち寄り、軽食と香り高い紅茶で喉と腹を満たした。

 カナリアはクロワッサンに目を輝かせ、クロウェアは砂糖を過剰に投入したミルクティーを吸うように飲んでいた。どちらも、昨日までの疲労が残っているとは思えない顔つきだった。


 俺たちはそのまま魔法協会へ向かった。


 扉を開けた瞬間、室内の空気が一変する。

 ――視線。

 無数の視線が、確かにこちらへと集まっていた。


 耳を澄ますと、低く抑えた声が耳に入る。


「あれが、“暁の明星”か……」

「探索病持ちでも潜るのかよ、あいつ……」

「巨大百足を倒した連中だろ?」


 やはり、噂はすでに広がっていた。

 俺たちが討伐したあの怪物の存在と、それを退けたという結果だけが一人歩きしている。


 カナリアもそれに気づいたようで、小声でつぶやく。

「なんや……ウチら、もう時の人やん」


「不満か?」


 俺が目線だけで問いかけると、カナリアはぱっと笑顔を咲かせた。

「ううん。むしろ、めっちゃ気持ちええわ……!」

 その表情は、戦士というより女優のような晴れやかさだった。


 受付に向かうと、見知った女職員が応対に出た。

 用件を伝えると、彼女は丁寧に頭を下げてから、奥へと姿を消す。


 その間、俺たちは待合の長椅子に腰かけた。


「次に潜る予定は?」

「三日後、だな。予定通りなら」


 カナリアの問いにそう答えながら、俺は自身の内心を整理する。

 ……身体はもう慣れつつある。

 だが、問題は俺よりも――。


「探索病、ってやつ。ウチもなる可能性、あるん?」

「ある。お前はまだ初回だからな。魔素への耐性がどの程度か、俺にも分からん」


「でも、クロがなんとかしてくれるんやろ?」

「抑えることはできる。だが、完治させられるわけじゃない」

 そう、あくまで“抑えている”だけだ。


 俺は視線をクロウェアへと投げる。

 カナリアの命運は、彼女にかかっている――その事実が、ひどく重く感じられた。


「もし、クロウェアに何かあれば? 戦闘中に倒れたり、魔素を吸いすぎたら?」

「……それは、確かに怖いな」


 自分で言っておきながら、胸の奥にひやりとした冷気が走る。


 俺はもう覚悟を決めている。踏破か、死か。

 だがカナリアは違う。彼女には命を賭ける理由なんて、どこにもない。

 ――そのはずなのに、俺は彼女を連れて行こうとしている。

 ……本当に、それでいいのか?


 そんな思考を切り上げるように、受付の女職員が戻ってきた。

「お待たせいたしました。副支部長がお待ちです。こちらへどうぞ」


 俺たちは職員に導かれ、協会内の奥の通路を進んでいく。


 向かう先は、一般の面会室ではなかった。

 個室対応――それはつまり、込み入った話が待っているということだ。


 静かにノックが鳴らされ、職員の声が続く。

「副支部長。“暁の明星”をお連れしました」


『入りたまえ』


 声に応じて扉が開かれる。

 俺たちは順に部屋へと足を踏み入れた。


 部屋の中には、重厚な木製の机と、ソファが向かい合うように並んでいた。

 その一つに腰掛けていたのが、副支部長――黒衣に身を包み、眼鏡の奥に鋭い眼光を湛えた中年の男だった。


「よく来てくれました。迅速な対応、感謝いたします」

「副支部長からの早馬なら、そりゃあ放っておけないさ」


 形だけの挨拶を交わし、ソファへと腰を下ろす。

 クロウェアとカナリアも俺の左右に並ぶように座った。


「まずは、先日の巨大百足の討伐――あらためておめでとうございます。“暁の明星”の名は、今や冒険者の間でも噂になっております。我々としても、期待せずにはいられません」


「それは光栄だ。……だが、わざわざ別室に通されたってことは、単なる賞賛じゃないだろう?」


 副支部長は少しだけ口角を緩めた。


「……単刀直入に伺いましょうか。“あの階層”で見た現象について――どう思われましたか?」


 その言葉で、何について問われているのかはすぐに分かった。

 通常の魔物討伐では説明がつかない、“異変”。

 やはり俺たちが踏み込んだのは、ただの迷宮の一角じゃなかった。


 なぜ、俺たちがここに呼ばれたのか。

 なぜ、情報が口外されない個室での面会なのか。

 その意味が、瞬時に繋がった。


 言葉を交わすまでもなく、副支部長と視線を交わし合う。

 やがて沈黙にしびれを切らしたのは、隣にいたカナリアだった。


「なんや? 二人して黙って……クロは分かるん?」

「ううん、私も。なんの話してるのか、まるで見当もつかない」


 肩をすくめたクロウェアに、副支部長がやや申し訳なさそうに口を開いた。

「失礼しました。分かりづらい問いでしたね。……私の口からお話しても?」


 俺はそれを制して、静かに首を振った。


「いや、俺から話すよ。――“コラ”の冒険迷宮ダンジョンで、何かが起きてる。異変がな」


「えっ……」


 カナリアの表情が凍りつく。


「俺が過去に巨大百足と遭遇したって話、覚えてるな? ……けど、あのときよりも今回の出現場所は明らかにおかしかった。奴の縄張りから、あまりにも離れすぎてる」


 クロウェアが目を細めた。

「つまり……?」


「巨大百足は確かに下層の魔物だ。ただ、あれは通常なら“もっと深い階層”でのみ現れる。仮に先行した冒険者を追ってきたとしても、今回の位置は異常だ。あの巨体が、そこまで執拗に縄張りを出て追う理由はない」


「その通りです」

 副支部長が続けるように語る。

「下層に到達できる冒険者は、今でこそ限られていますが、これまでの報告では“中層付近で巨大百足に遭遇した”という例は一切ありません。……今回が初めてなのです」


「じゃあ、あれはなんなんや……?」

 カナリアが混乱した表情で俺と副支部長の顔を交互に見る。


「考えられる可能性は、大きく分けて三つだ」


 俺はそう言いながら、指を一本立てる。


「一つ。あれが“変異個体”だった場合。普通とは異なる生態を持った外れ種ってわけだ。つまり、偶然」


 続けて二本目の指を立てる。


「二つ目。下層の魔物たちの食物連鎖ヒエラルキーに変化があった。より強力な魔物の出現や、環境変化によって、奴が上へ追いやられた可能性」


「冒険迷宮を作った当時の関係者以外に深淵の全貌を知る者はいない……」

 クロウェアが呟く。

「もっと下には、私たちの知らない生態圏があってもおかしくないということね」


「そして、最後」

 俺は三本目の指を立て、その手を握り締めた。

「“人為的な干渉”があった可能性だ。つまり、誰かがあの魔物を――上層へと追いやった」


 部屋に、沈黙が落ちた。


 副支部長の眉がわずかに動き、カナリアは肩を跳ねさせた。


「な、なんやて……? 人が、あんなのを動かすって、正気か……?」


「俺も信じたくはない。だが、そうとしか説明できない兆候が、いくつもある」


 俺の言葉に、副支部長が静かに頷いた。


「そう。これが、君たちをここへ呼んだ理由です。“暁の明星”――あなた方に、迷宮内部の調査をお願いしたい」


 カナリアが言葉を失ったまま俯く。

 俺は思案するふりをしながら、内心では既に答えを出していた。


「調査“だけ”で、いいんだな?」

「現時点では、それで構いません。状況次第では追加で依頼をお願いすることもあるかと思いますが……」


 俺は視線を左右に向ける。


「クロウェア。カナリア。意見は?」


 クロウェアは首を傾けて笑った。

「好きにすればいいよ、グリンの人生だもの」


 カナリアは少し考え込み、ふっと目を細めた。

「……ちょっと怖いけど。でも、ウチ、ああいうことにはケジメつけたいやん。せやから……手伝うわ」


 俺は二人の言葉を受けて、頷く。


「了解した。“暁の明星”はこの依頼、引き受ける」


「ありがとうございます。こちらとしても、非常に心強い限りです。……三日後に潜られるとのこと、その日には協会側からも、支援として冒険者を一名、同行させる予定です。ぜひ、協力を」


「わかった。その人物の情報は後で共有してくれ」


 こうして、俺たちは再び“コラ”の深部へと潜ることになった。

 その先に、何が待っているのかも分からぬまま――。


  §


 休養日を終えた三日後。いよいよ迷宮再潜入の日がやってきた。


 朝、準備を整えた俺たちの家を訪ねてきたのは――予想外の人物だった。


「……なんで、お前が……」


 思わず漏れたのは、俺の口癖のような一言。

 だが、それも仕方がない。そこに立っていたのは、あの時の戦いを共にしたあの妖精族だったのだから。


 金髪のボブヘアに、腰まで届く襟足の三つ編み。

 褐色の肌に、薄く輝く翡翠の瞳。

 その瞳は、どこか俺と似た色をしていた――ただし、ずっと勝ち気で、刺すように鋭い。


「朝から随分な挨拶だな。……僕は別れ際に名乗ったはずだが?」


 妖精族エルフの冒険者。巨大百足討伐の際に共に戦い、その前哨戦では仲間を二人失った者――


「……クイナ、だったか?」


 自信なさげに名を呼ぶと、彼は満足そうにうなずいた。


「うむ。覚えていたようでなによりだ」


 ――ほんとに、最初から最後まで偉そうなやつだ。


「もう、ええの……?」


 遠慮がちに声をかけたのは、カナリアだった。

 失った仲間のことを気にしての、優しい問いだった。


 けれど、クイナはあっさりと答える。


「ああ、問題ない。僕は――傷によく効く軟膏を持っているんだ」


 ……なんとも言えない気分になる。

 カナリアと目が合う。どうやら、彼女も同じ気持ちらしい。


「そ、それはよかったわ……」


 隣で、クロウェアがニマニマと笑っていた。

 こういう個性の強い奴は、きっと彼女の好みだ。


 性格に難はあるが、実力は確かだった。


 巨大百足には相性の悪さから後れを取ったものの――

 元々、魔法職の三人だけで下層まで到達していたという時点で、その実力は疑う余地がない。


 実際、あの戦いでもクイナの魔法による精密な狙撃が、勝機を引き寄せたのは確かだ。


 後衛らしい後衛のいない“暁の明星”において、彼の存在は大きい。

 カナリア? 彼女を後衛に据えたら、帰還までに前衛が何人残っているか怪しい。

 そしてその“何人”のなかに、まず俺が含まれていないことは、容易に想像がつく。


 とにもかくにも――


 かつて巨大百足を討伐したこの四人で、再び“コラ”の深淵へと挑むことになった。


 冒険の第二幕は、静かに幕を開ける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る